今年度に入って、今までやっていたコドモの学校のボランティアと仕事のボランティアのほか、区のボランティアの仕事も請け負ってしまったので、今年は本当に計画的にやっていかないと大変なことになると思う。


どこが大変って、家事だ。


5年ほど前にだと思うが、学校関係のボランティアに大々的にハマる事になってしまってすぐ、傍観者である保護者に言われたコトバがすれ違いざまの「よくやるわね~」だった。


価値観の違う人たちが多くて戸惑うことばかりだった(それはまあ今もだけど)。


流石の私も傷つく。

追い打ちが「子供を犠牲にしないようにね~」だった。


ゼッタイに犠牲にしない、とその時誓ったから、今から思えば「私の闘志をかきたててくれてありがとうございます」だ。


ただし限られた時間しかないのが現実ではあり、犠牲は私の苦手分野「掃除洗濯」に向かったのでございます。



しかしそこは不屈の心臓の持ち主なので、バイブルである金子郁容「ボランティア もうひとつの情報社会」を片手に今年もなんとかドタバタやっていこうと思う。


実際、「好きだからやってるんでしょ」という無神経な言葉(というよりは当人の非協力性を無自覚に言い訳しているのだと都合よく解釈することにしている)などにも「ちょっと違うと思うけど、やらずにいられないのかもね」で返せるようになったし、ふと気付くと最近はそういうことも言われなくなっている。



年度始めの様々な式典で一番印象的だったのは、私もいつお話しても人格を感じる某教育委員の、小学生へのお話だ。


要約すると

『福沢諭吉は「学問のすめ」で「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言っていますが、その後を皆さんはあまりご存知ないのではないか。

それに続けて、諭吉は

「しかし現実には、賢いひと、愚かなひと、貧しいひと、富めるひとなど、さまざまである。

何故その差ができるのか。

それは、学ぶひと、学ばないひとの差である」

と言っています』


そして

『だからみなさん、一生懸命、自分の好きなことを見つけて勉強しなさい』

とわかりやすく仰って下さったのだが、「自分の好きなこと」というのが大事なポイントだ。


誰にでも違う才能がある。



新年度、新しい制服や仕事場などで緊張した面持ちの新人を見ると「古い自分、変われない自分」を実感するトシになった。


すこしづつでも変わっていこうと思う。


今年の私のテーマは

「自分の常識は他人(ひと)の非常識」

だ。


大奥や地域の親父さんの言い分をちゃんと聞くこと。



音楽や本や映画や芝居、自分の好きなことを共有出来る人としか話さなかった、話したくなかった私がここまで変われたのもコドモがいたから。だと思う。

3月末なのでちょっと前のことだが、あまりに可笑しかったので覚え書き。



市川染五郎、片岡愛之助主演の歌舞伎「染模様恩愛御書(そめもようちゅうぎのごしゅいん)」。


表記の漢字と読み方が違いすぎるようだが主演ふたりの名前を入れ込んだ模様。


歌舞伎ってこういうテキトーさが非常に好きだ。


サブタイトル「細川の血達磨」。

「男色」と「忠義」がテーマ。


なんだかわからないがかなりスゴそう。


知人がここだけの話、売れてないということで役者さん経由で1列目のチケットを沢山下さったので行ったのだが、訳あって私は2階席から観覧。


日生劇場ということで予感はあったが完全にタカラヅカ。

歌舞伎座とは全く違う。


シンプルな積み木のような舞台装置で、歌舞伎から外れようと意図したのか本多劇場にいるようでそれはそれで面白かったが、琴と歌入りのバックミュージックが録音の大音響で流れたり、円形のライトがピンスポットで当たったり、効果音も録音でガンガン入る。


結ばれるオトコふたりを障子越しの影絵で表現しちゃったりするので笑いを抑えるのに苦労し、隣りでピンと背を正しずっと座席から身を乗り出してひとりで観賞していたスーツ姿の男性が気になって仕方なかった。


