私がプロレスリングNOAHの試合を最後に現地観戦したのは、2021年2月12日、日本武道館大会です。
あれからもう二年の月日が経とうとしています。
なぜ私が観戦から離れたか、もっと言えばなぜプロレスから離れたのか。
今更その理由をここで書くのには少し躊躇もありますが、とはいえ何も言わないのもアホくさい気がしたし、その当時と比べると気持ちも整理できたので、やっぱり書いておこうと決めました。
このブログを楽しみに読んでくれていた人も少ないながらにいたはずで、すっかり更新が途絶えてしまい、本当に申し訳なかったです。ちゃんと説明はしておこうと思います。
先に書いた通り、私はそもそもここ二年の間、団体関係なくほとんどプロレスを観ていません。
去年は、新宿FACEで九州プロレス、新木場でPSYCHO選手の周年、後楽園でセンダイガールズと三度観戦しました。それぞれ楽しく観戦しましたが、それ以降積極的になにかを追いかけているか、と言われると、なにもしていないのが現状です。
いくつか契約していた映像サブスクや週プロモバイル、プロ格DXもすべて解約しているので、いつどこでどんな興行があるかも把握していません。
情報を取捨選択できる現代社会、つながりを絶ってしまうと日常生活にプロレスが入り込んでくることはほぼないんですよね。
これがたとえば野球やサッカーだったら、テレビのニュースで試合経過が伝わってくるので、嫌でも情報が入ってきたのでしょうが、プロレスはというと…。今日のプロレスが大衆娯楽のなかでどういう位置付けなのかを、皮肉にもプロレスから離れたことで痛感しました。
そんな私でも、武藤敬司が引退することぐらいは知っていますし、お正月にグレート・ムタと中邑真輔が戦ったことぐらいは承知しています。
というわけで今回は、武藤敬司について書いてみようと思います。
言いたいことなら他にも山ほどあります。ありますが、私にとって決定的だった出来事が武藤に関連するものだったので、あえて内容を絞ります。
あらかじめことわっておきますが、この二年間、私は武藤敬司を心から軽蔑していますし、ここからの文章も、武藤敬司に対して好意的には書きません。私の文章を読むことで、気持ちよく武藤を送り出したいファンの方にとっては不快な気持ちになるかもしれませんし、引退試合に冷や水をかけられた気分になるかもしれませんが、私は一切責任を負いかねますのでご了承ください。だって私のせいじゃないし。
加えて、ここからの内容には性的あるいは性差別的な表現、セクシュアル・マイノリティ差別に繋がる表現(もちろんここではっきり批判しますが)が登場しますので、注意のうえお読みいただけたらと思います。
では、見ていきましょう。
私のプロレスへの熱がスーッと引いていくきっかけになったのは、2021年2月6日、東京スポーツに掲載されたこの記事でした。
(以下引用)
大ベテランは野望も尽きない。ノアの試合がABEMAで放送されスマートフォンなどでも見られるようになったこともあり、女性を中心に若者のファンが増えていると分析した上で、こう続ける。
「そういう若いファン、特に女の子なんか、こんな還暦近い“ハゲチャビン”に最初はときめきはしねえだろ。一見、清宮(海斗)とかのほうが目に留まるってのはわかってる。でも、試合してるうちにこっちに感情移入させることが俺の優越感というかさ。その中で若い女の子が『あの人、清宮よりかっこいいわ』って子宮をうずかせる試合をできたらいいよな」
(引用終わり)
武藤の同じ発言は、週刊プロレスでも報じられました。それを、某日本プロレスの某選手(エゴサ回避)が肯定的に取り上げていました。
今日発売の #週プロ🤭こういうことを真顔で言える58才を目指します👍#新たな目標#全日本プロレスGF#王道ストロングスタイル#超闘魂#ajpw@shupromobile pic.twitter.com/iudLQfBioY
— YOSHITATSU🤭OFFICIAL (@YoshiTatsuIsm) 2021年1月27日
この発言を目の当たりにしたとき、これが20代の娘さんをもつ父親の発言かよ、という呆れや軽蔑はありましたが、怒りという感情は実はあまりありませんでした。
どちらかというと、プロレスというファンタジーから急速に現実へ引き戻されていく感覚があり、その感覚を冷静に受け止める自分がいました。
あ、この人ファンの女性を子宮で見てるんだ、自分が勃起するかどうかで見てるんだと。この人の本体はキンタマなのか?
