昨日忍者の美術の宿題も兼ねて行った全生庵「幽霊画」で思い出したが、ちょっと前に国立西洋美術館にナポリのカポディモンテ美術館展を見に行った。


エル・グレコの火を点す少年は小さいものだったが生命力が漲っていて、ティツィアーノのマグダラのマリアは圧倒的な存在感で、これらを実際に見られたことだけでも収穫だった。


しかし残念ながら忍者はそういった名画には目もくれず、荒々しい女たちの斬首シーン目指して突き進んでいた。


バロックの絵画は、宗教画でも濃厚な人間ドラマを極彩色で描いたものが多くて眼が眩んでしまうので、ホシュの私としてはルネサンス時代の絵の方がいつまでも見ていられる。


絵画も音楽もその時代の宗教観を反映しているはずだが表現にはかなりな差がある。


バロック時代の音楽は秩序と創造力をより調和的に完成させた時代だと思うし、聴いていて飽きることがない(まあ私の場合はほぼバッハしか聴かないけど)。



カポディモンテと全生庵両方に偶然「首斬り」画があって、忍者は満足そうだし、暑過ぎる夏にはゾッとして良かった。


それにしてもどう見たらいいのかわからない絵が多いイタリア絵画と違って幽霊画の方は見飽きなかった。


時代背景とかその時代の物語とかよく知らないと、バロックはツライ。


1600年頃のイタリア人の肖像をジッと見ていて思ったことは、今のイタリア人と服装も髪型も大して変わらない、顔なんか殆ど変わってないなあということ。


イタリア人「本人」が見たら全然違うんだろうか。


それに比べたら、日本なんて足利氏の黄金時代から信長に移行する時期だからね。

今の日本人とは志も姿カタチも全然違うよ。


生まれてみたかった時代だ。

河原者か、出雲の阿国・・はムリだから踊りの好きな遊女でもいいか。


などとうつらうつら考えたのであった。

今日は夏の終わりに弥次喜多道中よろしく忍者とふたり、一日出掛ける。


慶応病院でニキビちゃんなどの処方を頂いた後、谷中全生庵へ行く。

軍曹は既に小学校が始まっているので行けなかった。


どっちか一人いない状態だと妙に言葉少なにぎくしゃくする私と子供。


数年行っていなかったが全生庵の佇まいは変らず。

人影も殆どない。


忍者たちは小さい時に来た事があるが、覚えていなかったので今回は美術の宿題をやっつける目的もあり約三時間、珍しく熱心に幽霊画の解説を書き留めたりしている。


こういうの好きねほんと。



江戸から明治にかけての落語界の巨星、人情噺の元祖で私たちが今現在よく聴く名作を次々作った三遊亭円朝が収集した幽霊画がここ(臨済宗のお寺、円朝は禅も勉強していたという)に寄贈されていて、八月になると虫干しのため小部屋で公開される。


落語家さんたちの「円朝祭り」というのもお盆の頃にあり若い頃からふらっと来る。



久しぶりに数十点の幽霊に囲まれて最初はビクビクするが、三時間もいるとすっかり居心地の良い空間になったのは不思議だ。


初めて来た時は今思えばステレオタイプな反応をして「怖い怖い」とお化け屋敷にいるような感じでザっと見て終わってしまった気がするが、今回はじっくり見てみた。



芳年はモダンだとか、柴田是真はじめ江戸っ子の画家は粋な着想と構図が多いとか、行灯、燭台などの明かりが幽霊のいる影の部分を際立たせてるものが結構あるとか、香炉、葉、頭蓋骨などの小道具も使われ、蕎麦にワサビ的な効果を上げてるなど発見があった。


煙(けむり)状のもの、火や霞やお香は、幽霊が出現するための格好の舞台装置らしい。


忍者も、幽霊を表すのには、下半身がすうっとなくなってる、着物はことごとく白、色もほぼ白黒で描かれている、水(海、川、滝、雨、霧など)に関わる自然が重要な役割を果たしてるものが多い、などの発見をしていた。