失笑する場面があまりに多かったのだが、印象深かったところも沢山あった。


兎に角テーマが「衆道(男色)」というスゴイもので、江戸時代に作られたのだが一体当時はどんな演出で、江戸庶民はどんな楽しみ方をしたのか本当に興味が尽きない。


どうも本火(ホンモノの火のことだそうだ)を使っていてそれも人気のひとつだったらしいが、今の劇場ではそれは厳禁なので演出に工夫があった。


ディズニーランドのアトラクションのような燃え方をする巨大な階段が最後の方で出現し、ゴーゴーと効果音で火事を表わし火の粉に似せた紙吹雪が飛んだり舞台両袖からシュワーっとスモークが焚かれたりもう出血大サービス。


ハリボテの大きな柱とかが落ちたりする修羅場の中を染五郎が蒲田行進曲並みの階段落ち。

頭が下がりました。


見たことないけど、「ミス・サイゴン」という文字が何故かアタマに浮かぶ。


要は、失笑しながらも「愛は性別を超える」ってな当たり前な事が「忠義」をコーティングしたことで異性愛の一般人にも感情移入し易くなってる気がした。


いつの世も人の心は変わらないものよのうと納得できるお話。


私的にはもっとアナクロな演出ともっと本気な脚本だったら相当泣ける気がする。



2階席から俯瞰で見られて好都合だったし、初めて日生で歌舞伎を見たのだが、花道が半分ほどまで見られるのもとても良い作りだと思う。

歌舞伎座は建替え後にこういう風にはならないのかな。


美しいおふたりは熱演で、一緒に行った友人たちは満足そうだったから良かった良かった。


昨日は仕事の前、午前中にボランティアで時々行く知的障害者施設の「さくら祭り」でミニ・コンサート。

最近は弾く仕事をする余裕が全くないので、久々楽しかった。


ここには色々と才能と個性にあふれた人たちが集っているのだが、Mくんという音楽的感性の非常に優れた人もいて、コンサートの途中、会場の方たちと一緒に歌おうコーナーで、やたらに素晴らしいプロのような声の方がいる。

誰だろうと見たらMくんの横にいる、お母さまだった。

教会でパイプオルガニストをしているという。

彼にももっとその才能を活かせる事が出来るのではないかと思うのだが・・・思うだけでは仕方ない。

お手伝いする余裕がないのが申し訳ないようだ。



施設の音楽好きな方たちのベル演奏もあった。


指揮者である元私の教え子を、瞬きもせず前のめりになり完壁な集中力で見つめ、指示に従ってひとつのメロディを流れるように紡ぎ出す。


そのひたむきさにはどんな人でも胸を打たれるものがあるだろう。


私はそうでなくても、その朝出かける途中、駅前広場で保育園の先生とぬいぐるみみたいな大きさの幼児がレクリエーション的追いかけっこをしているのをちらっと見ただけで切なくて涙が滝のように出たばかりだったので、平静でいるのに苦労した。


終わって、元教え子にそう言うと、「疲れてるんすね」とあっさり言われた。

そうなのか。



終わった後は庭のテーブルの、手の届く高さに咲き誇る桜の下で、施設で作っている美味しい餃子やカレーを頂いた。

欲しそうにしていたのを素早く勘付かれたらしく、手にはビールを握らされた。


今年は忙しすぎて、花見が出来ないかもしれないと未練がましく川沿いの桜を眺めながら来たところだったので、真っ青な空と満開の桜の中ゆっくり過ごせて満足。



素晴らしく人材も設備も整った、居心地の良い施設でいつも楽しく過ごさせて頂いているのだが、お祭りだけあってさらに盛況で、会場全ての飾りつけの豪華さに職員の方たちの熱意を感じる。

