
もう何度この橋を渡ったことでしょう?九州と本州をつなぐ関門橋、真下には響灘ともいわれる関門海峡が広がります。19の春に生まれ、育った兵庫県加古川市から飛び出し山口大学に入ってから九州がぐっと近くなりました。大学で出会った博多や熊本の人達とはその頃は違う人種のように感じるほどカルチャーショックを受けました。「焼酎はうまかばい」「つまみは明太子たい」などという方言を間近に聞いたときの驚きや新鮮さは今でもよく覚えています。何しろテレビCMや映画ではなくて実際に生の人間が九州弁を話しているのです。
この逆の経験をしたのは随分立って40代で熊本でプリズムを起業した頃です。熊本の女性デザイナーに兵庫の会社のロゴを頼んだ時にたまたま電話でその兵庫県の会社社長と直接話してもらいました。電話が終わると女性デザイナーは「ほんとの生の関西弁だった!!」と目を丸くして驚き、喜んでいました。瞬間的に学生時代の新鮮な驚きの記憶が蘇りました。
関門海峡を本悪的に頻繁に渡るようになったのは大分県別府市の温泉旅館の見習いをやり出してからなのでもう約30年になります。今では一ヶ月に7、8回、この1週間でも3回往復してますから数千回にもなるかもしれません。そして今再び九州が大きく動いています。アジアとの関係をこれまではあまり意識してませんが今はアジアが深く感じられる関門海峡です。深夜に8時間バスに揺られ「京都から博多まで」(という歌がありました!藤圭子さん!)来ましたが、今又さらにバスに揺られ福岡県と大分県境の東峰村に向かっています。いよいよあと半月もすれば住みます。修験道の里、東峰村に。