台風と国土強靭化 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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台風21号は大きな被害を残したが、とりわけ目立ったのが強風の威力だった。
多くの人が経験したことのない強風だと述べているように、これほど風の強い台風が都市部を襲ったのは久しぶりだ。1961年9月の第二室戸台風以来だろう。

今回の台風は室戸岬をかすめて阪神間に再上陸するという進路が第二室戸とそっくりだったが、風の凄まじさと大規模な高潮を引き起こしたところも同じである。57年前の台風の記憶のない人にとっては初めての経験で恐怖を感じた人も多かったと思う。

ちなみに、大阪南部の我が街でも街路樹が倒れたり信号機の向きが変わったりなどはあったが、海から離れているせいか大阪湾沿岸部の街ほどの被害はなかったようだ。だから、第二室戸台風の時に感じた強い恐怖を感じることはなかった。

しかし、海辺の古い平屋建てに住んでいた57年前は本当に怖かった。
その時にどんな恐怖を感じたのか、以前のエントリに書き残しているので一部を引用してご紹介したい。


(前略)

最大瞬間風速は大阪市で50.6m/sだったが、海辺にあった我が家の周辺はそれよりはるかに強かったはずで、突風が吹くたびに家が持ち上がるような感じがした。その恐怖感は今でも忘れられない。このまま家が壊れたら、強風が吹き荒れる中、どこに逃げればいいのだろう。

多くの瓦が飛んでしまい、激しく雨が漏る薄暗い部屋からは、木を打ちつけた窓の隙間越しによその家の瓦が紙切れのように舞い上がり、吹っ飛んでいくのが見える。両親の指示で帽子をかぶり、背中にリュックを背負った私は、「屋根が飛んでしまったらどこに逃げたらいいのだろう」ということだけを考えていた。

ところがそうなるわずか数十分前まで、台風がそこまで来ているとテレビが伝えているのに、我が家の周辺は空が晴れ、風もほとんど吹いていなかったのである。「これは予報が外れて、進路は東にそれたのではないか」と、本当に台風が来るのか半信半疑の状態だったのだ。

実は、このときの台風の進路予想は、気象庁が紀伊半島を横断して首都圏に向かうとしていたのに対し、大阪管区気象台は過去の室戸台風の進路に似た大阪湾直撃を予想していた。「やはり、気象庁の予報が正しかったのか?」そう考えていたら突然風が吹き出した。

風が強くなったので家に入ったが、本当にすぐに、いきなり屋根の瓦がばらばらとめくれて飛びはじめた。
いまから思うと、それまで山にさえぎられていた風が、台風が紀伊水道を抜けたことにより、まともに大阪平野に吹き付けだしたのだ。

結局、戦前からの古い我が家は塀がすべて吹き飛び、古い松の木が倒れ、海側の瓦が半分以上飛んでしまったが、家自体は無事だった。隣近所も同じようなもので、実際に近所で倒壊したのは鶏舎などの掘っ立て小屋だけだった。
しかし、あの家が持ち上がる感じ、その恐怖感はいまも絶対に忘れられない。

あの時父の指示で、窓だけではなく縁側の下にもたくさんの板を打ち付けた。ジェーン台風の時、風で畳が舞上がって家の中がめちゃくちゃになった知人がいたからだが、やらされるこちらは「何でこんなこと」と不満を感じていた。あの備えがなかったらどうなっていたことか。

(拙エントリ『国土強靭化こそ政治が主導するべき課題 2012-07-28』より)
https://ameblo.jp/akiran1969/entry-11314013360.html


半世紀近く前の恐怖感を少しは感じていただけただろうか。

文中にあるジェーン台風は1950年に近畿、四国などに大きな災害をもたらした台風だが、この時も屋根瓦がバラバラと飛ぶのを窓から見た記憶がある。当時の庶民の家の屋根瓦は現在のようにしっかりと固定していなかったのだ。

今回の大瞬間風速は大阪市で47.4メートルだったが、沿岸部ではもっと強かったはずだ。実際、海上に浮かぶ関西国際空港では58.1メートルを記録している。ところが、ネットに大量に出回った動画にも瓦が盛大に舞い上がる様子は映っていない。

