定説のない移民の定義 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

安倍晋三応援ブログです。
やっと明るい未来を語る政治家が総理大臣になりました。しかし、闘いはまだまだこれから。子や孫が希望を持てる国になることを願うおやじです。

人気ブログランキングに参加しています 
 
人気ブログランキングへ

私の場合、移民という言葉から移民船ブラジル丸が思い浮かぶ。ブラジル丸は戦前もあったようだが、私が映画館のニュース映画で見たのは戦後新造された二代目だ。その甲板に立ち、故国と親戚や知人と名残を惜しんで手を振る大勢の移民者とその間をつなぐものすごい数のテープが目に浮かぶのである。

移民の定義は国際的に合意されたものがなく、定まっていないというのが定説のようだが、四方を海に囲まれた日本の感覚と、陸続きで民族大移動的なルーツの国々ではずいぶんと違うように思う。日本人の場合、次のような定義がピッタリくるし、一般的な認識ではないだろうか。

日本政府は明確な定義は持たないが、一般的に当初から、永住・日本国籍取得を前提として新たに来日する外国人。日本国籍を持たずに永住している人は含まない。
産経新聞 3月14日 朝刊(リンクが見つかりません)

一方、三橋さんがOECDや国連の定義を元にしたという移民の定義は「一年以上、継続して日本で働く外国人」というものだ。OECDや国連の定義がどこにどんな形で書かれているのかまだ確認できていないが、例えば、国連の定義として見かけるのは次のようなものだ。

<移民の定義> 
国連事務総長報告書による「通常の居住地以外の国に移動し少なくとも 12 ヵ月間当該国に居住する人のこと(長期の移民)」(国連事務総長報告書による) 

日本人の一般の概念からはずいぶん違い、これを定義としてしまうと企業の海外駐在員も移民となってしまう。御主人のお仕事で3年ほど家族全員で海外暮らしをされた月の猫さんは、「いや~、私たち家族は、「移民」だったんですねー。」とおっしゃっている。

私は移民だった?!

同じく中国の日本企業で社長をしている私の友人も「単身赴任の移民」だったことになるが、奥さんもまさか自分の知らない間に夫が移民していたとは知らなかっただろう。国境を超えた出稼ぎが当たり前の外国の感覚を日本に持ち込むのは、やはり無理がある。

三橋さんはこの定義を根拠に「安倍総理は移民を否定しているが、実際には高度人材などの移民政策を進めている」と批判している。しかし、それを言い出すと留学生もダメ、企業が現地社員の教育のためにこちらに呼び寄せるのもダメ、学者も研究者も技術者もダメと言うことになってしまう。これでは、企業も大学や研究機関もやっていけないだろう。

それはまるで外国を見たことがなく外国人と接したこともないのに外国人排斥を叫んだ幕末の攘夷論のようだ。毎年20万人の移民を入れて日本を外国人だらけの国にするような考えも極論だが、この定義を元に移民反対と叫ぶことも極端な外国人排斥論といえるだろう。

(以上)

クリックしていただくと励みになります
もしよかったら押してください ↓↓↓                   


人気ブログランキングへ