おはようございます、沙久良です桜

 

今日から3日間鳥取・岡山・香川・愛媛へと出張しております車 メールへの返信等は、帰宅後2日間休みを取りますので24日より行いますメール お待ちくださいませ。

 

今日も鹿の王の末裔続きです神社 あくまでネタとしてまとめておりますので、全ては書きませんのでその辺りは想像で補ってくださいませお願い(ぽにょちゃんは分るから大丈夫!)

 

 

 

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亀井茲矩が鹿野城の鎮守として須佐之男神を祀る城山神社神社 明治には出雲大社から大国主大神を、昭和には亀井茲矩を津和野より勧請して合祀したそうだ。

 

(おそらく一番亀井茲矩とコンタクトが取れやすい場所。そして、ここで呪詛の大元の正体も分かるだろう。)

 

青白い顔のぽにょちゃんを先導し、神社に向かう。

 

 

神社を尾を上げて威嚇体制で護る狛犬たち。けれど、今は嬉しそうに尾を振る姿に見えた。

 

 

その狛犬たちが護る四つ目結の神紋の彫られた社の中に入ると、小さいながら精緻を極めた彫刻の社が鎮座していた神社

 

「すごいね。」

 

「うん、すごい!」

 

目を見張るものだけはある社を、ぐるりと反時計回りで間近で見る事にした。

 

 

「何体龍がいるのだろう?それに他の動物もたくさん彫られてる。」

 

「亀井茲矩は動物好きだったのかな?ふふふ、私と一緒~。」

 

青白い顔をしながらも、嬉しそうに動物の彫刻を見ては数えるぽにょちゃんの姿は、10歳前後の少女の様だった花

 

(トラウマが残っている人って、その人が傷ついた歳に戻る瞬間があるけれど、ぽにょちゃんが一番深く傷ついた歳の頃の姿なのかな?まあそれは呪詛とは関係がないけれど、呪詛の大元が出ようとしている時って、穢れも同時に溢れ出すから、過去の嫌な記憶も今、たくさん蘇っているんだろうな…。)

 

呪詛だけではなく、サイキックアタックなど精神的攻撃を受けている時も、過去の嫌な記憶を思い出す事がある。心の奥深く、自分でもどこまで深いか分からない深淵の底、闇の中に静かに沈めた記憶、それが音もなく蘇り今の自分を苛む。

苛まれても終わった事なのでどうしようもない。それをプラスに捉えて記憶の中でやり直せる事もあれば、そう出来ない事もある。

 

出来ない事の多くは、自分ではない出来事だ。

自分が関わって多くの失敗や過失を招いたけれど、それはやり直せないと思う時、人は絶望に立たされるのかもしれない。

起った時はそうするしかなかったし、他に出来る事もなかっただろうし、きっとそれがその時の最善だったのかもしれない。それも最悪の中でのまだマシな最善で本当の最善ではない。

 

時が経ち、何にも脅かされる平和になり心を取り戻せば、その最善が本当に最善だったのかと思う様になる。

良心が己を苦しめる。

知らなければ良かった、気付かなければ良かった、人の心など取り戻さねば良かったと思うまでに…。

 

 

 

語らぬ亀井茲矩に、彼は鳥取城攻めを経て鹿野城主となり、人としての心も取り戻したのだろうと思った。そして同時にその人の心が、彼を苦しめたであろうという事も。

 

 

 

(だからこそ、誰よりも平和を願ったんだ。願ったからこそ、中央に麒麟を置いた。黄龍ではなく、草を踏む事すら涙する麒麟を…。)

 

 

 

彼自身は戦場で虎となり、龍にもなった事だろう。

けれど本質は麒麟なのだ。

誰よりも平和を願う人、それが亀井茲矩。

そして己の力量を過信も過小もしない武将。

 

 

 

