1月18日(水)
岩手県滝沢村チャグチャグホール「塞翁がチャグチャグライブ」
さあ、今日から極寒ツアーがはじまる。
佐藤号は天馬のごとく、日光から仙台へ2時間半でつく。さらにそこから岩手の盛岡まで2時間半というエクスプレスだ。
おかげで盛岡名物「白龍(ぱいろん)」の「じゃじゃ麺」が食える。(あくまで「ジャージャー麺」じゃない)
「なんだよ、こんな茹ですぎのうどん!」と誰もが思う。ところが「また食べたい、また食べたい」という「じゃじゃ中」に陥るのである。
極めつけは、食べ終えた皿に生卵をといてかき玉汁にしてもらう「ちーたんたん」だ。
これこそが盛岡を守る神だ!
「白龍」そばにある烏帽子岩
岩手県滝沢村では6月に農耕馬行列をする祭りがある。馬を飾り、首につけた鈴がチリンチリンと鳴る音が「チャグチャグ」と聞こえることから、岩手では馬のことを「チャグチャグ」と呼ぶ。
今日のライブ会場、滝沢町民ホールは「チャグチャグホール」と呼ばれている。
観客全員が主役になるオムニバスオペラ「塞翁が馬」シリーズにぴったりだ!
明日被災地にはいるので、そのまえにこれがどのくらい東北で通用するか、チャレンジしてみよう。
盛岡は内陸とはいえ、みんな何らかの形で災害をこうむってる。
そんな人たちが心を開いてくれるのか不安だった。
ところがどっこい、オレの不安をこっぱ微塵に吹き飛ばすように、人々は自らセルフストーリーを語りはじめた。
1、 Hello my mam!
2、 ハイボクノウタ
3、 Fin del Mundo
4、 ギフト(佐藤さんの話)
5、 H(叡智)
6、 祝福の歌
7、 ソウルメイト
8、 びっこのおかあちゃん
9、 命の歌
10、 ありがとう
11、 そらのやくそく
12、 MOVE! MOVE! MOVE!
主催の福士コーゾーは、3月11日、岩手県宮古市で震災にあう。
コーゾーは岩手のイケメンである。
津波で車を流され、交通機関はすべて麻痺していたので、自宅に戻れなくなってしまった。とりあえず身ひとつで避難所にはいった。
避難所は電気や水道はもちろん使えない。ケータイなど言わずもがなだ。コーゾーは家族の安否もわからぬまま誰とも連絡がとれない心細い避難生活を送った。
衛星電話で妻とようやく連絡がとれたのは震災から1週間たったときだった。
家族は「コーゾーはもうだめか」と涙し、妻のお園は生きたここちがしなかったそうだ。しかも運悪いことに「フクシコウゾウ死亡」と新聞の死亡欄に名前が出たそうだ。(たまたま同姓同名の人が亡くなった)
互いに安否を確認がとれたときには、これ以上ない幸せを感じることができた。
コーゾーファミリー
ケータイが使えるようになったころ、ある人から電話がきた。
古市さんだ。
コーゾーは以前古市さんの講演にいき連絡先を交換していた。古市さんは岩手在住のコーゾーを心配して電話をかけてきたのだ。古市さんの電話をきっかけにコーゾーは古市さんといっしょに岩手の避難所を通うようになる。
オレがコーゾーと出会えたのも震災のおかげだ。今日は奥さんと娘のサヤもいっしょにライブに参加してくれた。震災が運んでくれた出会いに感謝する。
この話に「Fin del Mundo」を歌う。
もうひとりの主催者ヨッシーは、5年ほど前に職場の同僚にイジメにあう。
ヨッシーは岩手美女である。
なぜ否定されるのかわからない。なぜ無視されるのかわからない。原因もわからぬまま、人を信じることができなくなっていった。心の中にはいつも疑心暗鬼な自分がいる。自信も失っていった。何をしていいのかわからず、ただ目の前にある日々を生きるしかなかった。数年たち去年くらいから職場の人間関係も回復してきた。自分に対する信頼感もとりもどしはじめた。信じたい、信じてもらいたい、思い出した感情を今は受け入れることができるようになった。
この話に「H(叡智」」を歌う。
女性Sさんは、生まれたときから母ひとり子ひとりだった。
小学校のときに母が病気で亡くなり、それからは常に孤独、むなしさ、寂しさとともに生きてきた。
結婚して子供が三人生まれた。
その頃から夫が自分に暴力をふるうようになった。母子家庭、母の死、家族、夫の暴力、そしてさまざまな大切な人との出会いからたくさんの学びをもらうことができた。
自分の人生は孤独や苦痛だけではない。闇があるからこそ光輝く人生がある。苦労は人生を豊かにしてくれる。今は人生そのものが素晴らしいと思えるようになった。
この話に「祝福の歌」を歌う。
陸前高田の女性Oさんはこんな風に語りはじめた。
多くのカップルは幸せの絶頂で結婚するのかもしれない。しかしOさんは彼氏との付き合いが長く、もう倦怠期をむかえたころに結婚した。
おなかに子供もいたし、結婚したら夫もやさしくしてくれるだろうと期待していたが、正反対だった。
この結婚は失敗だったのか?わたしの人生は子育てと飯炊きで、この台所で一生がおわってしまうのだろうか?
