このところの私の身(正確には「彼」の身だが)に起こった人生最大といっていい危機について、その「原告」(というと可哀相だが)に「ブログに書いてもよいか」とお伺いを立てたところ、流石の彼も「勘弁してくれ」という。


こんなにお誂え向きのエピソードが書けないなんて。

なんのためのブログなのか。

非常に無念。


作家という非情な人種はこういう事を断りもなしに面白可笑しく書いてしまうのだろうなあ。

心やさしい私にはとても無理である。


とここまで書いてきたら横からのぞいていた当の原告が、覚悟を決めたらしく「書いてもいいよ」と言う。

ちょっと涙目だが。



ということで、先週の火曜、仕事も終わりに近づく魔の夕暮れ時、都内中央のさるやんごとなき城内の木を剪定していた波平が9mの高さから落ちた。


3月2日17時10分。

会社の副社長から

「落ちた。意識はあるようだ」

と一報が入り、その後10分おきくらいに

「今搬送中」

「お茶ノ水の病院に着いた」

「集中治療室に入った、病院の指示があるまで待っていてください

などの連絡がある。


さらにその10分後、

「今すぐひとりで来てください」

と言われる。


その時考えたこと。

普通、入院となればいろいろと必要なものがあるはずなのに、持ち物について何も言われないのはどういうことなのか・・・


しかしあまりにも怖くて

「準備していくものはなんでしょうか」

と質問することが出来なかった。


病院の場所と名まえだけはしっかり聞いたもののPCで所在地を調べず家を飛び出したため、途中ぼーっとしていたこともあり二度違う駅で降りたりしてしまい約50分後に病院へ着く。

途中、JR総武線の車内で明らかに不倫の中年カップルが横で不毛な会話を交わしているのをいつになく全く感情のないまま聞いていた。


19時近く。

病院の集中治療室のある2階でエレベーターが開く時、すでに待機していた副社長がどんな表情で自分を迎えるかで波平の容態がわかるだろうと無意識に考えていたようで、此方に走ってきた彼の顔を一瞬ちらっと注意深く見た記憶がある。


しかしその時の副社長の表情をよくは覚えていないが温和な顔だったと思う。

「いやあ、どうも大丈夫そうですよ」

と言われたような気もする。


その後すぐ担当医師とふたりで個室に入り、CTやエコーで症状の説明を約30分ほど受ける。


「あの高さから落ちたのに、異常は今のところどこにも見られません。脊椎、骨盤、臓器全てに今のところ損傷はないようです・・奇跡的ですね」

とまず、言われたことを覚えている。


しかし勿論気は一切緩められない。

という心境は続く。


医師も不思議がって、一緒にPCに大きく映し出された波平の中身を丁寧に立体的に見ていくが、どこも壊れてなさそうだという。


肩と背中から落ちたため、脳にも異常なしだが、打撲は酷いため肺と骨盤あたりに体液や血液が溜まっている。という説明だったと思う。


その後、何枚もの誓約書にサインをし、次に来た看護士さんからICUでの規則などの説明を受け、病院に着いてから約1時間後、やっと波平に対面することになる。


たぶん、本当に緊急を要する状況の場合はこんな悠長なことはやらず、規則など飛ばして面会出来るのだろう。


20時頃。

体中に点滴や検査のための管をつけた波平は少しむくんだ顔だが、目には力があり、口調もはっきりしていた。

「ごめん」

と言った後、

「どの手順が間違ってたか、どうして落ちたか原因を考えてた」

と空中を見て言う。


サーフィンでも「どんな状況であれ遭難するのは論外」といつも言ってる波平だから、さぞ口惜しい思いだろう。


此方は、どこか細かい骨が折れてるんじゃないか、どこかから血が少しずつ洩れてるんじゃないかと気が気ではなかった。


しかし当人を不安にさせる訳にはいかない。

「どこにも問題ないって先生が言ってたよ、打撲くらいだって」

と言うと、落ちた時の状況を説明してくれる。


木に登る前に、木の下に敷いてあった石を変えようと掘り起こし、ついでに土もふかふかの状態で山盛りにしてあったそうだ。

それがクッションになり、さらにサーフィンでは常に波の上に高く飛ばされたり海底に打ち付けられたりする事も多いので咄嗟に受身が万全の状態で取れたのだろう。


一旦面会を終え、外で待っていて下さっていた副社長やいつもお世話になっている先輩と「こんなことになって申し訳ない」「いえ、此方こそ申し訳ない」と謝罪お辞儀合戦をしまくり、血圧の些細な変化もちゃんと診ていますと医師が請け負ってくれたので、この日は夜10時過ぎにもう一度面会し帰宅した。



