おはようございます、沙久良です桜

 

6月29日より5日間休みを取っております。その為、メールへの返信等は7月4日より行いますメール お待ちくださいませ。

 

今日は久々に何もない休みだ~音符 とりあえず寝ようぐぅぐぅ ひたすらに寝ようふとん1ふとん2ふとん3 そして起きたらマンガ読むという、ダラダラした1日を堪能しますニコニコ

 

今日も鹿の王の末裔の続きです神社 

 

 

 

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三朝神社参拝後、昨日の夕方と同じく山間部の道を通って鹿野町へと向かう車

 

「昨日見た神社寄ってみる?」

 

「うん、寄ってみよう!」

 

 

そう言って車を停めて向かった神社は、扁額の御名もなくなんという神社かは不明だった神社

 

「地名から検索すると、俵原神社かな?祀られていらっしゃるのは、素戔嗚尊らしい。」

 

近年まで荒神社と称され、明治初年度に俵原神社と改称したこちらの神社、森の中にぽつんとある感じがジブリっぽいねと2人で話した桜花

 

 

「あ、見て!ハートな草があるよ!」

 

ぽにょちゃんが指さす方向には、こんもりとしたハート型の草の茂みがあったグリーンハート

 

「好きそうだね、こういうの。」

 

「うん、好き。可愛い~!」

 

上機嫌のぽにょちゃん花 呪詛解きが進む度に表情も明るくなり、身体も小さくなる。

 

「また縮んだ?」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。」

 

いつだったか、急に体が浮腫み始めて膨らんだぽにょちゃん、漢方内科での受診も受けて溜まった水分を外へと排出してはいたが、昨晩から今日にかけての縮み具合は驚異的だなと思った。

 

(溜まるって滞るだもんなぁ。体内の水分が溜まったり、巡りが悪くなると滞るから、人の生体エネルギーも弱くなるし、そうするとオーラも弱くなって憑きやすくなるし、悪循環よね。)

 

一気にそれが身体に出れば分かりやすいが、徐々にだと人は慣れて気付けない。体調の悪さも不運さも、徐々にだと気付けずに深みにはまって行くのは怖いなと思った。

 

(で、慣れちゃうとそれが良くないんだって気付けないんだよねぇ。でもって、気付いても直ぐにはなかなか変われないかな。だって徐々に悪くもなったしね。)

 

この仕事をしていて一番難しいと感じる事は、不運な人にそれは不運なんだよと伝える事だ。不運に慣れてしまうとそれが当たり前で気付けないし、伝えても分ってはもらえない。コンっと跳ね返された言葉を、分からないならいいんだと仕舞うしかない。後はただ成り行きを傍観しているだけ。

以前はそれを必死で気付かせようとしていたが、それは相手を無理やり変えようとする行為なので良くはない。良い事をしている様で良くないという矛盾、結局伝えて相手が望むか望まないか、望んでもそれは本心なのかを見極めないといけない。

 

(ぽにょちゃんは気付いてくれて良かった。)

 

気付いたのなら、そこから少しずつ変われる。ちょっとだけの疑問は、大きな波紋になって広がり、我が身を振り返り、過去の出来事も振り返れるからだ。渦中にいるとなかなか分からない事も、少しだけ離れれば全体がみえてくる。そこからなんかおかしいとか、これって違うんじゃないを探して修正していけばいいのだから。

 

 

(素戔嗚尊の荒ぶる力は、そこも気付かせてくれるんだろうなぁ。)
 
荒ぶる力は荒ぶる風のように、全てを一旦浮き上がらせて必要な事とそうでない事、自分にとって良い事とそうでない事に分けてくださるのかもしれない。
 
(それに人は、窮地に陥った時に本性が現れる。)
 
奥底にどれだけ鎮めても消える事のない影が浮かび上がるからだ。もちろんそれが悪いとは言わない。誰しもある事だからだ。それをどれだけ理性で抑えられるか、先を考えて行動出来るか、自分だけではなく全体を観れて考えられるかによって行動は変わるだろうし、人それぞれ器というものがあるから、出来る出来ないも個人差が大きいだろう。
 
(後、成功した時も。)
 
この場合は天狗になるとでもいうのか、自分は偉くて凄いを勘違いとしてしまう。そして、それを傘に着てしまう。それでは一時の成功と安らぎしかないだろう。こちらもまた本性が現れる。
 
(適度な戒めや、適度な臆病さは大切よね。怖いと思うからこそ注意する。気を適切に使う。だから…。)
 
 
 
 
だから荒神は必要なのだと思う。
崇め奉り、祟り神を賢き神へと変える祈りも必要だと思う。
 
 
 
(人の上に存在し、人を常に視護る存在(もの)、それがあるから振り返られる。自らが一番であると勘違いを起こさない。)

 

 

ぐるっと左回りに回った本殿は、雨風や雪を避けるように囲われていた神社

 

「あ、雨降って来た。」

 

見上げた時に顔に水滴が当たる。台風はこちらへ向かって近づいている様だ台風

 

 

本殿横を見れば、晴れ間がある晴れ 天気雨の様だ雨

 

(これは憐みの雨なのだろうか、それとも喜びの雨なのだろうか?)

 

哀しみではないよねと思いながら手の伸ばし、雨粒を受けた。掌に落ちて弾き、やがて広がって染み入る。湿った掌が、日の光を浴びて輝いた虹

 

(それをどうとるかは、私次第という事か。)

 

ならば喜びの雨だなと、流れる雲の隙間から覗く空を見上げた。きっと鸞の為の雨だ雨 憎しみの気持ちを解き放ち、また再び在るべき場所へと戻れる前の喜びだろう。

 

 

眩しい日の射し込む拝殿に戻り、泣いた後には笑顔になるよねと頷いた。きっと素戔嗚尊もそんな風に思い、教えてくださったのかもしれないキラキラ

 

(ありがとうございました。では、行ってまいります。)

 

深々と頭を下げて、神社を後にする。また雨が降って来た雨

 

「天気雨だよ、ゆうほりん。」

 

「そうだね、虹が観えるかもしれない。」

 

雨が降るから見えない光が虹色で見える、だから雨も悪くはない虹

 

「さて、鸞の神社はどんな神社なんだろうね?楽しみな様な、そうでもないような…。まあ、行けば分るか。」

 

「うん、行けば分るよ!」

 

また車に乗り込み、ワイパーを動かして雨粒を飛ばし、鹿野町へと再び向かった車

 

 

 

続く~神社

 

 


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