といっても、外部の人が来る時だけ頑張る、というのとは明らかに違うのだ。


いくら「よそゆき」に飾っても、必ず関係者の様子や応対で「ふだん」が露わになってしまうものだ。

自戒も込めて。


あまりに忙しくて、書きたいことが多すぎるのに書けない。

ある意味ストレス。


「ストレス」って言葉を知った時からさらにニンゲンは劣化したと思う。



忍者たちの合気道の集中稽古にこの数日付き合って、また色々学ばせて頂いた。


先生方の「教える」ことの水準の高さについて、他のお稽古事も見てまた自分も教える事に携わってきた経験から、通い始めてすぐ驚異的だと感じてきた。


目標を持たせ、反復させ、確認し、達成感を持たせるところまでを多人数を制御する。

その間に絶妙なタイミングで注意を促す。


見ていてホレボレ。

どうしてあんなに素晴らしく人心掌握(まだ「人」にもなってないやりたい放題のコドモ相手に)出来るのか。


「教育心理学」などの専門科目を修めているのに集団をまとめられない事が多いのが、自分も含め私が今まで見てきた現実なのに。



そのナゾをこれから解き明かすのが楽しみ。

そうでなくても基本的なワザについては見ているだけで私自身も勉強になるし、「教える」事に関してもモチベーションが上がるのだ。



集中稽古の最後に、中学三年生は少年部から「卒業」し、小学生の頃から頑張ってきた子たちは初段の免状をいただいていた。


27年間も指導に当たって来られたS先生と、若いN先生も今回少年部を卒業されるそうだ。


S先生は「私は口下手だから」と仰っていたが、キビしくも熱心な指導から多くを学ばせていただいた。

コドモたちはわかってるのかなあ。


ホンモノの忍者のように畳の上をクルクル回転する色帯軍団を目を円くしてみていたのも一年前。

当り前のように忍者も軍曹もクルクル回れるようになった。



開祖の書かれた素晴らしく大らかで愛に溢れた「合気道」の軸を見ながら、色々とジタバタしながらも一年経ったことをしみじみ思った。

歌舞伎座が四月末をもって閉まる。

すっかり忘れていた。

大変。


ということで早速、松竹へTELするが三月四月、全ての席がソールドアウトだった。


ということは、今まで恐れ多くて利用しなかった「一幕見」というものしかない。

あそこは「通」の行くところであると、なんの知識もなく頑なに信じてきた私。

ま、「天井桟敷の人々」からの連想なだけだけど。

さらにいえば実際にその辺り”大向こう”から「まつしまやぁ!」とか声が飛ぶわけだし。


3部の中から吟味して、「白波五人男」目当てで2部に行くことにする。


一幕見は前売りナシ、全て当日並んだ順で入れるという、最も原始的、アナクロな私好みのシステムだ。


2時チケット発売というので、12時半前に正面に着いたら10人くらいしか並んでなかった。



「利休にたずねよ」を読みながら待つ。

この本、全く作者も知らなかったのだが、友人宅でかなり酔っての帰り際、ダンナの書棚で目に留まったので失敬してきたもの。

いつもそこではイサムノグチやバウハウスなどの刺激的な本を勝手に借りることになっている。


特に期待してなかったのだが面白い。

武将や僧たちと利休の丁々発止の心理戦に臨場感があるし骨董も活き活きと描かれている。


ただ利休の才能の中でも「艶」に重きを置きすぎてて、それはいいのだけどその「理由」がただただひとりの女である、というプロットが私には合わなかった。

特に利休に関しては野上弥生子の「秀吉と利休」という私にとってのバイブルがあるので見る目が厳しくなってしまうし。

ただ骨董初心者としてはさらっと読みやすくていいと思う。

登場人物の古田織部に興味を持った。

井上靖の「本覚坊遺文」を読み直そうと思う。



秀吉に疎まれた利休といえば、これから見る「手習鑑」の菅丞相も、政敵の陰謀で悲劇の末路を迎えることでは同じ。


気分も高まったところで開場になった。


1列目の中央に座り、壁面や照明、天井など見回してみる。

もうすぐ取り壊されて、隈研吾の手によって新築されるという。

「現在ある祝祭空間としての雰囲気を残したいので殆ど変えない」そうなので楽しみだ。


改めて見てみると天井はシンプルで面白い。

欧米に比べて日本には格子のほかにはいい天井の劇場やコンサートホールが少ないと思う。


歌舞伎座の天井は歌舞伎でいうと「助六」のような「粋」、定式幕に通じる大胆な日本らしさを表わしていて気持ちが良い。

芝居小屋の象徴のような赤提灯や綴れ織緞帳などの繊細さと対照的だ。




最初の演目は手習鑑のうちの「筆法伝授」、シブい、シブすぎる。


そもそも今月は手習鑑の名場面を3部の中に分けて入れるという変則的なもので、筆法伝授は派手な所作も少なく淡々と心理描写で終わる感じなのだが、仁左衛門が登場するとさすがに華麗で格調高い。