幽霊全員揃って髪はざんばら、もしくは結っていてもほつれ毛がひどいことも一目瞭然。


もっと言うと男か女かもよくわからなかったりする。


熟年の方で、パンチパーマのオジちゃんみたいなオバちゃんとかオバちゃんみたいなオジちゃんが下町方面に行くと特に多くそれは楽しい風物詩だが、ザンバラなのは性別を超え非常にコワイ。


ヘアスタイルってほんと大事。

「髪は女の命」だ。



円山応挙は幽霊画の第一人者みたいな扱いになってるが、「真筆」と断言出来る幽霊画は今まで出たことがないとも書いてあった。


応挙作?という女性像は上品で、全然ウチに置いておける。


忍者に

「一番コワイのと、好きなのと、ウチに置きたいのどれ?」

と訊いたら、

三代目(らしい)広重の「瞽女の幽霊」が怖いけど好きという。


白眼で虚空を見つめ三味線を抱え、波間に漂ってる絵。

首がひどく細くて長いのも怖い、という。


確かに。

ぞぞぞっ


ウチに置いてもいいのは「だまし絵」的な「月に柳図」だそうだ。

これは実際唯一お洒落?な作品。



私が好きなのは柴田是真「桟橋の幽霊」と歌川国蔵「こはだ小平治」(鶴屋南北作品から題材を取る)だが、長いこと睨んで自問自答した結果、「ちょっと面白いものに逃げてる」感は拭えない。



本当に怖くてウチに置くなんてとんでもない、祟りが・・というのは伊藤晴雨「乳房榎」や、應岱の夫婦幽霊図。


表現がこう言っちゃなんだが大仰で、口から血を吹き出したり、眼の窪みようやギラギラした脂ぎった表現が漫画でも充分イケそうで正直、物凄く怖い。



見てるうち、以前、実物の雪舟の「慧可断臂図」の達磨の体の線を見て、日本画は日本の漫画の原点だと感じたのを思い出した。



最初は見たい見たくない感じだったが、だんだん慣れてくるのか結局こわごわ顔を近づけて見てみると、「眼」がツボなことに気付いてしまう。


川端玉章「幽霊図」は大変美女だが、眼の玉自体が恐ろしく冷たいのだ。


鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」の美女も凄い美人で左側の愁いある横顔を見せているが、その左目がどこを見ているのかわからない妙な感じで、焦点が此方に向けて定まったが最期、一瞬でこの世から消されるんじゃないかと思わせるような目つきなのだ。


ヒエエエ~~~



あまりに熱心に忍者がずっと文章を書き写したりしていたので、管理人のおじいさんが奇異に思ったか、「入場料いらないから、画集買っていけば」と勧めてくれる。


ありがたいが、丁重にお断りする。

部屋に彼らを置くのはちょっと。


そのおじいさんが面白いお話を色々して下さる。


幽霊画の添えもののようにひっそり掛けてあった板のことを訊いてみたら、確かに白隠禅師の真筆だけれど、先代が消えないようにとニスを塗ってしまったのですっかり字が読めなくなってしまったそうだ。



円朝は百幅の幽霊画を所蔵していて、五十を全生庵に預けたという。


あと半分は河岸の大店、藤原さんという円朝の後援者が持っていたが、全く今日まで出てこないところを見ると、火事でほんとに焼けちゃったんだろうねェ、とのことである。


円朝に敬意を表して画家が円朝のために描いた作品も多くある。


軸は、最初からのものなのかはわからないが、円朝が持っていた時のままだそうだ。

絵と軸装との釣り合いの妙も楽しめる。


少しずつ絵を変えながら五十幅が全て虫干しに出るには三年かかるので、三年通えば全部見られるよ、と聞いたので(営業かしら)、これから二年は毎年来ようね、と帰り道忍者と話し合う。


美味しいお蕎麦や、休憩にあんみつなどを食べて下町の散策は楽しかった。


が、忍者に夏はあと一日しか残されていない・・・

今日は知り合いのジュニアオケを聴きに行った。


ベルリオーズ序曲、チャイコのロメジュリもなかなか弦も揃っていたし、管も鳴っていて頑張ってて素晴らしかった。


いつもはクラシックを聴きに行ってもすぐ持参のノートにマンガを書き出す忍者でさえ(その他いわゆる「芸術観賞」的なもの全てにおいてもだ)、同世代の子たちの見事な演奏に釘付けになってらっしゃいました。


