福岡県の天神にあるアクロス福岡で東峰村の魅力を紹介してきました。最近は八百万人紀行やNow&Here、ツィッターなどいくつもの場を平行して表現しているのでついついここは遅くなります。やはり手軽さはスピードにつながります。しかしスピードはつぶやきには合ってますが、何をしていたのかという本質を整理するには時間をかけた書き物や編集が必要です。ここは今後もそういう場であると見ていますが、八百万人紀行の大改築もあってどうなっていくかはやはりやりながらですね。

さて、天神ですが木村太郎さんというテレビの大先輩との出会いは良き事のひとつでした。一言でいうと社長であり経営者である木村太郎さんの発見、これに尽きます。またパネラーの方から横浜の例としてあそこはパブリックアクセスの視点で動いているとの発言がありました。パブリックアクセスのスタートは今から14年前に日本初の放送評論家の志賀信夫さんに声を掛けられ名古屋に呼ばれたメディアアクセス協議会発足です。すでに住民ディレクターを山江村や人吉球磨広域行政組合ではじめていたわたしは基調講演として世界の現状を話された津田正夫さん(当時は名古屋の大学にいらしたはず)の後に実践例として講演させていただきました。

それから火がついて津田さんがお仲間をたくさん連れて人吉に見学、研修に来られた事から一気に熊本がパブリックアクセスの最先端地ということになってしまいました。人吉のみなさんは勿論わたし自身もパブリックアクセスということ自体全く知りませんでしたし関心なかったのですがそれ以来、パブリックアクセスツアーの一環として住民ディレクター体験を「人が良い」人達との焼酎飲み会、自然や歴史、地域の課題とともにトータルで経験できるツアーとして売り出しました。当時は民放で毎週25分の住民ディレクター番組を持ってましたので格好の教材、研修になっていました。

そしてこの試みはくまもと未来国体のFMラジオ、西日本新聞の一面を使った住民ディレクター新聞、インターネット、最初のスタートだったCATV、衛星放送と次々とメディア経験していきました。そして昨日、ツィッターを舞台に取り上げられたというところでしょうか。

パブリックアクセスの場でも当時からずっと言っていました。住民ディレクターは山江村の農家の松本さんの完全無農薬のお米を売る為に考え出したもので、主張、権利を云々という場としては考えてない。勿論結果的にそうなることはある、と。米を売り出すためにテレビ局を退職し一人ではじめて14年、昨日木村太郎さんは2011年7月テレビは自ずとものを売るデパートに変わる激変の時を迎えると話されました。15年前にわたしが感じ、提案していた民放の最も地域に貢献できる姿です。ニュースもあるからこそ売れるはずなのです。長くなりました。続きはまたに。