中原中也詩集 家族とは | せ*パ*ゾ*ン依存の同居人

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親と私だけの生活。家計と献立。せ*パ*ゾ*ンの離脱症状の経過報告。

 

 

 

 

詩集

 

中原中也の詩集を読みました。

 

めぐる季節に、仕事と家族の姿を幾重にも折り重ね、その間に揺れ動く機微を逃すまいと筆をとる様子が浮かびます。

 

誰かと過ごすと、ひとりでもそうですが、いろいろなことが起きます。

 

今、こうしていることが一重に正しいと思っているわけでもなく、妥協もあるかもしれません。妥協は、あきらめがあるから後悔してしまうことがよくあります。

 

中原中也がとらえる家族は、私にとって妥協のない得難いものでもあります。

 

生きていると、いつかは死ななければならず、死に向かって生きるのなら、その限られた時間を誰かと感情を分け合い過ごせることができればと思うこともあります。

 

できないことばかりで、負担になってはだめなんですが。

 

献立

 

昼 冷凍のフライドポテト、ソーセージ2つ

 

夜 松茸の素で味付けしたエリンギご飯、キャベツと玉ねぎとハムのごま油風味のスープ

 

深夜 うどん ひと玉

 

長い文章が書けず、お昼に寝ていることが多くなりました。なぜか、過去のよくない体験を思い出し、それが繰り返されるんじゃないかと。視野が狭くなって、ぐるぐる同じことを考えてしまいます。

 

お昼に寝るのは、現実逃避ということと、恐ろしい人たちを思い出したくない防衛反応です。同居人も同じ傾向があります。できないことを攻め立てるのはよくないので、お互い気を遣っています。

 

亭主関白とか、仕事で威圧的な雰囲気に耐えるのは、ひどく疲れてしまいます。現在はそのような環境ではありません。ここでブログを書いていると、どなたかが読んでくださるかもしれないので少し安心です。

 

SNSで注目を集めなくてもいいので、安心して自己表現できる場所を模索しています。