問題は最後のシベリウス交響曲二番だ。


頑張ってる子供たちに鞭打つようで心苦しいのだが全くシベリウスの二番ではなかったので、欲求不満すぎて、帰りに即図書館に寄ったらレヴァイン指揮ベルリンフィルがあったので借りてきて早速深夜聴く。


まあロマンティックなのですが、しかし別の曲だ。


ベルリンフィルは相変わらず凄い。


シベリウスらしいうねりとハーモニーをしつこいくらいに響かせてる


しかし、こんなに違う曲にしちゃうのはまずいだろう。


シベリウスって、コドモには難しいだろ、やはり。


選曲ミスだけど、こうやって背伸びした楽曲をやって失敗しつつ成長していくともいえるなあ。


私としても思いがけずシベリウスをしみじみと聴け、暑さを追いやる効果も絶大で、深夜大音響で聴くとフィンランド方向から吹く夜風が(実際はほぼ無風・・)気持ち良かった。

いつもHPをチェックしてるベーシスト江口弘史(あとはフェビアンとつのけんという二大アイドルのHPをちゃんと時々見る。でも当然のように殆ど更新がないのがまた良い)のスケジュールを見たら9月にmonday満ちるとのライブがあった。


普段あまりボーカルものは聴かないのに聴いてた歌手で、唯一といっていいくらい好みの日本の歌姫だ。


意外でもあり、あのドラムンベースとか大沢伸一的なところをエグチのgrooveがカバーすると思ったら行かねばならない。


mondayのボーカル、ちょっと冒険だけど楽しみ。



透明な声とかコケティッシュなボーカルがそもそも苦手なんだけど、mondayは大丈夫なのだ。


そういえば10代の頃はパトリース・ラッシェンがアイドルだった。

でも歌手じゃなくキーボーディストとしてのインストが好きだったのだけど、あの頃はなんであんなに「メロウ」(最近聞かない言葉だ)なものが好きだったのか今となっては不思議な気がする。



私の三大「mellow」曲


パトリース・ラッシェン「ステッピン ストーン」

E/W&F「can't hide love」

eumir deodato「san juan sunset」

なんでだったんだろう、べつに今ほど疲労も悩みもなかったのに、なんでそんなに「まったり」したかったのか?


その頃はまだsea windとかフィービ・スノウとかの甲高い声も聞けたのに、20歳過ぎたら繊細な声はさらに受けつけられなくなり、兎に角、クロいか自意識があまり感じられない声じゃないと(あくまで主観)聴けなくなった。


son houseもプロフェッサー・ロングヘアもアーロン・ネヴィルも楽器だと思って聴いてるし、ジャコもモンクもカーラ・ブレイも歌ってるように聴こえる。


歌詞がアタマに入らないのはピアノやってる習性からかとよく言い訳してみるんだけど、最近はキリンジとかザゼンの歌詞を見るようになってそれはそれでとても楽しい。


さきほど帰宅するとメールが届いていた。


Yディレクターが昨日お亡くなりになったそうだ。


某企業ミュージックスクールのお手伝いをいまだに細々と続けているが、そこでお世話になった、意思の強い信念のあるディレクターだ。


歯に衣着せない温かい方でもあり、やる気のない私に、情けない声で

「もっとアドリブ勉強しようよ」

と言われたこと忘れてません(かといってやる気にならない自分が情けない)。


ここ数年全く会う機会がなく、今年の四月、久しぶりに大きなホールでお話を聞いたのが最後だった。


その会が終わって、外に出たらすぐそこに座っていらしたので会釈して、お話ししようと思ったがすぐ人垣が出来たので、また話す機会があるだろうと思い帰ってきてしまった。


その会での話だが、昨年四月に肺ガンで余命二ヶ月の宣告を受けたのに、その後一年も元気にしてること、抗ガン剤治療ではふつう髪が抜けるのに、自分は反対に毛が生えてきた(笑い声が起こる、ディレクターは以前から素敵なハゲでいらした)、食欲も出てきたこと、など。