まあ、「猿も木から落ちる」などと言えるのは波平が生還したからであり、今は生きている事を感謝する以外の何ものでもない。


このあと仕事やボランティア関係の方達に数日間ご迷惑を掛け続ける事になったし、今現在私たちの周りにいる心の温かい方たちに日々どれだけお世話になっているか考えさせられる1週間となった。

以下明日以降につづく。



12月からのボランティア関係のトラブルが漸く収まったかと思ったのに、再び今日は気の滅入る書類書きや情報収集などを自宅でする。


飽きたので、机の横にあった年賀状の束が目に付いた。


宝くじ関係には全く興味がないけど、なんとなくこれだけは2年に一度くらい番号合わせをやってみるのだ。


とくにこういう時、ネットって便利。


「お年玉つき年賀はがき当選番号」がすぐに検索できるもんね。

乗り換え案内と同じくらい、平凡なシアワセを実感する瞬間。


・・・・すると!

当たってたのだ、3等が。

1万本に1本だって。

今まで切手が2回くらいしか当たったことがなかったから舞い上がる。


基本、なんでギャンブルをしないかといえば人生自体「賭け」だから。

なのに、こんなとこで今年の運全部使う事になったらどうしよう・・・

でも、お金じゃないから、寄付ってのも出来ないし・・・

うろたえる非常に小さい自分。



どなたの年賀状かと思えば、この数年お世話になっている町会長さんであった。

大変福々しいお顔の紳士でいらっしゃる。

ああこういう方が出す年賀状が当たるのかァとなんとなく納得。


しかも、実を言うとこの10年ほど年賀状を書かなくなって久しく、返事を出しておらず、土曜もお会いしたがお礼も言いそびれていた。



3等の賞品は、「地域の特産品」であった。


ぐうたら主婦には大変に魅力的な賞品だ。


以前近所の郵便局で、前に並んでいた奥様が当たった年賀状を持ってきていて「特産品」から何かの品物を指定していたのに羨望を覚えていたくらい、此方は小市民なのである。



リストを見る。

コドモのことを考えるとおせんべいなんかでもいいけど。

やっぱりカニ味噌・・・

にして日本酒を飲む、か。



ところで「町会」という二文字は子供と過ごすようになるまで、私の辞書にはなかった単語だ。

環境が変わるといきなり今まで目に入っていなかったものが見えるようになるものだ。


私がその不思議に気がついたのは、昼間に子供を抱いて外に出るようになり、今までろくに顔も見ないで挨拶していた近所のおじさんおばさんたちが「お母さんとお散歩だねえ」などと子供に声をかけてくれるようになってからだ。