梅玉も少し重たい感じだがいいし出演者全員安心して見ていられる感じ。



たまらなく文楽が見たくなった。

勿論蓑助さんで。



で、お待ちかねの「白波五人男」。


至福です。

吉右衛門格好良すぎ。

こんなにもいいオトコがいるニッポンて、やっぱりいい国だ。

菊五郎もトシ取ってもキレ味は冴える一方。

若い頃の、お姫様の可愛さから一転してのフテブテしい豹変ぶりもゾクゾクしましたが。


このふたりに左團次、梅玉、幸四郎で勢揃い。

かなりの狂喜乱舞でありました。


波平は肩の骨がむずむずとカユくなったりして日に日に良くなっているようだ。


昨日は朝起きて

「鳩山邦夫が自殺した夢見た!」

とコーフンしていた。

そんなに中川さん(元財務大臣)の自殺がトラウマだったのか。

な訳ないけど。

クニオはぜったい死なないだろう。


大して政治に興味もないのに毎朝私に付き合ってすっかりテレ朝の玉川リポーターにハマってる波平である。



生徒さんの皆さんや職場関係者にはご迷惑ご心配をかけ続けてるし、私自身も年度末だったこともあり、関わってる某巨大企業のミュージックスクールの仕事が山のように溜り(早目に片付けてなかった自分が悪い)馬車馬のように仕事を全て片付けた。


その間、「教える」という事の本質、その周辺問題に改めて考えさせられた。


結論としては、やはり私は自分自身常に考え続けているやり方でしか、仕事は出来ないし、その技術的な面に関しては向上すべき事柄も多いし日々検証しなくてはいけないけれど、「方向」は既に固まりつつあり、それをよく自覚しながらやっていかなければ無駄に感情的に不安になったりして生徒さんにも不利益が多いと言うことだ。


具体的には、企業批判になるので書かないが(ふだん批判しか口をついて出ない性格だから、基本このブログでは素敵なことしか書かない事にしてるので書かないのォ ゴメンねェポンちゃん ほほほ)。