お痩せになってはいたが、いつも通り飄々とした話し振りで「奇跡だね」と楽しそうに話されていた。


流石ツワモノだなあと聞いていたが、病気になって楽器(クラかオーボエだったはず)を久しぶりに再開したこと、それがとても精神的にいいと感じること、

「皆さんも自分の楽器を大切にね。いい音楽をやって右脳を働かせよう」

と何度も仰ったことが、全然練習しない私にはとても残った言葉だ。


義務じゃないんだよね、練習は。確かに。


今朝、宿題も終わってないのに嬉々として合気道の合宿に行く忍者と軍曹を送って朝7時半に道場前到着。


見送り完了まで所在なく出発を待っていて、何気なく先生たちを見て驚いた。


全員、手首のところにハッキリわかるほど毛が生えている。


腕全体が剛毛とかならわかるのだが、手首以外はスッキリツルツルだから不思議なことこの上ない現象だ。


いつもは胴着を着ていらっしゃるから腕は見えず、半袖の私服だったから初めて気付く。


ふたりを送って波平と帰り道、話し合う。


毎日毎日長時間、稽古をし続け、さらに師範たちは基本「取り」役が殆どのはずで、一日に手首を摑まれる回数も並みじゃないだろう。


そうすると、人間の本能でそこを守ろうと毛が生えてくるんだろう。


でも、もし格闘技じゃなくて(合気道は試合はないが、危険なことには変わりなく、先日も師範が大怪我をされていた)、危機的状況でなくずっと手を掴まれるなら、あんなに毛は生えないのじゃないだろうか。


波平は、単に皮膚が擦れて毛が生えただけだと主張。


でも私はこの安穏とした現代に、生命の危機を感じて肉体が変化したのだと思いたいのである。

今日、アトリエで仕事してたら、外で「たまやあ~~」と叫ぶ子供の声がする。


多摩川の花火が始まる時刻なのだった。


その後仕事をすぐ終え、花火を見ながら帰るためにいつもと違い一駅歩く。


大きな橋を渡っていると、二子玉川あたりで打ち上がっている花火が見えてきた。


朝顔や夕顔にそっくりな、ラッパ型の青と紅色の綺麗なのが上がり、思わず欄干に寄る。


絹みたいな乳白色の、大きな枝垂れたのも華やかに上がる。



旅先でもなんでも、誰かと一緒より、何か見せたいと思うものを見つけ、見せたい人をひとりで想像するのが好きだ


心地よい風も吹いていた。



と、ここまではいいんだけど、歩いてるうち、また下らない疑問が。


川の両岸が、川の幅よりも広く河川敷きになっているので、私はその下が地面のところなのを確認した上でしか花火を見られない。

のに、丁度真下が黒く濁々と流れる川のところで一番多く人が密集して立ち止まって見物してた。


いつもはそんなに沢山の人や車がいちどきに集まらない橋なのに、ポキッて折れたらどうしようって、多数派が思わない事が解せない。


私が無知過ぎる故の無駄なパニック的発想なのか?


最終的に、橋を渡り終えた時には、花火を見た満足感よりもその疑問でアタマ一杯だった私は相当なアホなのであろう。

水曜ライブの覚え書き。


またユーチューブで色々ボランティア関係の資料音源を探してたらやはり脱線して手をつけないでいた(完全にハマってしまう~)ジャズモノに手を出してしまった。


ライブの音源&映像から目が離せない。

野性爆弾見てるくらいならすぐ目が離せるんだけど・・・・


メセニーを見てしまい、ライル・メイズを見てしまい、クラクラする。

ライル・メイズがピアノ弾いてる映像を初めて見てしまったのれす。


たまらなくなり、早速CDを出して聴くが、「fictionary」を聴いて満足し、続けて「street dreams」を聴こうと血眼になって探したが、ないっ!!!!


