フェイスブックの創立者と東峰村はかなり近いと感じます。Bookで創立者の話を読んでたら世界の仕組を変えるという章でポトラッチという北アメリカ北西海岸先住民族の儀式を例に贈与経済をモデルにしていることが書いてあります。

 よくよく読んで見ると今でも東峰村や山江村などの田舎では普通のやりとりですね。「椎茸があまったから食べんね」、とかいって椎茸をもらった人が今度は「甘酒を作ったのでどうぞ」、とお返しをする。もっとすすめばコンビニや100円ショップがない東峰村で「高いなあ」とおもいつつも1000円でモップを買うと次に軍手を買いにいったら「ばらで2つしかないから(5組で1セットだったりするので「ばら」になっている)持って帰りなっせ」、といって無料でくれたりする。

 フェイスブックには「発展途上国などによくみる・・・」と書いてありますが、発展途上国の東峰村ではこの贈与経済はごくごく基本です。そのひとたちがSNSを使っているというのは→フェイスブックのモデルのようなものです。「贈与経済はコミュニティが小さくお互いの貢献が見えるので成立する」と書いていますがフェイスブックは大規模透明空間ということでしょう。東峰村ではその大規模透明空間への参入もよしとしつつ、村のケーブルテレビで村人同士のフェイスtoフェイスの関係も大いにはかり、最も近くに住む人同士で課題を解決する当事者として行動を共にするAction Media を開発しています。使い手のことを便宜的に住民ディレクターといっています。

 今は革命という言われ方をしてフェイスブックの威力が語られますが、破壊から創造への道ががまだ見えません。創造する小さなコミュニティのあり方が例えば日本の小さな田舎で十分起こりえる。大規模透明空間はもうそこにあるのですから。