東日本大震災があった15年前の今日は東峰テレビ開局からちょうど3ヶ月の日でした。東峰村に住民ディレクターを核にした全く新しい光ケーブル放送局による地域コミュニティの創造活動がはじまり、全国の注目を集めていました。
要請も多かったために翌3月12日に全国から受講生を集めて住民自身によるコンテンツ制作と情報発信のワークショップを開催予定でした。たまたま東日本大震災が起こったときに東峰テレビ局でその中継映像を目の当たりにしました。津波から逃げ惑う人々が映し出されていました。映像とはいえ、まさに自分がそこに彷徨っているように大津波の恐怖に体がこわばりました。全国に即、ワークショップの中止を連絡し、しばらくの間、沈思黙考の日々が続きました。
東峰テレビも開局してゆとりが無かった事もありすぐには支援に行けせんでしたが、支援内容はすぐに決まりました。元々地域づくりを支援するため起業した私の会社
(株)プリズムがプロデュースした九州の人吉球磨地域の住民ディレクター活動で日経地域情報化大賞日経新聞社賞をいただいたご縁で震災前に大船渡市の漁師さん達の地域活動のリポートを応援するために派遣されたことがありました。そのご縁もあり大船渡市をスタートに陸前高田市、釜石市などの沿岸地域を歩きました。どこも現地に着くまでは大変な道のりでした。
歩いて回って確信を持って進めたのが、近い将来必要になる沿岸地域の情報発信のための拠点を少し内陸に入った市町村に創ることでした。探し回ったところ、釜石市からは40-50分と少しありますが二つの市からは20分もあれば行ける住田町の女性担当者が賛同してくれました。当時の町長も快諾いただき、住田町に住民ディレクター活動の情報発信基地を創りはじめました。震災から1年半後にプロデュースした具体的な姿がこの「仕組み図」です。
すでに私が全国行脚し、住民ディレクター養成とオリジナルメディア構築を進めていた拠点が約30箇所にはありました。その方々が全員で被災地支援を宣言する30元中継(30地域をネットで繋ぎ生配信をすること)を5時間行いました。この当時、まだzoomのような便利なものは当然ありません。ネット網もまだまだ普及してませんでした。アプリは当時はスカイプだったと思いますが、できる地域、人材がいるところをとにかく結んだのです。継続支援する全国ネットワークを見える化することが第一番の目的でした。復旧、復興の合間にちょっとでもゆとりができたら、いつでもこのネットワークに乗って貰えば全国に発信できる一つの入口、ステージがあることを伝えることが第1弾の支援活動でした。
15年経ち、その間私自身が熊本地震で家を失い、九州北部豪雨で東峰村も壊滅的な被害を受けました。その3年後に人吉球磨地域も豪雨被災を受け実際にいつどこで何が起こるかわからない時代です。住田町では担当者が代わり、トップが代わり現在の状況は把握してませんが、少なくても東峰テレビは健在です。東峰村は今後も全国の支援を持続できるように粛々と人材も仕組みも、そして一番大事なコンテンツ制作という情報の中身を充実するように総合的に磨き上げています。
九州北部豪雨から8年、また東日本大震災より半年早く東峰テレビは15年を迎えました。東北には通い続け、少し前から具体的な動きを模索して歩いています。15年で何かが終わるわけではなく、むしろこれからが大事な時期だと考えています。固定概念に縛られず、閃きを大事にして東北の方々の気質や地域性を理解しながらじっくりと共に歩いていく復興・創生へ向かう気持ちで本日も心から黙祷を捧げ、ゼロスタートします。
*プリズムについて *住民ディレクターという人材育成プログラム








