戦勝国アメリカの科学技術史 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

安倍晋三応援ブログです。
やっと明るい未来を語る政治家が総理大臣になりました。しかし、闘いはまだまだこれから。子や孫が希望を持てる国になることを願うおやじです。

また、先日のアメリカ旅行の話を。


最初の訪問地ワシントンでは、市内観光の後スミソニアン博物館群のひとつ国立航空宇宙博物館を見学した。その名の通り、航空機と宇宙船関係の展示物を集めた世界でも最大級の博物館である。もちろんここも入場時にはゼキュリティチェックがある。


ライト兄弟が1903年に最初に運転した動力飛行機の実物から月面に人類が初めて立ったアポロ11号の着陸船まで、興味深い展示物がいっぱいある。中にはソ連・ロシアのソユーズ再突入カプセルの現物まで展示されているが、アポロの方は未使用品だ。



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(月着陸船の実物。義妹はこれを月から持って帰って来たと思っていたようだが、もちろん現在の技術でそれは不可能で、これは実際には使われることはなかった)

同行した義弟はリンドバーグが大西洋横断に成功したときの飛行機スピリット・オブ・セントルイスの実物を見て感激していたが、私は第二次大戦時の各国の戦闘機が展示された中にある日本海軍の艦上戦闘機である零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が目についた。

(スピリット・オブ・セントルイス)


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(零式艦上戦闘機五二型)


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1942年古賀忠義一飛曹の操縦するゼロ戦(零式艦上戦闘機五二型)が戦闘中に被弾し、アリューシャン列島のアクタン島に不時着してほとんど無傷で米軍に回収された。古賀一飛曹は不時着時の衝撃により戦死したが、それを確認できなかった僚機は機体を破壊できずに帰投した。生存の可能性を考えたのである。
(詳細は下記)


アクタン・ゼロ(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%AD#.E5.8F.A4.E8.B3.80.E4.B8.80.E9.A3.9B.E6.9B.B9.E6.9C.80.E5.BE.8C.E3.81.AE.E4.BB.BB.E5.8B.99


この飛行機は「アメリカにとってもっとも価値あるといってよい鹵獲物」「おそらく太平洋戦争における最高の鹵獲物の一つ」などとと言われるそうだが、その現物はアメリカにより散々研究された揚句、事故によりバラバラとなった。


だから、この博物館に展示されているゼロ戦はまた別のものなのだが、敗戦国に生まれた身としては、戦勝国が勝利につながった戦利品を誇示しているように思えてくる。ちなみに、古賀機は展示機より一世代前の二一型で、この博物館に破片が残されている。


第二次大戦関係の各国の戦闘機を集めたこの大きな空間は、戦勝国アメリカのメモリアルホールであり、この博物館全体がアメリカの航空宇宙技術やその周辺の技術(古い家電製品の発明品まで展示)の輝かしい歴史を誇示するテーマパークなのである。


ここには別館もあり、そちらにも紫電改や広島に原爆を落としたB-29長距離通常爆撃機エノラ・ゲイの展示もあるが、時間があまりなかったため見学できなかった。とはいえ、もうおなか一杯という感じもあったので私としてはそれでよかった。


ただ、この博物館はそれでも一見の価値がある。いま思えばもっと時間をかけてじっくり見てくるべきだったと、もったいない気持ちが湧いてくる。日ごろ飛行機などに興味を示さない妻や妹も十分楽しんでいたようだ。


この後、地下鉄でホテルに戻ろうとしたが、切符の自動販売機の使い方がさっぱりわからず立ち往生した。路線は色分けされていて分かりやすく、行き方はすぐに分かったのだが、どうやっても切符をゲットできないのである。


この自動販売機は日本のようにお金を入れて金額ボタンを押すだけの方式ではなく、行先までの金額を△▽のキーを動かして5¢単位で設定する。次にクレジットカードを挿入するか現金を投入すれば切符が出てくる・・はずが、出てこない。


同行4人であれこれやっていると、見かねたビジネスマン風の男性が親切にも手伝ってくれたが、その人もワシントンの地下鉄には詳しくないらしくうまく買えない。結局、駅員に操作してもらい、訳が分からないうちに切符を手に入れることができた。


後で分かったのだが、一回だけ乗車するのにもFARECARDという一種のデポジットカードに一回分の運賃をストアしたものを購入するのである。その時カードの代金5セントをプラスする必要があるのだが、それを知らなかったからうまくいかなかったようだ。


駅は薄暗かったが清潔で、電車も小型ながらきれいだったが、切符の自動販売機は日本の方がはるかに進んでいる。ただ、この仕組みはセキュリティ上の要請でこうなっているのかもしれない。とにかく、地下鉄に乗るだけで大騒ぎだった。


市内観光と博物館それに地元のショッピングセンターを駆け回った我々一行は疲れ果て、食事に出かける元気も食欲もなかった。結局、ワシントン最後の日のディナーは日本から持参したカップ麺とカップ焼きそばということになった。


そして、敗戦国日本の我々は、次の訪問地ニューヨークでもアメリカ勝利に貢献したという航空母艦イントレピッドを、そんなことは何も知らずに見学したのである。


(たぶん続く)


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