彼女は不幸ばかりを見つめていたときに気付いたことがあった。
自分が不幸か、幸せか、目の前の世界をどうとらえるかで自分を変えることができる。
視点を変えて幸せな世界を選んたときに見えてきたものは、家族のありがたさ、当たり前な日々に感謝できる心だった。
震災は破壊と絶望、喪失感がすべてだと思われがちだが、多くの出会いを運んできてくれた震災に感謝している。
この話に「パズル」を歌った。
青森市の女性Nちゃんは、去年母を亡くしてから感情コントロールができなくなり、半年間ずっと引きこもっていた。
「フェースブックの友人からAKIRAさんを紹介してもらい、昨日まで引きこもっていたのですが、青森から2時間半高速をすっ飛ばしライブにやってきました」
母が生きていたころは仕事をふたつかけもちバリバリ働いていたのに、今は引きこもっている自分を受け入れられず、情けなさがつのる。
「まだまだ辛い日々から抜け出せないかもしれませんが、今日は歌を聴いて少しだけ救われました」と言う。
この話に「命の歌」を歌う。
東京から地元岩手に帰ってきたYさんは地獄のどん底にいた。
年末に二度目の離婚をし、ひとり娘を夫のもとに残したまま、ひとり12月31日に東京から岩手行きの夜行バスに乗る。
バスのなかで新年を迎え、1月1日から岩手でひとり暮らしをはじめた。実家に戻ることもできず、今は朝と夜、一日二回娘と電話で話すことだけが楽しみだ。
夫は娘を手放そうとはしなかった。5歳の娘は母を心配させないように毎日元気な声で電話で話してくる。さみしさがつのるなか、出戻った自分を受け入れてくれる妹や兄の家族の優しさに改めて感謝した。
以前、妹の車のなかで娘は「びっこのおかあちゃん」を聴いたことがあった。たった2、3度聴いただけで娘は歌をおぼえ口ずさむようになった。岩手に帰ってきて妹の車に乗ったときカーオーディオからあの歌が流れてきた。涙がとまらない。
妹に今日のライブに誘われていたが断っていた。歌を聴いて涙を流すのだとおもうと辛くて耐えられそうにもない。
「でも、なぜか直前にライブに行くことを決め、AKIRAさんの歌を聴くことができました。きっといつか自分を肯定できる日がくる。今はまだ肯定できないけれど、そんな日がくることを願っています」
はじめYさんは自分の話をすることを避けて、前半は前列に座っていたのに、後半は後ろの席に逃げていた。
席は引きこもりのNちゃんのとなりだったのだ。
Nちゃんが母を亡くした話をしたあと、Yさんはぽつりぽつりと声をふるわせながら家族のことを話しはじめた。
ライブがおわったあと、YさんとNちゃんは会場の外にあるベンチに座り二人っきりで話していた。何を話していたの?とたずねると、こんなことを言ってくれた。
「Nちゃんはすごいですね。2時間半もかけて、たったひとりでライブにやってきたんですもの。Nちゃんに勇気をもらいました。フェースブックのアドレス交換もできて。今日は参加できて本当によかったです」
Yさんは驚くほどドラマチックなラストを話してくれた。
「Nちゃんはずっと引きこもりでお金もないから、今夜はネットカフェに泊まるそうです。寒いだろうから、私のマフラーを首にかけてあげました」
オレはふたりがつながったことがこのライブ最大の収穫だと思う。
こんなふうに、運命は決まっていないが、出会いは用意されているのだ。
さあ、明日は(もう今日である)朝5時に盛岡を出発して宮城県石巻市で古市さんオペラだ。
出会いとドラマを夢みながら馬車馬のように走り続ける旅はつづく。
※打ち上げは盛岡冷麺の名店、盛楼閣だ。(盛岡駅前ワールドインGENプラザ2階 TEL019-654-8752) 韓国で一番人気の店の冷麺を食べたが、ここの冷麺のほうが美味い。シコシコとこしがある太麺にあっさりとしているがダシのきいたスープと自家製のキムチが絶妙にからむ。
盛楼閣の焼肉はどれを食べても美味いが、特にロース(1300円)に驚いた。極上ロース(2100円)と食べ比べてみたが、しもふりがノリすぎている極上よりも通常のロースのほうが肉本来の味を楽しめる。