ただ、前にもどこかで書いた気もするけど、兎に角お稽古事、習い事というのは教師が全て。


さらにいえば、枝葉末節ととられるかもしれないけど教える側教わる側の相性も絶対に大事なので教師を見ないでそこへ行く事に決めるなどということはしてはならないのです。

めんどくさいのでとりあえず終わり。



そんなことより、春も近づき、友人たちの身辺にも変化が起きている。

お義父さまの具合が悪くて遠方まで通うことになったり。

そういう年代になりつつある。


「時は過ぎていくね」と返信して、ふと気付いてユーチューブ検索。


当然ありました、金子由香利

「時は過ぎてゆく」

シャンソンはフランス語がニガテだけど素晴らしい歌が沢山ある。

こんな歌詞だった。泣ける。


眠ってるあいだに

夢見てるあいだに

うたってるあいだに

時は過ぎてゆく


それでも私は歌に生きる

それでも私は愛に生きる

私はうたう あなたのために

時は時はあまりにみじかい


31回目(2月28日)、32回目(3月14日)の合気道。


仕事、子どもの卒業準備、その他にも諸々あって、1月から3月までは2回ずつしか行けない。


31回目は覚え書きもしなかったのだが、体調も優れなかったわりに切羽詰らず出来たような。


というのもがむしゃらじゃなく、なんとなく力を抜くことを覚えたのかもしれない、マズい。


呼吸投げを色々やって、Y大先生直弟子という感じのセルティック先輩が手加減しながら私にとっては強烈に投げられ続けた覚えがある。


終わって、いつも優しい二段のモン先輩に

「何級だっけ?級のあいだは楽しいわよねえ」

と言われた。


ええ-っ


前にも「今日は久しぶりだから来るのが怖かった」

と言われ、大変がっかりしたのだが、またまた。


上手くなればなるほど怖くないのかと思ってたのに。

上手くなればなるほど楽しいのかと思ってたのに。


・・・しかし確かに何事も少しずつわかってくると、底なしヌマが見えてくる(悪い表現だ、奥が深い、といえばよいのね)ということだろうか。


32回目、行ったらなぜか近々審査をするという前提で色々言われる。

聞いてないのだが。


その辺り、本当にアバウトな感じでなおかつ有無を言わさない感じがマゾ的にはぐっと来る。


よく聞いたら4月の一週目の日曜が審査日なのだそうだ。


「もう1年やってるよね」

S先生に言われる。


その静かな圧迫感に押され、思わず「ハイ」と言ってしまってからまだ9ヶ月なのを思い出し、「違いますっ」と叫んだが「週3日稽古してれば3ヶ月で級取れるんだよ」と笑っていない目で言われ、受ける覚悟をする。


体育館を個人的に借りて、忍者と軍曹に稽古をつけてもらおうと密かに決意する。



で、いつになく必死に、技の名前を言われたらすぐ動けるように、一教、四方投げ、入り身投げを大先輩に相手して貰ってやりまくる。



この日の午前中に、忍者たち少年部の稽古を久しぶりに見学させて頂いた時の指導がいつものことだが大変素晴らしかった。

それを思い出して参考にしながらやってみたりした。

座技呼吸法の手と腕の返し、ひねりは入り身の最後のところなど色々なところに応用できること。
そうだったのか、と思った。

終わって、更衣室で二段や三段の方たちも一緒に受けるので

「一緒に頑張りましょうね」

と声をかけてくださる。

かなり嬉しい。



覚えておくこと。


[正面打ち一教] 

肘は決して離さず摑む位置をすぐキメること。

最後の押さえまで気をゆるめず。

常に膝行で。

ウラは最初から決めず、正面で受けてから。



[正面打ち入り身投げ]

最初の相対した時、受けが打ちかかってきたらすばやく入り身する。 基本一歩で。


入り身の時の受身が後ろ受身なこともあり、すごく気持ち悪くなると訴えてみる。


S先生は、あまり大きく振り回されないように、そもそも剣で打っていくのだから芯がしっかりしていなくてはおかしいのだからといわれる。

次に相手してくださったO先輩は、後ろ受身の取り方がそもそも間違ってないか?頭を打っているのでは?と提案してくださり、よく考えると言われた通り、手をつくのが後になっていた。

ゼッタイに頭を打たないよう、首でしっかり支えること。

がんばってみようと思う。

入り身投げはとても難しく感じる。



[片手取り四方投げ] 

一教と同じでオモテ、ウラを決めてかからないこと。手の返し(これが慣れないし難しい)がうまく出来ると取られた手を外しやすいからやりやすい 



全てにおいて基本的に大事なことは、動作は急がず、丁寧に。

座技呼吸法も久しぶりにやった。膝行をよく使うこと。

あなたにとって「愛」とはなんですか?