(争わぬ為に争うって矛盾ね。望む平和を得るのにも戦わなければならなかったでしょうし、若い頃は尼子氏再興を掲げ、己の本当の気持ちすら知らなかったでしょう。豊臣秀吉に仕え、徳川家康に仕え、戦国の世から泰平の世へ変わって行く中で、自らを取り戻したからこそ日本ではなく、他国の神仏の加護を求め、心の慰めとし、苛む己の心を抑えるように、鹿野の発展に尽力を注いだ…。)

 

 

くるりと巡り、最後の社の側面は獅子だった。

 

(獅子は我が子を千尋の谷に落とす。這い上がって来た生命力の高い子のみを育てる、そこから転じて深い愛情を持つ者に敢えて試練を与えて成長させる。

亀井茲矩は己が生涯苛まれたであろう傷を乗り越え、それでも慈愛を失わぬ子孫を求めた。一代では消しきれぬ因縁を、己の善意を注ぎ徳とし、次の代へと受け渡しながら繋ぎ、それでも尚消えぬ禍根を断つ為に。なので呪詛の大元は……。)

 

 

 

 

 

『麒麟の哀しみ、鸞への謝罪。』

 

 

 

 

 

低く響き渡る男性の声と共に、脳内にその声の主の記憶が走馬灯のように流れた。

 

 

 

 

闘いの日々、飢える人々、人が人を喰らう姿、解放され、喜び粥を食んで死にいく姿。

籠城より火計を。

植え死ぬよりも死者を少なく、戦いは短期決戦で。

 

燃える人見、燃える町を見、燃える山を見た。

命が燃える臭いがする。

嫌な臭いだ。

けれどもこれは必要な事。

 

…本当に?

本当にそう思うのか?

 

なれば戦いで死ぬのは良いのか?

刀傷は名誉なのか?

君主を護って死ぬは誉か?

 

…いや、迷うな。

迷えば己が死ぬ。

己が死ねば己が護る民が死ぬ。

死んではならない、今はまだ。

生きろ、生きろ、行き抜けこの世を。

 

…けれど生き抜く為に己は何を欺いた?

誰を貶めた?

 

いや、生きよ。

何が何でも生き延びよ。

民にとって何が一番かを考えよ。

己のみ反映するのではなく、この領地と民が末永く幸せである事を考えよ。

子孫代々反映し続ける事を考えよ。

その為に生きよ。

 

生きて駆け抜け、いつか魂が天へと召されるまで。

その時行く先が極楽か地獄か、そんな事はどちらでもいい。

己がしてきた全てがそこに表れる。

その時初めて己は人に戻れる。

 

…けれど子孫は?

これは己一代で終えれる事なのだろうか?

それとも続くのだろうか?

己が積み重ねた徳でも、その後の子孫が積み重ねた徳でも、それでも返せぬ時はどうする?

 

ならば残そう、記憶を。

ならば残そう、軌跡を。

それを辿れる者が生まれるまで、それを還せる者が生まれるまで、魂の一部はここに残す。

 

…けれどそれが出来る者は、きっとそれが出来るまで苦しい思いもするだろう。

心の一部は死んでしまったかのように陰っているやもしれぬ。

それでも成してほしいと願う。

成せる者として成長するまで、その魂を心を、千尋の谷へと落とす。

 

…這い上がって来るだろうか?

這い上がれぬ者もおる事だろう。

もしかしたら、血が途絶えるやもしれぬ。

いや、血は途絶えぬ。

必ず護ってくれる。

どこかで血は繋がっていく。

 

なぜなら必ず、麒麟と鸞が護る。

彼らの哀しみを癒し、崇め奉り天にお還りいただくその時まで、許しを請うその時まで、必ず護ってもらえる。

 

 

 

 

『だからこそ、我はここで待つ。』

 

 

 

 

鹿の目のような済んだ瞳は、鹿野城下、そして日本海、さらにその先を観ていた。

 

 

 

 

(ああ、やっと亀井茲矩と繋がった…。)

 

亀井茲矩、その魂へと触れれた瞬間だった宝石白

 

 

 

続く~神社

 

 


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