おはようございます、 沙久良です
まずは一斉アチューメントの告知をさせてくださいませ
23日、兎年新春開運一斉アチューメントを開催します お申し込みは直前まで受け付けております
(形代に名前を書いたり準備するので、メールへの返信が終了後になる事もありますがお許しくださいませ。)
皆様のお申し込みを心よりお待ちしております
今日も9月8日に参拝した参拝した神社を元にしたイズクエ記事です 是非画像からエア参拝し、御神氣を授かってくださいね
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日吉神社の次に向かったのは、能義神社です
胸の辺りのつっかえた感じも無くなり、息もたくさん吸い込めます 階段だってスイスイ行けちゃう!
…と、言いたいところですが、なにぶん心臓の血管が人より少ない身体、スイスイはゼイゼイになり、到着した時には息切れしていました
(若い頃はまだ体力で補えたけど、さすがにもう無理ね…。)
自分に優しく、身体に優しく、そう生きたいものです
拝殿に参拝してから本殿へ 兄貴の姿が眩しく目に映ります
(神代の人って、現代人よりも遥かに健康だよね。まあ、生活環境も違うし、人種も違うしねぇ…。遺伝子レベルで違うから、比べるだけ無駄か。)
自分が思った事に苦笑い 比べるだけ無駄な事を比べても、どうやったって相手には勝てない
いえ、そもそも勝ち負けなんてないんですけど、ふと、どうでもいい事で人は勝ち負けを決めるなと思ったのです。
(それだけ卑屈になってるのかしら、現代人…?)
便利になり、環境も整えられて、毎日食べる物にも困らなければ、済む場所だってある。そもそも命の危険に脅かされる事もない。
(便利になった分だけ考える時間が増えたというか、暇だと人間ろくな事考えないんだろうなぁ。)
生きるだけで精いっぱいだった時代とは大きく違うと思いながら、さてどっちが幸せなのだろうかとも考えました。結果、比べるだけ無駄だなという結論に至る。
(と、なると、私を心配してくれた相手も、たぶん暇だったんだよなぁ。だって私の事なんて考えなくても、気にしなくてもいいのに、考えて気にしてくれたんだから。)
一足上がってみれば、また違う見方も出来るもの
(神社も、どの角度で観て、どう感じるかは人それぞれだものね。神様の姿や声なんて、そりゃあ千差万別に受け取るででょうし。
実体がないからこそ自由に想像できるけど、自由と言いながら、そこには自分のこれまでの生き方、考え方、価値観や宗教観まで反映されるし、何より今の自分の状態を神に視るんだろうなぁ…。)
そう思いながら、じっと視つめる本殿
『神は鏡、鏡は神の体。だからこそ、人は神に自分を映し出して視るんだろうな。』
私の考えに答えるかのように、兄貴が話しかけて来ました
(そうだね、兄貴。人も相手を通して自分をみるもの。それはきっと、相手の内に在る神の分け御霊という鏡を映して、自分を視るのかもしれないね。)
私は結構ジャッジするけど、同じ位他からもジャッジもされる。ただそれは、私が簡潔に短時間に済ませたいので、そうする相手を好む傾向もあるので、それが嫌ではない。スパーンと竹を割った様な性格というか、はっきりと伝えられるのは気持ちがいい
ただ本当に稀に、歪んだジャッジをされる事もある。それが世間でいうアンチという所か。
それはそれで人それぞれ受け取り方も感じ方も違うので、勝手に思い込んでこちらに伝えないなら構わないのだが、それを本当だと思い込んで攻撃されるのは困るし、何よりめんどくさい。勘違いは自分か、内輪で収めてほしい。
(そういう場合、相手の内の鏡が歪んでいるんだろうなぁ…。可哀そうに…。)
可愛そうにとは思うが、思って終わる。私の鏡は歪んでないので、ただ相手の可哀そうな姿が映るだけで、そこに私を視る事もない。
『姫さん、強くなったな。』
(う~ん、強くなったというより、本来こういう性格なのよ。基本、他人に興味がないから、元に戻っただけね。)
『そうとも言えるな。姫さん、玉鋼の精神してるもんな!はははは!』
楽し気に笑う兄貴
足元の散らばった木の枝を見る。嵐で落ちた枝だが、本殿を傷つけるものなどはなかった。
『この枝と同じだな。どんなに嵐が吹き荒れようとも、自分が自分らしく在りさえすればいつかは嵐は過ぎ去る。過ぎ去ったらこんな風に、たくさんの枝は落ちていてぐちゃぐちゃだが、一つ一つを片付けていくと、なんでそうなったかが被害者意識ではなく、自分本来の視点で解る。
被害者意識の時は、それはそれで内の鏡は歪んでいたり、ひびが入っていたり、割れて欠けている場合もある。だから、正しく映し出せない。正しく映し出せないからこそ不安になり、映し出せたものにすがったり、時には貶めて憂さ晴らしもしたくなる。自分は正しいと証明したくなるようなもんだな。
そういうやつは神代にもいたぞ。だからそれは、現代人特融って訳じゃねぇ。
ただ、そうなるだけの生い立ちや理由があるって事だな。そういう事もあるという事を知っておけば、人は必要以上に傷つかねぇ。たくさん知るって事は、自分を守る事だ。』
頷きながら兄貴の話を聞く私
(そうね、知らないから必要以上に怯えるし、不安にもなるし、知らないから自分と同じだと思い込み過ぎる。それも良くない方に。結局、相手の事は相手にしか分からないし、自分の事は自分にしか分からない…、と言いたいけれど、人は自分が解らないものよねぇ。)
『それは確かにそうだな。』
(突き詰めると、やっぱり自分を知る事が内の鏡を曇らせず、歪ませずって所よね。今回は別に悪意ではなく、むしろ好意からの心配だけど、それも相手はきっと、私に自分を投影して心配してくれたんだろうなぁ。それだけたくさん、傷ついてきたし、裏切られもしたし、被害者意識から抜ける事が出来なかったのかもしれないね。)
『それと、勘違いの救われたという思いか、または自分を放棄して他の誰かの甘い囁きや、甘言に惑わされているかかな。』
(あ、それって同じことを結局繰り返すのよねぇ。救われた、分ってもらえたと思った分だけ、勝手に裏切られたって思うの。全然相手は裏切ってもないし、ただ重荷になったか、自分の事で精いっぱいになったかだけなんだけどね。)
『だからこそ、人は人、自分は自分だ、姫さん。』
白い歯を、ニカっと出して笑う兄貴の笑顔は最高に爽やかでした
「人は人、自分は自分。それもまた一足上がるってことよね。じゃ、さらに上がるとしましょうか。」
流れる水は自ら上がって避ければいい、流れが変わるまで待つ必要はない。口に出して発する事で、その言の葉が自分を護る結界の一つになる様でした
(さて、次は佐太様の所へ行ってきますね、兄貴。)
『おう、行って来い。また来月な。』
(はい、また来月お会いしましょう。)
軽く本殿に向かって頭を下げ、足取りも軽く駐車場へと戻ったのでした
続く~
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