雉、山鳥、鴨、兎、鹿、猪、熊、・・・久しぶりに動物たちの生態を直に知ってる昭雄さんに聞きました。岩手県住田町で民宿を営む紺野昭雄さんは代々の鉄砲撃ちです。

 元々住田町には伊達藩の五葉山鉄砲隊があり昭雄さんの住む地域は火縄を作っていた集落でもあったようです。この出で立ちを見ればご先祖様たちの活躍ぶりが偲ばれます。わたしも雉は初めて見ました。猪や鹿は人吉で猟友会について回っていたのでよく知ってますが山鳥もここまで間近にみるのは初めてです。

 今夜八百万人のお仲間の星さんが昭雄さんの民宿にお世話になるので鹿と雉をご馳走になるのではとおもいます。星さんはまたついさきほどもう一人の山男?!健ちゃんに連れられて宮沢賢治の風の又三郎のモデル地である種山が原に向かいました。雪です。ツーリズムというにはあまりにヘビーで豪快な男たちのワイルド生活が体験できる町、住田町です。


 東峰村では今年ケーブルテレビを法人化しいよいよ住民主体の運営を本格的にスタートする予定です。2011年11月に開局して2年と2ヶ月です。いわゆる村が管理運営する自治体ケーブルテレビでした。2年間ケーブルテレビが村民のコミュニケーション向上に活用できることが証明されました。

 じじばばをはじめ子どもたち、そして様々な分野で活躍する方々が次々と出演しました。また地場産業の振興になることもわかってきました。地場産業の代表は農林業と窯業です。窯業では400年の歴史がある小石原焼の窯元が約50もあるほどの陶器の里です。しかしバブル崩壊と100円ショップなどの登場で非常に厳しい現状にあります。そこでこの小石原焼をケーブルテレビで振興する試みをずっと続けています。大事なのはまず村民自身にその良さをよく理解してもらうことです。同時進行で外への発信を怠らないことが成功の道と考えます。

 当初は村内でやっても仕方がないと見向きもされなかったのですが今では「有料の村内番組」にこぞって窯元が出演するほどです。また東峰村が開発したオリジナル30元中継システムで全国、海外へも発信する仕組が出来上がりました。この活用方法はネットだからこそ交流しながら関係性を深めて行く番組制作のノウハウで徐々に定着してきました。

 既存のテレビ局の真似をせずに全くむら独自で必要とする「村民CM」や今すすめている子ども番組体験などモデルとなる番組や仕組は山ほどあります。これらをまずはケーブルテレビの運営に困っておられる地域にお伝えすることが今求められていることと昨日岩手県住田町に入ってあらためて認識しました。今夜さっそくこれをプレゼンしましょう。

@自分たちの祭を自分たちでPR、スタジオセットも自分たちで演出する。


 昭和28年に誕生したテレビが今年60年を迎えました。記念放送が続くとおもわれますがわたし的にその記念番組の第1弾に見えたのがBSNHKで放送されているアテルイです。蝦夷の英雄阿弖流為(アテルイ)については熊本の人吉球磨に伝わる熊襲の地で生活し住民と共に1年間かけて創った住民手作りドラマのご縁からです。テーマは熊襲復権でした。

 今回のBSはプロの作り手と役者による蝦夷復権ともいえるとおもいます。NHKで役者さんが語っていましたが阿弖流為自体を全く知らなかったのです。一般的にはきっとそうだとおもいますしBSで放送ということもまだまだ大河ドラマにはならないテーマだということだとおもいます。しかしやっとBSに阿弖流為がでてきたともいえます。NHKはテレビ60年の時代の鏡でした。この1年NHKにも大いに期待しています。


 熊本市の西にそびえる金峰山は今ではテレビ塔が立ち並ぶ場所として知られますが市民の憩いの場です。山中には宮本武蔵が五輪書を書いた霊巌洞があり独特の空気があってテレビ局時代はよく通いました。麓には夏目漱石の草枕に出てくる峠の茶屋、温泉宿もあります。

 その金峰山に昨年は夏から何度か通いました。今和泉俊子さんの雑草織をご本人の紹介と機織りで織られる衣服やバッグ等の出来上がるまでを映像で描きました。熊本ではポンポン草といいますが正式名称はわかりません。この草を有明海岸沿いで摘んで繊維をとるところからはじまります。大自然の営みに合わせるような暮らしをして自然に教えられた生き方を実践されています。

