近所で誰かと接することが億劫になっていたものにとって、ウイルスの脅威から身をひそめることは、日常の延長であり、シェルターでの安寧に身をゆだねる理由付けになっています。

 

シェルターとは、自宅。

 

引っ越し前の自宅は、シェルターではなく、近所と「密」な関係を保ったままのパブリックな空間でした。

 

自宅にいるはずなのに?周囲に知られたくないことを言わなければ、腹の黒い人という烙印を押され、疎外されてしまいます。

 

彼らが知りたいのは、目に見える平和で穏やかな家庭、豊かな経済力だけではありません。

 

かたちあるものも、ないものも欠けている状態を把握したがっていて、それを彼らにさらし続けることには無理がありました。

 

知られたくないことを抱えて生きることについて、映画『ユリゴコロ』のノートにヒントがありそうです。

 

 

 

 

ウイルスが蔓延しても、訪問、立ち話が頻繁にあったと思われる近所づきあい。

 

ここに引っ越してきたことを正当化できれば、気持ちも少しだけ落ち着きます。

 

引っ越しについて詳しくは、「生い立ちから全てを知りたい住人たち そして引っ越し後、発病