と、J-WAVEのCMで訊いていた。


訊かれた方は「なくてはならないもの」とか「希望」とか「夢」とかいろいろ答えてた気がするが、よくは覚えてない。


全く恋愛に興味がないのだが、「恋」については小学生頃から「自己陶酔」だと勝手に確信していた。


しかし愛は確かに恋とは違う気がする。



「自己犠牲」しか思いつかない。



とイトコに言ったら

「食欲」

と即答してきた。


・・・・時々思うがやはり凄い人だ。



このトシになって、なんとなく気になっていたら鈴木大拙が書いているのを数日前に見つけた。



『愛とは他を認めることであり、生活のあらゆる面において他に思いを致すことである』


さらにいえば、

『互いに関係をもち、互いに思いやるという考えは、力の観念を排除する。

力の行使は常に専断・独裁・疎外に向かう。

近頃憂慮するのは、力の本性を見抜けないので、それを全体の利益の為に用いることのできぬやからが、力の概念を不当に買いかぶって主張することである』


全ての文脈が染み入る。

その通りだと思う。


来年度のボランティアでの目標は『不当な力を行使しない』、これしかないな笑。


その、12月頃から一大懸案だった小学校の諸問題に関しては、春を待たずして極秘だけれど大きな朗報が届いた。報われる日々です。



ただ、いつも疑問に思うのは、オウムの時もそうだったけど、宗教界があまりにも現世への介入をしなさすぎること。


日本の宗教的思想・実践の英知は何故「俗」に沈黙し続けるのだろうか。

その体質からマスメディア対応が遅れている、または遮断しているだけなのか。

実際問題として変えることの難しさを達観しているから行動しないのか。

行動しないのが宗教なのか。

自分自身無宗教なのでよくわからないが、とてももどかしい気がする。

サラリーマンやOLさんに囲まれて早朝(といっても7時頃だから大したことはない)丸の内線とJRを乗り継いで病院に通うことになり、いつも出勤は昼か夜の私としてはもの珍しい新鮮な気持ちになった、のも3日目だ。

最初の2日間は周りの景色にも特に何の感情も起きなかった。


JR総武線を千葉方向に向かって左側の窓の外を見ていると、御苑を過ぎて外堀になる。

道路の代わりに深緑の水面が現れ、日差しをうけて光っている。

その向こうのお堀の斜面に、桃色の花が咲いたり丸く刈り込んだ小ぶりの立ち木が並んでいる風景が続く。

春がもうすぐ来るなあ・・・と波平が集中治療室に入って3日目の朝、急に感じた。


波平は歩いてトイレにも行けるようになっていて、点滴を吊るした車輪のついたものを押しながら行くのだが、

「それがよく動かなくて持ち上げて歩いてたら看護士さんが『ごめんなさいねえ、ちゃんと動かなくて。ここは基本的に歩ける人はいないところだからこれはあまり使わないから』って言われたんだよ」

と複雑な顔で言う。


日に日にむくみも取れて顔にも生気が戻ってきていたし、食事も2日目の夜、忍者と軍曹を連れて行ったらいきなり普通食を食べていた。


心肺機能も血圧も全く問題なく、検査は毎日丁寧にして貰っているが異常は殆どないという。


忍者と軍曹は、救急で運ばれた最初の電話の時から2日間知らせず、久しぶりに会いに行ったら殆どの計器も既に体から外され、とても元気そうにぱくぱくゴハンを食べている本人を見ただけなのでとくになんの感慨もないようでキャッキャとベッドの横で遊んでいた。


それでも急に

忍者「ね~そんな高いとこから落ちて、また仕事するのこわくないの?」

軍曹「それってトラウマにならない?」

などと、私にはぜったい訊けなかったことを無邪気に聞いた。

コドモってすごい。

波平も

「トラウマなんてよく知ってるなあ」

と笑っていた。



私も3日目には余裕が出て、朝の面会の後、近くを散策などしてしまった。

しかし、これだけは後々のために書いておきたい。

波平がICUを出る日まで、私6日間禁酒していたのです。

特に禁断症状もなかった。


それはともかく病院を一歩出るとそこにはニコライ堂があり、楽器と本とディスクユニオンで山盛りの、私にとっては理想の街。

不謹慎だがこのような非常時でなければどれだけ買い物意欲を極限まで刺激されていたかわからない。

と、昨日まで禅の本に感銘を受けていた同じ人間とは思えない相変わらず私は欲にまみれた人間であった。


何はともあれ散策の締めは、ロシア正教のニコライ堂で蝋燭をあげて波平の無事を感謝する。

八百万の神を信仰する私、なんと日本人らしいのであろう。


波平は血液中の酵素の値だけが全身打撲のダメージで異常に高いので、それさえ良くなればすぐ退院出来るということだったが、実際7日目の血液検査の結果が急激に良くなっていたので集中治療室から「いつ出ても良い」と言われ、いきなり「帰りたい」と電話がかかってきてすぐ退院となった。



そして家に戻ると、「適度ならいいと先生に言われた」と御機嫌でビールを飲んだり、私が久しぶりに楽しくブログを書いていたら後ろから「洗いものしないの?」とか「洗濯もの干さなくちゃね」とか遠慮がちに言ってくるので「シュウトメみたい」と嫌味を言ったら「あら、わるかったわね」と言ったりして充分寛いだ療養生活の様子である。