そのおじさんおばさんたちの顔と名前が一致するようになった頃、清志郎がラジオで話してるのを聞いた記憶がある。

「若い頃は『近所のおじさんおばさん』になんの感情もなかったが、親になって、ご近所って大切だなあと思った」

そんな内容で、あの反骨の詩人もなんだ、ととても共感した事を思い出した。


気がつかないところで、ご近所や地域にお世話になっているのが私たちの社会だと思う年になった。



町会長には、幸運を分けて頂いた御礼を言うことにしよう。

金曜日、軍曹のクラスの担任が(というか本来の担任が12月末、突然辞めて3学期始めから急遽代理としていらしていた先生)、突然辞めてしまった。


翌日の土曜日は授業参観だったのですぐ保護者にも伝わる。


新しい先生の頑張りで、すこしは落ち着いてきたと思い込みたかったのだが、個人的には新しい先生と生徒、学校側との関わり方や連携の仕方にかなり不安な予兆はあった。


また事態収拾に追われる日々が来てしまった。



こういった事態になった時の弊害は。


*保護者が疑心暗鬼になり、教師不信だけならまだしも、学校不信、子供の人間関係不信、その結果引き起こされる、保護者間の不信。


*学校生活だけでなく、問題行動があるとマークされた子供の過去や家庭の内情にまで踏み込んで噂や中傷が渦を巻く。



二度ある事は三度ある、では困るので善後策を慎重に練る必要がある。


*具体的に、あと終業式まで実質20日間程度の学級経営を保護者総意としてどう考えるか。


*問題行動のある生徒の対応はどうするか、補助教員をつけることは可能か。


*保護者たちも極度の不安と不満を抱えている現在、学校にどう関わっていけばよいのか。



*私個人的には、学校は先生の聖域で、保護者が常時遠慮なく踏み込んでよい場所ではないと考えているが、この期に及んでその基本的なスタンスを変えなくてよいのか。



当分情報の共有と、学校管理職や保護者に合わせた対応をするための試行錯誤が続くと思う。


来年度は校長が変わることも周知の事実なので、教員の人的配置について考慮してもらわなければと思う。



昨日は横浜ストーミーマンデーにロブ・ストーン(fromシカゴ)を聴きに行く。


お客さんも一杯で(といっても20人くらいでしょうか)いい感じだった。


なんかやっぱり「ハマ」は阿佐ヶ谷荻窪あたりとは一線を画すよねえ。

盛り上がる。

私としては、シャッフルって基本ニガテかなあと再確認しましたが・・

というかドラムって重要だやっぱり。

シャッフルに限らずですが。


Keyの子が、横でお客さんと話してるのを小耳に挟んだところ、16才くらいですぐ来週シカゴ帰ったら学校行くって言ってた。


アジア見聞録だね、いいね。

ロブは吹きまくらない、いいハーピストだった。


相変わらず小安田(g)、江口(b)のplayでニマニマする私。

音がいいね!

最高でした。


昨日の夜、友人とボランティア仕事の打ち合わせで阿佐ヶ谷ピッキーヌで会う。

最近会ってなかったので近況なども聞きつつ。


で、その友人の彼氏も来たので色々話してるうち、最近何聴いてる?という話になり、洋モノならミント・コンディションしか聴いてない、新しいのがわからない、というと踊れるのを沢山教えてくれる。

ちなみにその友人たちは20代。

で、めちゃ期待して帰宅してユーチューブってみました。


クリスタル・キャッスル、ソウルワックス、ザ・キルズ。


もう笑っちゃうくらい、ドラッグ、ヴァイオレンス&パンク。 な感じ。


ミント・コンディションばっかユルく聴いてる人間にあまりにも意表をつくタテノリ笑。


そもそもタテだと全然踊れないのだ。

ドラッグもニガテだし。

ジャンキーの子にアナタはナチュラルハイだからクスリやらなくていいって言われたし。


10代の頃を急に思い出した。


ポリス、クラッシュ、マガジン、ティアドロップ・エクスプローズ、エコバニ、アズテック・カメラ、ダイアーストレイツ。


UKの破壊力から身を守ろうとして(?)スピーカーの前に正座でヘッドフォンして大音量で聴いてた。


ジェフ・ベックのアルバム「there and back」 何千回聴いたかわからない。

ハワード・デヴォートさんを愛してた。

ジョー・ストラマーは常に前向きだったと思う。


音楽の好みってほんとにトシを経て変わる。

私は20代でもう、UKの尖ったヴォーカルについていけなくなった。


今も相変わらず聴けるのはジェフ・ベックくらいだ。

歌じゃないし。


とはいえ、カンレキになったら演歌を聴くようになるとも思えない。

意外と「浪曲」とかにハマってたらどうしよう・・・・・

昨日は仕事が休みだったのでPIT INNへ行く。


秋山一将(g) 竹内直(sax flute) 江口弘史(b) 原大力(d)

去年終わり頃別のライブハウスで聴いたのと同じメンバー。

やっぱりピットイン、音がいい。


エグチをピットインで見るのはなんか不思議。

(実は過去も何回かやってるらしい)


大好きなオリジナルが殆どだったが、2set目の直さんと秋山さんのデュオ、美しかった。


秋山さんの「spooky」、歌もほんと素敵。と、江口氏も言ってました。


今年初ピットイン。

人は少なかった(泣)けど、良かった。

ヤなことがあったら、またスグここに逃げ込もう~

昨日朝は、忍者たちを交通少年団に送り届けた後、ツーリングに出る。



次回のサロンコンサートの会場に使おうかと思っている新宿弁天町近くのスタインウェイ・サロンにまず向かう。

下見した結果、条件にピッタリなので予約する。

ベヒとかベーゼンなどの素晴らしい音色のピアノも後ろに並んでいてゴキゲンになる。


その後、武道館の中を抜け、松林の間の皇居内堀を走り(日曜はサイクリング専用ロードなのだ)、晴海通りで歌舞伎座の3月公演をチェックし(豪華な役者陣と演目)、築地の虎杖でランチ。


