TPP交渉でわが国が得たもの | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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菅元首相が「平成の開国」と称してTPP参加を表明した時は、アメリカの言いなりになる、「平成の壊国」だと大いに心配したものだ。しかし、8年後のいま、TPPは世界の貿易協定のスタンダードになりつつある。

先週末のTPP委員会の初会合で安倍総理は「私たちのドアはオープンだ」と述べて加盟国の拡大に意欲を見せたのも、その自負があるからだ。日EU・EPAが幅広い分野で合意できたのも、TPPの存在が大きいはずだ。

実際、先日発表された『安倍政権6年間の経済財政政策の成果と課題』でも、TPPや日EU・EPAでルール作りを主導してきたことを政権の大きな成果の一つとして挙げている。


(安倍政権6年間の経済財政政策の成果と課題 2019年1月18日)より
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019/0118/shiryo_01.pdf


これは、アメリカのフロマン代表と激しく渡り合いながら12カ国の合意に持ち込んだ甘利明氏、アメリカの離脱という大試練を乗り越えてTPP11をまとめ上げた茂木敏光氏の両担当大臣の働きによるものだ。

ただ、忘れてはならないのが、このトップを支え続けてきた多くの官僚たちの存在である。
交渉には、外務省、経済産業省、農林水産省などから大勢の官僚が交渉官として携わっており、12カ国の国益が激突する厳しい交渉を繰り返した。

その内の一人に、首席交渉官だった鶴岡公二に「彼なくしてTPPは実現しなかった」とまで言わせ、同僚の官僚たちからもその能力の高さ、外交官としての使命感や責任感の強さを認められた人物がいる。

アメリカも含む12カ国合意の半年前に49歳で急逝した外務省の元経済連携課長、松田誠氏である。
 

3年前の合意時にNHK記者が丁寧に取材し、いい記事にしているのでご紹介。


TPP合意にかけた或る外交官の死
NHK 2016年2月11日

2月4日、ニュージーランドで署名されたTPP=環太平洋パートナーシップ協定。日本が参加してから2年余りに及んだ交渉には、外務省、経済産業省、農林水産省など霞が関から多くの官僚たちが交渉官として携わりました
12か国の国益が激突し、時に夜を徹して続いた厳しい協議。そうしたなか、内外の交渉官から信頼を集めながら49歳で急逝した外交官がいました。『彼なくしてTPPは実現しなかった』と首席交渉官が語るその人はどのような官僚だったのか
経済部の伊賀亮人記者が報告します。
(以下略)
(全文はこちら→https://www3.nhk.or.jp/news/imasaratpp/2016_0211.html


松田交渉官は京都大学工学部出身で、あの日本維新の会の足立康史議員と同級だったという。
足立氏の通産省入省は分かるが、松田氏のように工学部から外交官というのは珍しいのではないか。もっとも、その経歴が通商交渉では案外役に立ったのかもしれない。

それはともかく、ネットでは何かと評判の悪い外務官僚の中にも、同僚や部下たちだけではなく相手国の交渉官からも評価されるこんな官僚もいたのである。
彼が相手国の交渉官からも評価された理由について、記事は次のように書いている。


松田さんの誠実な姿勢が難しい交渉を前進させたと多くの同僚が指摘します。TPP交渉に参加する東南アジアや南米の新興国は保護主義的な制度を多く残しており、先進国との交渉は難航する場面がよく見られました。松田さんは、交渉相手国の交渉官に対して、一方的に要求を押し付けるのではなく、相手の事情を理解したうえで一緒になって解決しようという姿勢を貫き、大きな信頼を獲得していったそうです。

通商交渉のなかでも最も難しい分野の一つとされる関税分野の交渉は、ちょうど松田さんが担当になった頃、厳しさを増していました。

鶴岡首席交渉官は「松田さんは最終的にできあがった合意の基本線をつくった責任者の1人だ」と証言します。



松田交渉官は、安倍総理がよく口にする「ウィン-ウィンの関係」を重視する姿勢を貫くことで内外の交渉官からも信頼を得ていた。
「誠実な姿勢」が交渉相手の大きな信頼を獲得していることも安倍総理と重なるではないか。

彼らはこの交渉でアメリカが離脱したくなるほどの結果を得る一方、交渉相手国の信頼も得ていたのである。松田交渉官の突然の死が彼と交渉にあたっていた各国の交渉官に衝撃を与え、その上司の首席報道官からも弔意が示されたのがその証といえる。

日本外交は相手国への配慮が過ぎると批判されることが多いが、彼は『国益』とは何かを常に考えながら、お互いにウィン-ウィンとなる解決策を見出してきた。
そして、記事によると、彼はTPPのその先も見据えていたという。


TPPの先を見すえて
その松田さんが、最後に取り組んでいたのが、TPP交渉後の日本の通商戦略をどう打ち立てるかということでした。

当時、交渉が最終局面を迎えていたとは言え、まだ合意できるか分からない状態で、すでにその先を見すえていたというのです。

交渉に参加していない国に今後どのように加盟してもらい、TPPのルールを国際的に共通化し、日本にメリットをもたらすのか考えていたというのです。

取材のたび、私は「『国益』のために頑張ってください」と声をかけられました。何が日本のためになるかを常に思い巡らしていたからこそ発せられたことばだったと思います。

TPPは日本企業の海外進出にメリットがある一方で、農業を初めとした国内産業への影響が懸念されているのは事実ですが、志半ばにして亡くなった松田さんが思い描いたTPP後の世界が「国益」にかなうことを願ってやみません。



交渉の相手国にこちらの要求を一方的に押し付けるのではなく、お互いの利益となる道を探る考え方は安倍総理の外交の基本的考え方の一つだ。弱肉強食のグローバリズムとは違う、ウィン-ウィンとなるパートナーシップを目指すのである。

松田交渉官が安倍総理の考え方を深く理解してそのように行動したのか、あるいは自身の信念からなのかは分からない。あるいは、その両方だったのかもしれない。しかし、いずれにしても、その姿勢は相手国にも、同僚や部下にも強い印象を残していたのである。

このような積み重ねがあったことが、アメリカが抜けた11か国をまとめ上げる大きな力になったのではないか。甘利大臣も松田交渉官もすでにいなかったが、茂木大臣を支えるチームにはその考え方や手法がしっかりと根付いていた。

「平成の壊国」から始まった困難なTPP交渉は、わが国に様々な形で財産を残していたのである。

(以上)

 

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