瓦屋根が風で飛ばないように固定するのが当たり前になっているおかげだが、その一方、トタン屋根のようなものが簡単にめくれ上がって飛んでゆく映像がたくさんアップされている。
ソーラーパネルが空を飛ぶのも昔はなかった光景だ。

また、自動車が風で倒されたり吹き流される映像も目立った。

これほど簡単に倒れたり吹き流されるとは思わなかったが、軽量化、横風の影響を受けやすいワンボックスカーや屋根付きホロ付トラックの増加など、車自体が変わってきたことも影響していそうだ。いまはスマホがあるから余計に目立つのだろう。

また、第二室戸の時のほうがこれほど電柱は倒れかなかった気がする。
木から鉄筋コンクリートに変わって強くなったのはずだが、電話やネットなどぶら下がるコードが増えたせいだろうか。


さて、私は上記のような経験があるので台風が来るとあちこち点検して回る。ところが、妻や子らはあの怖さを知らないから、そんな私を騒ぎすぎだと言っていた。しかし、今回初めて風の強さを体感し多くの動画を見て認識を改めたようだ。

実際、第二室戸台風の時、父の指示の通りに対策をしていなかったらもっと被害は大きかっただろう。床下に風が入らないように板を打ち付けていなかったらどうなっていたか。
経験を生かして次の災害に備えることはとても重要なのである。

そういう意味で今回の台風では高潮被害が50年前と比べて非常に少なかったことは特筆に値する。関空の浸水はあったが、第二室戸に匹敵する記録的な高潮だったわりには市街地の浸水被害は少なかったのである。

大阪市の吉村市長は次のようなツイートをしている。





第二室戸台風による高潮は淀川の決壊こそなかったものの、俎上する高潮と波浪により沿岸部は非常に大きな被害を受けた。ただ、この時もジェーン台風後に作られた防潮堤のおかげで被害を免れた地域もあった。

これらの事実は、災害の経験を生かしてソフトハード両面でしっかりとした対策を実施すれば、被害を小さくできるという当たり前のことを示している。
安倍総理も総裁選に向けた『安倍晋三 5つの決意』のなかで次のように述べている。





某有名ブログでは安倍総理が最近『国土強靭化』を口にしなくなったと指摘していたが、決して忘れたわけではないようだ。平成25年に施行された国土強靭化基本法と基本政策である国土強靭化基本計画に基づいて着々と進めてきているのである。

ただ、その後も想定を超える様々な災害が実際に起きているため、さらに見直しが必要であることは間違いない。
だから、月刊Hanada増刊号『安倍総理と日本を変える』への寄稿でも次のように述べている。


国土強靭化は不可欠

 日本をさらに成長させるとともに、国民の生命と財産を守るうえにおいて必要不可欠なのが、国土強靭化です。

(中略)

 安倍政権では、四年前に国土強靭化を規定した「国土強靭化基本計画」に沿ってインフラや施設の耐震化、老朽化対策や災害時の情報伝達体制の強化、防災訓練の実施、ため池の維持、補修などを進めてきました。 
 四年前、広島で土砂崩れが発生し、多くの尊い人命が失われました。その後、砂防ダムを建設するなどしっかりと対応してきた結果、この地域では今回の豪雨被害を最小限に食い止めることができたのです。
 国民の生命や財産を守るため、ハード・ソフト両面で、やるべきことは全てやらなければなりません。
 たとえば、温暖化が進むなかで集中豪雨の量とスピードが従来と違う次元になっています。気候変動に対する緊急対策を取る必要があると考えています。河川の浚渫なども早急に行っていかなければなりません。



関空は最大で2.6メートルの津波を想定して高さ4.8メートルの防潮堤を建設したが、今回の高潮はそれを軽々と超えてしまった。
そんなときのための排水設備も用意したが、想定通りに機能しなかったとの報道もある。

さらに防潮堤を高くするのか、あるいは浸水しても早期に空港機能を回復できるような工夫を加えるのか、今後検討することになるだろう。

台風の傷跡が大きく残るなか、きょう未明には北海道を震度6強の激しい地震が襲った。
我が国が災害列島であることを念押しされたような気がしてくる。

だから、国土強靭化の取り組みに終わりはないのである。

(以上)
 

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