 お母さんが亡くなるまでは元々焼き物をされていたので立体的な織物を好むことなど生活哲学ものんびりと語りながらの今和泉セレクションの紹介ですが久しぶりにこのような映像制作をさせていただきしっかりディレクター魂を吹き返していました。今和泉さんのように哲学を持って生きる色々な方の仕事や暮らしぶりを映像図鑑として描く番組を本年は構想しています。

 ちなみにこの映像作品は特定非営利活動法人NPOくまもと未来の副理事長澤啓子さんが取材をしていて企画したものです。くまもと未来はこのような県内の手仕事をかなり多く取材し番組化してきました。「そろそろまとめる時期だね」、と澤さんには話しています。


 「使えるテレビ」はわたしが熊本県民テレビを退職してまずは自分一人から「住民の住民による住民のためのテレビ」を創ろうと平成8年の春から始めた番組です。

 地域づくりを応援することをコンセプトにしているので住民自らが企画し、発信する直球番組を目指し、番組制作のプロが「ああだこうだ」と言って伝えたい事よりも技術に走る事を完全に避けてスタートしました。実際、最初の頃は映像がぶれぶれだったり画面が真っ黒のまま音声だけが聞こえている等は序の口で元プロであるわたしは全く撮影や編集に関してはダメ出しをしたことはありません。

 流石にケーブルテレビのスタッフがしびれを切らして放送のために技術的な向上を懇願する事もありましたがひたすらそれよりも「生活人が何を伝えたいかが大事」と一貫してきました。何度となくプロの応援(ボランタリーな)もしてもらいましたが仕事になっていかないと離れていきました、それでもこの「使えるテレビ」はひたすら地域づくりに邁進する縁の下を支える方々のために続けてきた金字塔的な住民番組です。

 あえて住民ディレクター番組と言わないのは最初から地域づくりに関わる方々に広く開放されている番組だからです。全国住民ディレクターネットワークの(社)八百万人で配信を始めたのは今、最もこの「使えるテレビ」を有効活用できる法人だと考えたからです。今からがとても楽しみです。

@写真は現在制作協力している特定非営利活動法人NPOくまもと未来のメインスタッフ(奥の3人)と恊働している任意団体の合志市あぐっと!村のメンバー。


 日本初で最長寿の住民制作番組の配信が(社)八百万人のサイトで始まりました。番組は熊本市の民営ケーブルテレビJCNくまもとの「使えるテレビ」です。

 平成8年春にスタート、放送枠自体が地域づくりを応援するためのボランティア運営で、運営費は放送に参加するNPOや団体などへの指導、サポート費、または番組制作費で賄っています。同じ平成8年にわたしが旗揚げした地域おこし支援団体プリズム(のち有限会社→株式会社)がプロデュースし、くまもと未来国体で活躍した住民ディレクターのみなさんで設立した特定非営利活動法人NPOくまもと未来が制作協力のカタチで地域活動団体の支援を続けています。

 16年間一切ぶれずに地域づくりを応援する番組としてやってきました。この番組からNPO人材だけでなく、プロのキャスターやディレクターも輩出しましたがそれは結果オーライです。その人達もいざという時は全面的に地域づくりに協力してくれます。八百万人はネットでつながる全国住民ディレクターのネットワークです。「番組づくりが地域づくりになる」という基本的な暮らし方がこの「使えるテレビ」を通じて理解し合えればということと、熊本市民の活動が市内を超えて全国の地域づくりの志しある方々と結びつき、何かが起こるはずです。

 そこが今回のネット配信の目的です。八百万人という全く新しい全国ネットワークの出番が近づいています。そして16年間培ってきた完全100%住民制作番組「使えるテレビ」の出番でもあります。地域活性化を実現するためのアクション・メディアです。

@「使えるテレビ」のネット配信は(社)八百万人


 昨年の秋の民陶むら祭では約50ある窯元のうち23軒の窯元の紹介を「岸本プロデューサー窯元映像図鑑」として番組化して大変好評をいただきました。この時はわずか2週間程でこれだけの窯元を取材したのでギャラリーと窯元の人柄を紹介するのがメインでした。民陶むら祭は春秋の2回あります。春は5月3日~5日の3日間です。