あ~~好きなCDと本だけはほんと人に貸すもんじゃない。


で、昨日の午後は仕事が早く終わるので帰りに久しぶりに横浜のstormy Mondayに寄ろうと思っていたのだが、渋谷毅プロジェクト「月の鳥」をアケタでやっていることがわかり、そっちへ行く。


リリカルなものを聴かないと「street dreams」を失った心の隙間が埋められない。

と言い訳しつつイソイソ大好きなアケタへ行く。


石渡明廣さんは4、5年前初めて聴いた頃は、地味なギタリストだなあなどというとんでもない失礼な印象だったのだが、書く曲が好きで、聞けば聞くほどいいなあと思う。

特に昨日はソロがとても良かった。


ほかに外山明dr.という今私が一番好きなトリオ。

渋谷さんもこのトリオだと完全にノッてピアノ弾いてる感じが好き。


三人が完璧に調和しつつ、心地良い緊張感が発信されるのが楽しいbandなのだが、2set目最後の曲ではウトウトしてしまった。

バランタインrockの飲みすぎかもしれないけど。



先週は一週間、まずは北茨城の海で三日過ごし、それからイトコと合流して彼女の家に泊まらせて貰い、最後は義父の家、と楽しい流浪の民であった。


北茨城まで行ったのに、五浦の天心美術館にも行かず、すぐそばの温泉施設にも行かず、子供と波平が冷たい水でサーフィンしてるのを横目にひたすらテントの中で読書に励んだ。


