
平成7年の7月7日の夜、仕事を終えたところで上司が話があると言ってある番組のディレクターをするように命じられた。わたしはやることは山ほどあったし温めている企画も同時進行していたので断った。しかし上司があまりにもしつこくその番組をやることを強要するので瞬間「やめた」との気持ちが起こってそのまま言葉になった。「やめます」まさか会社を辞めるとは考えもしなかった上司は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが自分の気持ちは全くぶれることなくその日で荷物をまとめてやめて帰ってしまうほどの勢いがあった。予期しない事だった、自分でも。それまで会社を辞めたいとか、辞めるとかは一言も話した事もなかったしその夜までは全くそういう気持ちではなかった。ただ計画や構想はいっぱいあった。このテレビ局でやれる可能性はまだ少しはあるのではと考えていたのだろうと今振り返る。
さて、その夜から考えました。明日からどうやってやって行こうかと。何の準備もしてないし、こんなに突然その日が来るなんて自分でも想像してなかったのです。その夜から自分がやれることをとにかく書いて行きました。ニュースを作る。番組を作る。イベントをプロデュースする。・・・、しかしそんなことはテレビ局にいたほうがいいに決まっているし、制作会社の皆さんと一緒にやってきたことなので自分がその立場になるだけならきっと今のほうが恵まれているはずです。そこで仕事を創るというのは一体誰の為になればいいのか?を考えはじめました。自分が今出来ることをするなら今のままのほうがよいのでせっかく(?!)辞めてしまったのだから誰の為にするか?今までは誰の為にしていたのか?
こだわっていたのがテレビ局の名前、くまもと県民テレビの「県民テレビ」でした。「県民テレビなんだから県民のためのテレビ局だろ?」と地域回りをして98市町村の人達にいつも決まって言われる事でした。しかし実際にそうなっていないのが悩みでもあるし、胸を張って言いたかったのでした。「そう、県民テレビです。あなたのテレビ局です。ですからあなたのためにもなるようにニュースや番組、イベントを作って行きます。ただし、あなたにも責任はあります。言うだけではなくて一緒に動いてくれないとあなたが言う県民テレビにはなれません。」いつもこう言い切りたかったのですが、実際はどう見てもそうなっていないので言い切れなかったのでした。協力会社も合わせて約150人の社員がいるので、全くそんな話が通じない人がいます。そういう意味で今はわたし一人が言い切れたなら言えます。これが楽です。しかし言い切るには日々そうやってないと当然ながら言えませんのでしんどい事も山ほどあります。が、気持ちよく仕事ができる今あの時の上司に感謝しています。
誰のためにするか?そのときは特に農林水産業に従事されている方々のために何とかこのテレビ局で得たノウハウを生かせないか、というのが答えに向かう道でした。この方々に社会が正当な評価をすることが私自身が幸せになることにつながると見えたからです。実際、プリズムの定款には「人間的な地域情報化社会を創造し、農林水産業の創造性を生かした新しい産業を起こし育成する」と明記しています。ずっとこの気持ちでやってきました。ずっとこの方向でやってきました。そして今、状況は整ってきました。14年経ちましたが確実に状況は出来てきました。この方向に合わない事はいくら大きなお金が動こうともやりませんでしたし、最初はよくても方向がずれていった相手とは自然と離れていきました。仕事を創ることは自分自身の裡から生まれ出る気持ちを生かすこと、それを身体を動かし世の中、社会の中でカタチにすることと考えます。
わたしたちはいい時代に生きています。一昔前ならこんな事を考えても時代が、社会が、世の中が許してくれなかったのですから。世間体というさりげない言葉に縛られて。しかし今もその状況は同じです。やるかどうかです。