おはようございます、沙久良です
小春日和からの気温急降下 その上黄砂が飛んでいる…。今年の11月は秋なのか冬なのか、それとも時々夏なのか、さっぱり分からない気候ですね
微妙な体調不良が出ているのですが、これがアレルギーなのか風邪なのか判断つかないですわ いや、どっちもあるかもしれませんけど
さて、今日も『水の龍、水の蛇、水の神を祀る者』の続きです~
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水の龍の後を追いかけるように本殿へと向かいます 水の龍を迎える為かより一層水の氣が濃く、水の龍が入った事で水が溢れる様に出る御神氣も清水の様でした
(力を取り戻すのに、より氣の在る場所へ行くのが一番早いものねぇ。)
氣も水と同じく高い所から低い所へと流れていくので、一番高い場所へと向かうのが良いのでしょうし、氣も水と同じく、潤う場所よりも乾いた場所へと染み渡るのでしょう
(あれね、浸透圧と一緒。)
ある意味この世に存在する全てはエネルギーバンパイアの要素を持っています。それは敢えて相手や何かからエネルギーを採っているのではなく、浸透圧だったり、より低い方に、乾いた方に行くので自然の法則なのかもしれません。例えるなら、神社に行って御神氣を授かるというのも、これと同じなのでしょう 自然は何かを特出するより、全てを一律に、バランスの取れた状態にそうやって整えるのかもしれません
(そう考えると、無限に水の氣が溢れる滋賀って本当はスゴイ土地なんじゃなかろうか?)
陰の勾玉琵琶湖
それは山々から栄養豊富な水が全方位から流れ込み、生命を育む豊穣の湖と成っているのでしょう
(なるほど、多賀大社が鎮座するに相応しい聖地なんだな。)
1人納得して頷き進みます
本殿向かって右手には、金咲稲荷大明神が鎮座しています
隙間少なく連なる朱色の鳥居は、
まさに産道そのもの
火と水で神と読む様に、ここは生命の生まれる稲荷神社なのかもしれません
(金が咲くで咲く様に増える金運アップもあるけれど、何より生命力がアップするし、生命力がアップしたら必然的にお金もその他諸々もその輝きに引き寄せられるものねぇ。願うならやっぱり生命力の活性化で、健康と長寿かしら?)
葵さんは身体も弱く、生命力も可細そうなので、ここでこっそりと祈願をしておきます 身体の弱さから弱気にもなっているし、生命力の弱さは自分の周囲を護るオーラの出方も弱くなってしまいます そうなると世の中は見える世界も見えない世界も弱肉強食、良くない人にも狙われ、また低い次元の存在にも狙われてしまうのです。
(水の龍も姿を奪われ、力を失い、色んな存在に狙われながらも必死に葵さんを護ってきたんだろうなぁ…。)
それは今現在の葵さんだけでなく、過去世の葵さんたちも同じ様に護ってきたのでしょうが、時に護りきれなかった事もあったでしょう。何度涙を流し、それでも悲しみから這い上がり、また生まれ変わった葵さんの魂をみつけては護りの繰り返しだったのかもしれません。
水の龍は、現在唯一の自らの巫である葵さんを護りながら、いつか葵さんが自らの巫に相応しい器と成る日を待っていたのです
(…なんて気の長い話だ。)
葵さんが自らの巫と成ったのならその力は増しますので、水の龍が護らなくても自らで護れる事も、避けれる事も増えます。おんぶに抱っこではいけません。おとぎ話の様に、何かあれば正しい事を正しいと言い放つだけ放ち、後は王子さまや正義の味方が助けてくれる…なんて事は世の中ないのです。それに、そんな人間は正直鬱陶しいですし、迷惑なだけです。清濁併せ吞む、それだけの力も器も巫には必要です。
なぜなら、力が増せば小物は去りますが、大物に狙われる可能性が高まるからです。生涯何にも狙われないお花畑の様な人生などはない、大きな力を有するからこそとても美味しい餌になる事を自覚して、頭の片隅に置いて生きねばなりません。それが、善い人ほど短命であり、才能ある人ほど思わぬ事で命を落とす理由の一つだからです。
(ま、自覚して生きれば不運はほとんど無くなるけどね。)
完全に護られるだけの存在なら、この世に生まれる意味などはないですし、そもそもこの世に善悪などはないでしょう。
水の龍は、水の神としての本来の姿をここで取り戻す
水の龍の巫は、水の神を祀る祝(はふり)と成る
その為に必要な試練が何度も繰り返されて起きていただけ。
羽々斬剣を手に水の龍は龍の姿を取り戻し、一族の神は元の姿へと戻る、その時こそ本当の呪詛が解けた瞬間なのですから。
続く~
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