思い返すと、病院で波平に会うまで心臓はすごい勢いで打ってた気がするが泣くヒマも震えるヒマもなかった。


その1週間前くらいからボランティア仕事で揉めていて色々な人との対応に忙しく、日曜は波平が洗濯物や洗い物もしてくれ、火曜の朝もお弁当を作ってあげられず、お昼頃かかってきた携帯にも他の電話があり出られなかった。


もともと波平は朝がとても早いから、夜の仕事が多い私は体が資本の波平のことを考えてお弁当を作りたいが睡眠時間が少ないと辛い時も多い。


基本は波平が必死で私を起こすのだが(「ねー市川団十郎ってどうしてモテるの?」とか私の目がパッと開きそうな事を言ったり涙ぐましい努力をしている)、以前ケンカをして朝見送らなかった日にちょっとした切り傷を負って帰ってきたことがあって、それ以降は起きられる朝は絶対に気持ち良く「気をつけていってらっしゃい!」と送り出すことに決めていたのに・・・・

それをしなかったからだ・・・


このまま彼が喋るのが見られなくなるのは耐えられない・・

そんなことになるはずはない。

なるはずはない。


と電車の中でうわごとのように考え続けた。


病院へ駆けつける時、私がしたことといえばお財布と携帯を持ち、本棚に行って本を三冊つかんでバッグに入れたことだけだった。


岡倉天心と漱石を取り出そうとして数秒迷ってやめ、結局頼ったのは秋月龍珉の鈴木大拙入門書と、大拙の「禅と日本文化」、それに臨済録だった。


なぜ禅だったのか、無心や悟りとはほど遠い私なのに、だからこそ惹かれるのか、秋月龍珉の「鈴木大拙の言葉と思想」はとても安心できる本なのだ。


見聞覚知を空却せば、即ち心路絶して入処なし(黄檗禅師)


霊魂とか来世とかいったものが苦手だから、秋月龍珉云うところの唐代の禅の端的性、直下性が私にはわからないなりに性に合うのだと思う。



集中治療室の面会時間は短い。

入院した日は夜10時過ぎにまた面会出来たが、それ以降は朝7時半~、午後3時~、夜6時半~からの各1時間のみ。


入院2日目もまだ心配で、朝の面会の後、揃えるものを近くのジーンズメイトなどで購入した後はずっと病院の待合室で大拙などを読んで過ごした。



大拙は「達磨と慧可」の安心問答のことをよく話したという。

雪舟の一度見たら忘れられない強烈な絵、「慧可断臂図」のあれだ。


慧可が達磨に問う「自分はまだ安心ができない。どうしたらそれが得られるのか」

達磨「不安だというお前のその心を持ってくれば安心させてやろう」

慧可「心そのものがついに得られない」

達磨「そこだ。そこにお前の安心があるではないか」

そう断定されて慧可は安心を会得した。


この中で、「心を求むるに了に不可得」で終わってはだめである。

最後の「汝がために安心しおわれり」の断案がなければならないのだ。

と大拙は常々言った。



渡辺照宏著 「仏教」の一節にもこういうところがある。


僧侶がお経をとなえながら死人の周りを回ると良いところに生まれ変わるという風習について、弟子が仏陀に質問した時、仏陀は反問した。

「大きな石を井戸にほうりこみ、『石よ浮いてこい』と唱えて歩けば浮いてくるか」

「いえ浮きません」

「なぜか」

「石は沈む性質のものだからです」

「それと同じことで人はその生涯における自分自身の行為によって死後の運命が定まる。他人が変えることはできない」




大拙の最期の言葉は、日系二世の弟子の問いかけ

「would you like something, sensei?」

に対して、

「no. nothing. thank you」

だったそうだ。




死ぬことばかり考えてるのに全くその覚悟が出来ない私。

まだまだ死ねないと思う今日この頃である。


まあ、皆から「アナタは死なない」と言われているけれども、まずそれを実践したのが波平だったとは。


急激な復活を遂げ、月曜には退院し自宅静養になったのに、ストーブに灯油を入れたりと既に家では働いている波平である。