あれ以来、私は武藤が大きなキンタマにしか見えなくなってしまいました。
こうなるともうプロレスどころじゃないですね。
キンタマによるドラゴンスクリュー、キンタマが放つシャイニングウィザード、キンタマから毒霧。
最高に滑稽だし最高に気持ち悪いです。
「気持ち悪い」
発言した武藤個人の問題にとどまりません。これは「プロレス村」全体の、構造上の問題です。発言を許した団体も、それを無批判に報道した東スポも週プロも、何も言わないファンも、全部が全部気持ち悪く思えました。
今振り返ると、あの時点でもう、心がプロレスの中になかったのでしょう。
私にも20代だった頃が当然あって、その一番苦しかった時代に、がんを克服した小橋建太のプロレスに救済された人間です。その記憶をよりどころに、プロレスを見つめ続けてきました。プロレスには希望があると思っていました。
しかし、私がプロレスというファンタジーに向けてきた気持ちは、あまりにも空虚だったことを知りました。ダメージが大きすぎました。
そんななかで生観戦した武道館大会。
すべての試合を観たうえで、喜怒哀楽のどの感情も起こらなかったことに、自分でも愕然としました。
私にとってこの時間はなんだったんだろう。あんなにノアが武道館に帰ることを願っていたのに。
結果的にその日が、ノアを生観戦する最後の機会となりました。
武藤発言のなにが問題だったか理解できない方は、すでに他の方が丁寧に書かれているので、そちらをご覧ください。
いえ、その前になにが問題なのか考えてみてください。イメージしてみてください。あなた自身が、部下の若い女性に同じ発言をしたらどうなるか。愛する妻や娘の前で言ったらどうなるか。
言えますか?言えませんよね?じゃあなぜ言えないんでしょう?なにが問題だと考えますか?
少なくとも、私の仕事仲間にこの話をしたら「とんでもない」「気持ち悪い」という話になりましたけどね。いろいろ問題はあれど健全な業界でよかったと安心したものです。
「正しさ」には唯一解がないからこそ、考え続ける必要があるわけで。まずは自分事として思考を巡らせるのがいいと思います。
「プロレスはファンタジーじゃん」って話ですか?性的な目を向けられているのは現実世界の生身の人間なのですが。リング上で起こることなら呑み込めても、ひとたび現実に投げ込まれたらアウトな事象なんて、山ほどあります。女性客って、金星品定めして首投げされるだけの存在なんですかね?なぜお金払って見てる相手にそんなサービスをしなければならないんだ?
武藤敬司ならなにをしても許されるのか??
そもそも、の話ですが。
興味ない相手から性的な感情を直接向けられるのは暴力なんですよ。黙って思うぶんには自由だけど、言動に表した時点でアウトなんですよ。
世の中にはいろんな女性がいるんです。男性に性的指向が向かない女性もいれば、そもそも他者に性的な関心をもたない女性もいます。さまざまな理由で子宮のない女性もいます。そういう女性は、プロレスファンの中にもいます。たくさんいます。
私はどのみち20代じゃないので、エイジズム丸出しおじさんの視界にも入らない存在ですが、件の発言で、20代の頃痴漢に遭った記憶が蘇りました(この国で痴漢に遭ったことのない女性なんていないと思う)。そして私はクィアでもあります。男性から性的な目で見られることはものすごく苦手です。「レスラーの肉体美に心奪われるプ女子が急増!」とか言われていた時期には、「私女じゃねぇのかな・・・」なんて思ったものです。
気持ち悪いですか?隣に住んでたら嫌ですか?いえ、あなたに下衆な品定めをされる筋合いなどなく、肯定されようが否定されようが、現実にそこにいるんです。
私がここで記事を書かなくなったのは、青木が亡くなったショックもありましたが、同じようにクィアを生きる仲間たちに、プロレスを勧められないと思ったから、というのもあります。
長いことプロレスファンをやっていれば、裏で女性客をモノ扱いするキンタマレスラーがほかにも少なからずいることは知っています。社会的マイノリティに対する差別的な発言をするレスラーも見てきました。いろいろ思うところを呑み込んで観戦してきましたが、それがよくなかったのかもしれません。さすがにもう無理でした。
キャリア39年、業界全体で惜しまれながら引退するレスラーが、キンタマにしか見えないんですもの。今までなんだったんだろう・・・。何に感動し、何に心奪われてきたんだろう。
プロレスを離れてからは、久しぶりに野球観戦組に戻りました。
そっちはそっちで救いようのない人間がいたりするものですが、別に接触があるわけでもなく、ファンに向かって子宮どうこうなんて言う選手もいないので(低レベルすぎるハードル)、ヤバいファンさえ避けておけば安心して観戦できます。
あ、週刊ベースボールは買いません。BBM社なんで。
ていうかアメブロの運営元、サイバーエージェントじゃん。ダメダメ。
そんなわけで、このブログに関しても、一区切りさせていただくことになりました。
今までご愛顧いただき、本当にありがとうございました。
過去の記事については、この記事を公開してしばらくのち、順次非公開に設定していきます。何卒ご理解いただければ幸いです。
それでは、またどこかで。