伊豆や千葉も随分行ったので、これから海は素朴な北茨城にしようと思う。

日本酒も美味しいし。


イトコの家では、畦道をずっと行くとある時代劇に出てきそうな「陣平茶屋」でかんかん照りの昼から、どじょうや川海老の揚げたので日本酒を飲む。


義父の家で初めての芝生の草取りをする。

これまでは訪ねていった時、荒れた芝生を見たことがなかったので、義父も老いてきたかな・・と心配しつつ。


今まで自分の祖父の家でも雑草取りをした事がなかった。

その湘南の家の広い芝生を、よく祖母が「手入れが大変」とこぼしていたっけ。

その意味が初めてわかった。

が、単純作業の大好きな私は楽しくて姿勢をあれこれ変えながら半日熱中した。

山と積まれた雑草がすぐ、炒めたようにひからびてしまうのも面白かった。


夕方、波平とお酒を買いに出ると、ぽつぽつと離れて立つ近所の家の障子の間から「YAZAWA」の濁った歌声が大音量で聞こえてくる。

L.A.録音のやつだな、ミュージシャンはアメリカ人だ、たぶん。

田舎の風景に似合いすぎる。

一首詠む。

「故郷(ふるさと)の 土埃舞う畑道に 永ちゃんの声 響く夕暮れ

お粗末。



ほぼ一週間、非日常生活で読書もしたいだけ出来たはずなのに、野上弥生子を短編含め五編と岡倉天心一冊しか読まなかった。

読書量がこの数年急激に落ちている。


天心はどれも素晴らしいので別格として、今回は、野上弥生子の「大石良雄」と「狐」が出色だった。


どちらも短編だが短い中に、密度の濃い経験を積み豊かな感性を持った大人たちが、深い内省の中で決然と生きる様が、気負いなく研ぎ澄まされた筆致で淡々と描かれている。


「大石良雄」では牡丹の花、「狐」では薪ストーブが象徴的に使われていた。

牡丹の花は枯れてしまうがまた新しい芽が出る、薪ストーブは古い器具として一度は時代から取り残されるがある社会的事情から再度使用されることとなる。

いろいろな事象に見出される儚さと力強さの表裏一体がさりげなく表されていて魅了される。


「海神丸」は期待ほどではなかったし、「真知子」は中学生頃読んだのを最後のほうでやっと思い出した。

これだったら立原正秋の「冬の旅」とか五木寛之「青年は荒野をめざす」とかのほうが思春期には全然「来る」だろうなあ。

友達に薦めたらブームになってクラス中が「冬の旅」を回し読みして興奮したのを思い出した。

最近の中高生は何を読んで感銘をうけるのだろうか。


ただ「秀吉と利休」を書く野上弥生子が、「真知子」のような大衆雑誌的な書き方で真摯な女性を描ききってしまうところは流石だなあと改めて思った。


波の音と読書と日本酒を満喫した一週間。

・・・九月に現実の人間関係に戻りたくない。

所詮ボランティアだから。

いつでもやめられるんだから。

と逃れられない日常から逃れようともがく不甲斐ないタラであった。

やりました、ひっさびさの合気道。


といいますのも6週間ばかり行ってなかった。


その間、正直三度ばかり途中からでも行けたのにサボった。


先週の日曜もあったのだけど、夕方からだったので、昼間から色々考えてたら恐怖で待ち切れず思わず飲み始めてしまったので行けなかった。


なんだかんだと理由をつけて飲むのもアル中の特徴である。


本格的に危機感を抱いた私は波平に、次に行かなかったならば「一万円あげる」と約束したのだ。


そうやって自分を追い込み(アテ馬にされて可哀想な波平)、遂に昨日行ってまいりました。



刻々と増す緊張感の中を遂に近くの体育館の中の道場へ。


体操がほぼ終わってしまったところだった。


高段者五人しかいない。


つまり「あぶれない」。


やるしかない。


Y大先生は夏は地方や諸外国に合宿や出張でお忙しいそうで、久しぶりに将棋の名人(もしくは仙人、周りを天狗が飛んでる)にしか見えないA先生。


まずは入り身投げ。


相手はヘンリー。


ウチの会の皆さんはスティーブン・セガールとかの映画に出てくる敵役に風貌そっくりの人多し。

彼もそのうちの一人。


いきなり今まででいちばんの恐ろしさを体感。


彼にしたら小指一本分くらいの力だったと思うが、入り身された後、崩されるところで吹っ飛んだ。


ひええ~


私が上手く出来ないので、A先生はじっと見ていて延々苦手な入り身が続く。


針のむしろだ~


ほんと難しいなあ。


A先生は途中、何度も止めて優しく教えてくださる。


「何もしないように。力で倒そうとしない」

と仰り続ける。


「相手(受け)は打ちかかってくるんだから、最初から待ってる方(取り)は圧倒的に有利なんだよ。相手は既に力を分散させて崩れてるんだから。だからその力を自分の正面からただ外して、最後まで崩れる手助けをするだけなんだよ」

とやって見せてくださる。


いや、わかりますが・・見てる分には。


ヘンリーを相手にどうやって体の力を抜けようか。



で、先生も諦めたのか、漸く一教に移る。


いきなり嬉しくて張り切る。


と思ったらすぐ終わってしまった。


天地投げ、呼吸投げ、立て続けに回り続ける。


1時間頑張ったところで限界が来た。


こみ上げて来たので雪隠へ。



帰って来る私を待って、いつもより早く終了。



地獄だった。


みんな、終わるといきなりニコニコしながら

「顔、さっき真っ白だったね、もう赤みが戻ったよ、大丈夫だ」

とか言う。


わかってたんなら、サッサと「休む?」とか言ってくれないのか。


「ナンネン ヤッテル?」

ってまだ一年だよっ


などと言えるわけもなく、ひたすらアタマを下げてお礼を言う。



仕事場では年配の生徒さんたちから「鬼嫁」と呼ばれ、Sくんからは「戦場で同僚の屍に片足をかけて葉巻を吸ってそう」と言われる片鱗もまだ道場では見せてない。



いちばん困るのは、受身して相手に向き直ると、「さあさあ・・」というように片手を差し出されるので、「待ってくれ」と言えず、また回らなくてはならず、最終的に吐くところまでいってしまう事だ。


波平に帰って愚痴ると、

「そのうち夢で、暗闇からその手がぬうっと出てきて『さあ・・・・・』って言うよ」

と嬉しそうに笑う。


ホラーより怖いよっ



兎に角、稽古がない間に体操やスクワットをすること。


[大変勉強になった内容]


天地投げで、地の方の手にも気を配る事。


手首をひねって、相手の体を持ち上げるやり方。

今まで全くわからなかった。

相手の腕を外側にひねり出す。

しかし手首の返し方が難しい。

A先生は

「手首も関節のひとつと考えるとよい」

と仰られた。

ふーん。

とても丁寧に教えて頂いたが、言われた通りにやるのは非常に難しい。

力は全然入れないんだよ、と仰るがムリだ。

そういえばつい先日、Iくんに「手首の力を抜いて」と言い続けてイジメた。

「わかるけど・・出来ない」と言ってたけど、そっか、ホント簡単には出来ないね。

お互いがんばろう!