(記憶を遡っての記述です)
実際には妹には5/7時点で知っている限りの話をし、入院生活やリハビリ生活が少しでも快適に、前向きになるように、と色々なものをネットでポチリまくっていた:
- 写仏、マンダラ塗り絵 …ステイホームのさなかで、この手の本はあちこちで売り切れしており、在庫があるところを何とか探した。が、実際は本人には使ってもらえず、家族がメンタルの維持に使用。
- 入院中売店や院内を歩いたりする時に使えるポーチ …歩くにはすごく集中力が必要だったらしく、ポーチ持ちながら院内歩く、なんて論外だった様子。
- ニット帽 …色々な素材の色んな色で。でも結局使うのはいつも同じものだったりした。
- 気分が明るくなるような色のパジャマ …病院のパジャマを着ていた方が看護師さんらにはわかりやすいから、と使ってもらえず退院後に家で使うことに。
が、それを父母には言っていなかったので、
母も妹から何も連絡がないと。
そこで妹と相談して、
そして母からの返信にはやはり入院のことには触れられていず、
うん、来年は母の日を皆でやろう!
手術当日の流れおよび術後の放射線と抗がん剤治療の説明を聞いた。
コロナ対応下ではあるものの、手術当日は短時間ながら術前はガラスの扉越しに手術室に向かうところを、
また膠芽腫患者に対して行われている治薬試験ギリアデルの資料・同意書ももらった。→これに対する先生の意見も聞き、家族で考え、調べて、結局これには参加しないことにした。
放射線治療が終わって退院後にする電波療法オプチューンの資料ももらい、利用の有無を検討することに。
説明の後、看護師さんにお願いし、
私の顔を見るなり涙流す。
そしてトイレのペーパータオルをメモ用紙にして「私、悪いの?」
涙が出そうになるのをこらえて「うん、ちょっと悪い」
再び母涙。
ガラス越しになんていえばいいのか…。
「詳しく聞きたい?」と聞いたら、
それ以上詳しくは言わないことにした。
「妹に言ってもいい?」と聞いたらこれも「うん、任せる」とのこと。これでオフィシャルになった。
妹には手術当日に母と会ってもらうことにした。
母の現状については手術前に、父から弟と母の姉(私の伯母)
手術は14日。
ここで関西に帰るのも中途半端なので手術日翌日まで実家に滞在す
そこから数日間、近隣の神社などにお参りし、
by 姉