MACHINE AKIRA YAMAOKA HEAD BLOG

40年以上
自分が思った事だけ行動にして
それを何だかんだ言って
行動させてもらえて生きてこれただけ
幸せなわけです

クラクフからバスで2時間

ホロコーストの象徴
アウシュビッツにきた

このアウシュビッツで
自分には見たいものがあった

収容所の入り口にあるゲートに掲げられた
「B」という1文字

そのゲートには

「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば自由になる)

と書かれている

この「ARBEIT~」の
3つ目の「B」という文字を見るために
アウシュビッツにきた

この文字は上下逆さまに
要は「B」の上の方が膨らんでいるという
文字盤を上下逆に取り付けてたらしい

それは文字盤を制作した収容者自らの
抵抗の証だという


自分はこの「B」を見てどう感じるのかを
知りたかった



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施設のすぐ入り口にそれはあって

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想像していたよりも
そのゲートの幅は狭く
また文字盤が
高いところにあり、仰ぎ見てしまう

あと

時間帯が午前中だったのもあるけど
逆光で眩しく視認しにくい

収容者の気持ちには絶対になれないけど
ここを通過する心理状態で
視線が上にはいかない事を想像する

この「働けば自由になれる」という意味
躍るような文字盤の流れが皮肉いっぱいだけど
彼らには視界にも入らないことを想像する

ここに入所するときは、楽団が横に並んで
演奏を奏でながら入所者を歓迎するらしい
それも皮肉たっぷりだ
胸を張って、その先に希望があれば視界は広がり
上方にも目は向くだろうけど

「B」が抵抗の証だとすれば
本当に隠れたわずかな証
そんな事を感じる

この「B」に対して思ったことより

自分が今視界に入っている、実際の現場の情報量は
WEBなんかで見えていた情報など
1%にも満たない事を実感する

視界狭かったなー自分って思う

このアウシュビッツ収容所には
多いときに3万人近くが収容されていたらしい

現在はこのバラック小屋には
様々な当時の写真や資料が展示されている

中でも収容者が剃らされた髪の毛が
膨大に一箇所に集められて展示されていたり

同様に、靴や鞄などが当時のまま
集められ残されている

一部ではあれど
その膨大な量と当時のままの姿が
とても生々しさを感じる

すべては水族館なみの巨大なガラス越しに
隔離され見れるのだけど
それらの匂いがするようで
それがさらに生々しい

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見学に来ている人たちが
泣きながら歩いている姿が印象的だった


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かなり生々しい場所なので
精神的にかなりキます


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ガス室、焼却施設も中に入れる


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ヘスの絞首刑台も当時のままだ

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「銃殺壁」

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高圧電流の流れていた鉄網


ほかにも
収容者への罰として行われた
「移動絞首台」
食事を一切与えない
「餓鬼室」
立ったまま監禁させる
「立ち牢」

他にたくさん
人間がつくった残酷施設が
当時のまま残さされている
ほんとうに「人間」がここをつくったの?と考える
信じられない感じ

この地で150万人の人たちが
命をなくしていった場所

今でも生々しく存在していた