江東区に入り新木場の先、海の突端のサイクリングロードを走る。

人は殆どいなくて気持ちいい。

潮の香がする。


既に4時間ほど走っているが、午後5時から久々の合気道があるので、その事を波平にたびたびアピールするのだが彼は全く動じない。


此方は時間の経過とともに早く帰って休養しないと、と焦って口数が少なくなる。


それにただでさえ波平のロードバイクのオルベアに私の愛車ルイガノのMBはかなわない上に、午後の合気道の事を考えて六分くらいの力で走ってるから常に波平に遅れをとってしまい、口惜しい思いをした。


冬の間運動不足で、こんなにいきなり体力を消耗したのだから、合気道までやるのはムリだよなー今日はヤメよう、と思い悩みながら走っていたはずなのに、結局約6時間のツーリングを終えて家に戻ると、なぜかすぐに胴着を掴んで家を出ていた。



ずっと稽古がなく三週間も行っていなかったので、合気道の事を考えると心臓がバクバクしていたわりに、意外にも前受身からして大変調子がよいではないか。


体がいつも以上に軽い気がする。


先輩方もスルドク

「久しぶりなのに調子いいね」

と言うので驚く。


ツーリングしてきたと言うと

「あ~体があったまってたんだね」

と妙にフツウに納得して言われる。


じゃ、これから合気道の前はいつも6時間ツーリングした方がいいのか?!

ムリムリ。


「そろそろ緊張感を持たないとね」

とS先生から審査用紙を渡された。


1月も2月も2回くらいしか行けないし、まだ当分、あの皆さんたちの前で「取り」もやるなんて有り得ない。

と思い、イヤイヤをしたが用紙を押し付けられた。


ほおっておこう。



Y大先生に一教の稽古つけて貰う。


確認すること。

一教、相手の腕が持ち上がらないように最後の押さえまできちんとする、ヒジを両手でしっかり角度をつけて挟むこと。
ヒザを相手にきちんと寄せること。



入り身、適当なところを持たず、きちんと首を押さえること。

腕の伸ばしも足の運びも大きく。

腕はしっかり半円を描くこと。

昨日の夜は、西荻アケタの店へ行く。


寛ぐ空間。


板橋文夫3+3 

田村夏樹(tp) 片山広明(ts) 吉田隆一(bs) 外山明(dr) 瀬尾高志(b)



「ハバリガニ」でめちゃくちゃいい感じに始まり、フリーが続く。

ベストメンバーな上、いつも以上にヒートアップしてる。

バリサクの吉田さんが煽りまくる。

板橋さんのピアノが最初からなんとなくクラシックな感じだと思ったら、グリーグをやったりモンポウの曲をやったりする。

モンポウは、ベートーヴェン「悲愴」第二楽章をスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが歌ってるみたいな不可思議な感じ。

一人で大ウケ。


20代の頃、夜N.Y.に着いてすぐジョン・ルーリーとアート・リンゼイのライブに行ったのだが、フリーだし(シラフなら明らかに面白かったはずだ)、夜中過ぎであまりの時差ボケに眠気が襲ってきてしまい、途中で席を立つ後ろから「ベイビー、何で帰っちゃうの?」とジョン・ルーリーにイヤミを言われた事を急に思い出した。