 昨日は村役場の小石原庁舎に用件があったのですぐ前に店を構えられている陶器組合の太田理事長の窯にご挨拶かたがたお邪魔しました。理事長はロクロを回されていました。振り返ってみればもう何度となくお邪魔してますが太田理事長のロクロ姿は実は初めてです。そうなのです。こういうタイミングにお邪魔するのも意外とないものです。窯元の正月明けは比較的遅いので一昨日からだったそうです。

 太田理事長は民俗学者宮本常一さんを愛読されていて柳宗悦やバーナードリーチという小石原焼を世に出した民藝運動の中心人物とも直接会われています。いつもついつい話し込んでしまいますが流石にロクロを回す手作業はビシッと決まってます。東峰村の豊かな生活の背景の大きな存在が飛び鉋や刷毛目を特徴とする小石原焼です。

 これまでの2年半の成果を生かして春の民陶むら祭では久しぶりに本格的な情報発信戦略をプロデュースしようと考えています。


 年末年始はゆっくりするというよりも元旦に東峰村から関西、熊本と1日でほぼ1周し、2日には村に戻ってきました。すぐにとうほうTV子ども体験、成人式と毎日のように続きましたが2日のちょっとした合間にちょこっと岩屋神社にお参りだけはしてきました。

 人は他にはいませんでした。雪が舞い散って冷え込みましたが修験者の山だけに独特の厳粛な場になっていました。ご神体として祀られている古代降ってきた隕石は開け放されたお宮の中から外の冷気に触れ雪が舞い散る奥にどっしりと鎮座されていました。昨年は4年に1度のこも替えがあり密着しましたのでぐっと親近感があります。

 熊野神宮、大日如来、不動明王と岩山に祀られる八百万の神々にもしっかりとお参りし、村の発展と村人の健康をお願いしてきました。勿論、とうほうTVの益々の発展も!

こちらFacebookで続きを書きます。


 NHKさんは4日、今年初めてのとうほうTV収録にも来ました。村民スタッフの年末年始リポートと、成人式のサポートを終えたまたまお茶飲みに寄った青年団に急遽出演してもらった様子をしっかりと収めていました。当然、とうほうTVではそのNHKカメラマン鶴田さんの取材の模様は出ちゃいます。と、いうことは逆にNHKの九州ネットを興味深く見ようとされる村民が増えますので、これもWinWinの関係になるとおもいます。

 マスコミはかつて(今も?)いろんな場面で著作権を強く主張してましたがネット社会の今、古い概念に縛られていたら益々テレビ離れがすすむだけですので、これからは鶴田カメラマンのような若いマスコミ人がテレビの環境を変えてくれるのではとかなり本気で期待しています。テレビ60年という節目の今年はとうほうTVの出番はかなり増えるのではないかな?と推察しています。日本にテレビが誕生した60年前に映画やラジオからやってきたテレビマンたちがあくなきチャレンジをやっていたからテレビは時代の寵児でした。

 今、東峰村の子どもたちやお年寄り、お母さん、自営業等等普通の村民のみなさんがテレビという日常生活道具をあれやこれやと使いはじめたのです。かつてのテレビマンたちがチャレンジした精神は今、東峰村で一気に全世代で開花しはじめています。


 年末からNHKさんが夕方ニュースの企画ニュースのためにとうほうTVに何度も取材に来られています。一昨日は成人式からとうほうTVの今年初の収録、青年団、そしてわが大工のときんちゃんのインタビューが続きました。九州全域版の5分ぐらいの企画という話しですがすでにもう5回以上福岡市から通われています。
 
 以前、RKBさんの時もそうでしたが取材の前に我が家で催すスタッフの飲み会に参加してもらいます。するとあっという間にスタッフやその周辺の人脈と仲良くなりますから取材がとてもスムーズです。しかも思い込みが無くなりかなり正確な放送をしてもらえるのでこちらとしてもGoodでWinWinの態勢です。今回の取材もそういう意味では大変良好です。いい番組になると感じますので詳しい放送時間は追ってお知らせしますので九州の皆さんはぜひわがとうほうTV村民スタッフの多様な個性と多彩な暮らしぶりをご覧ください。