ヘタレ日本人旅行者で本当に申し訳なかったと思う。


ジョン・ルーリーが出てた映画でホーキンスが歌ってたのが懐かしい。




若い頃は、本田竹廣がいればよかった。

認めたくないがその本田さんは何年も前にいなくなった。


そして板橋さんを理解する年になったんだなと昨日初めて実感する。



1部の最後は板橋さんの還暦を祝う曲。


外山さんが「カンレキ!カンレキ!」と叩きまくるので笑う。

クリエイティブで落語並みに面白いgig。


バーボンを飲みつつ、土門拳を読んで2部を機嫌よく待っていると、横にいたスーツでビシっとキメた50代くらいの紳士が片山さんのファンだと話しかけてくる。


生活向上委員会の頃からのファンでサン・ラも好きだそうだ。


なんだか、風貌と音楽の好みが一致せずちょっと絶句していると「フリーばかり好きな訳じゃありません」と言い訳のように仰る。


江古田バディすぐ近くに住んでいるのでよく行く、アケタに来たのは初めてだが一人で来やすい感じですね、と仰るのでその通りですと大いに宣伝しておいた。



Pit innなども勿論大好きだが、アケタのこの独特の「気」はなんだろう。


素晴らしいメンバーで、久々に素晴らしいフリーを堪能した。



う~~ん。

やはりここへ来て。


12月末から、合気道の稽古も殆どないため緊張感もなく、作って食べて飲んでそして宴会の繰り返し、さらにはボランティア関係の急なトラブルで書類書きとか電話連絡とかが多くなりエネルギーを消費せず、しかも風を切ると寒すぎる季節のため愛車通勤も自粛していた。

なので当然の結果なのだ。



遂に自覚症状が出たため、昨日はお昼に神宮にスケートをしに行こうと思ったが、忍者たちが午前授業ですぐ帰ってくる事を思い出したため、とりあえずユーチューブのchoo choo trainでエクササイズ。

8パターンのフリを覚える。

それでもまだイントロ全部マスターしてない、でも楽しい。



・・・なんで私、大好きなダンス系じゃなくて合気道なんか始めちゃったのだろうか。


理由はわかってる。

死後の世界に行く前に一度、未知の世界を予習してみたかった。


今さら昔のEXILEにハマリ「stay」など見たのでnew jack swingの虫が冬眠から覚めて動き出す。


mint conditionをユーチューブで検索すると有り得ない事に沢山upされてる。

ユーチューブって凄い(いまだ凄さに慣れない)。

Breakin' My Heart」のPVを初めて見る。

出てる女の子がスパイク・リーのマルコムXキャップ被ってて感慨深い。

聴き入ってしまいダイエットの時間じゃなくなってた。


mint condition、新作も出ていて相変わらず素晴らしい。

彼ら以降、ダンサブルなグル-プを見つけられない。

最近のR&Bには興味を失ってるから疎い、の悪循環だ。

そもそも打ち込みが苦手な私。



このまま朽ち果てていくのだろうか。

昨日は横浜赤レンガ倉庫のアートリンクへスケートをしに行く。


このイベントが始まって数年、毎年通っているので年に1、2回しかやらないのに体で覚えてる。


行く前は面倒だなあと思うがスケート靴のヒモを締めはじめる頃になると急にスイッチが入って「よっしゃあ!」となる。


最初にリンクに入る時はドキドキなのだが、滑るのはすごく気持ちいい。


といっても勿論まだ片足ずつに重心を完璧に乗せられないレベルです。



基本的に道具が多いのが苦手なので、ユニフォームだけでもあると萎えるからスキーや剣道など論外。


ジョギングやエアロビくらいしかやりたくない。



サーフィンの準備なんかも(特に冬の)めちゃくちゃ面倒そう。


波平は嬉々としてやっていて、それだけで尊敬する。


しかも真冬の海に何時間でも入ってるから人間とは思えない。


だから冬のスポーツとしてはスケートは靴を履くだけだからベストです。



帰りは赤レンガをブラブラする。


最近、モーション・ブルーも行かなくなったなとスケジュールをチェックしたらブッカーTが数日前に来ていた。


横浜が大好きな私。

お台場は行かないんだけどね。


しかし波平によると、去年の「横浜開港150周年」記念イベントの収支が大赤字で責任問題が噴出しているらしい。


そうなんだ・・・・


確かに「ラ・マシン」はエキサイティングだったけど、ニッポン人はフランス人に千年たっても追いつけないという(成熟したポピュラリティという部分で)事を結果的にまた再確認させられた(個人的な主観だけど)だけだし、freeのイベントだったから儲けは出てない訳だし。


兎に角、日本の国家でも自治体でもいいけど行政のアーティスティックなものに対する決定的な無知無関心が改善されない以上、今後もどこでもこういうことになるだろう。



波平は「時代が時代なら切腹もんだな」と言う。


開港前だったら大変だったかも。