沖縄ライブレポート3 | New 天の邪鬼日記

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8月19日(日)チビチリガマ

「知花さんから電話で、チビチリガマを案内してくれるって!」
 ヨウコが興奮しながら言った。ヨウコは15年ほど前、友人から知花さんを紹介してもらい、チビチリガマへいった。オレがどうしてもいきたいというので、何度も知花さんに電話したが、なかなかつながらなかった。「やっぱり呼ばれてなかったんだ」とあきらめたとき、知花さん本人から電話があり、自ら案内してくれるというのだ。

読谷(よみたん)で島豆腐づくりをはじめたマナブが車で迎えにきてくれた。マナブはハンセン病施設「愛楽園」のときもドライバーをかってでてくれたし、ディープな体験をシェアする運命にあるようだ。マナブは東京の沖縄創作料理の店「ユーバンタ」で働いていた。「ユーバンタ」とはそのオーナーが育った浜の地元名だ。
そしてその浜こそがアメリカ軍が上陸した場所なのだ。
「あそこの崖のしたにいくつか穴が見えるでしょう? あそこも壕の跡です」マナブが指差す。
戦争資料館でアメリカ軍が上陸したときのフィルムを見たが、海が黒くなるほど戦艦がならび、ボートに乗った兵士がぞくぞくと「ユーバンタ」にあがってきた。この静かな浜が同じものだとは思えない。閑静な住宅街のはずれにある浜は泳ぐ者もなく、おじさんがひとりゴルフの練習をしている。
知花さんと会う前に時間があったので、沖縄レストラン「ユーバンタ」オーナーのお兄さんが経営する「地球雑貨」ショールームへいった。この一家のおじいさんがすごい人で、戦後アメリカ基地に忍びこんでいろんなものを盗み出しては売りさばいたという。亡くなったおじいさんを焼き場で焼いたとき、たくさんの散弾銃の弾がでてきて、それを親族で形見分けした。命を懸けて家族を養ったスケールのでかいおじいさんだなあ。

知花さんから連絡があり、チビチリガマで待ち合わせした。
知花さんは反戦地主として有名な人だ。
知花さんは「象のおり」と呼ばれる米軍の通信基地内に土地を持っていた。70年代、沖縄国体のときに日の丸の旗を燃やし、戦後もつづく日本政府の差別政策に抗議した。その事件はマスコミで大きく報道され、日本中から非難の的になる。当時の国民や右翼は、沖縄がどれだけ日本の犠牲になってきたかをしらされてなかった。彼らの無知を責めるより、歴史の真実を伝えない教育に問題があったのだろう。知花さんは、脅迫や暴力、嫌がらせや村八分と戦いつづけた。
反戦地主と聞いてビビっていたが、知花さんは人当たりのやわらかい、やさしい目をした人だった。1948年生まれというから、現在59歳だ。
「ガマというのは洞窟ですね。チビチリというのは尻切れという意味で、洞窟の横を流れる小川がここで途切れているところからついた名前です」
知花さんがていねいに説明してくれる。
 駐車スペースから階段を下りると、洞窟の左横にはそこで亡くなった人々の名前が彫られた石碑がある。


「集団自決という部分にカッコがしてあるのは、深い意味があるんです。自決というのは軍隊用語ですし、ここで死んだ3ヶ月の赤ちゃんや子供は自決などできるわけありません。もともと日本軍の洗脳による強要された死であり、強制死または、集団虐殺と言ったほうが近いのかもしれませんね」
洞の右には洞窟のこもった人々の彫刻がある。この彫刻も何者かによって破壊され、修復後は石の壁で覆わざるを得なかった。
「遺族たちは彫刻を壊されたとき、2度殺されたと嘆き悲しんだんです」
彫刻の中央には三線を弾く人の像がある。
「彼は比嘉さんといい、当時14歳でした。兵役に取られる年齢が15歳からなので、家族とこの洞窟にこもったんです。比嘉さんは伝令を頼まれ、家族を残し洞窟をあとにしました。あまりに悲惨なできごとを少年に知らせることができず、少年はひたすら家族を待ちつづけました。少年の心は荒れ、暴力に明け暮れる青春時代がつづきました。ある日少年は三線と出会い、心のうちを音楽で表現することを手に入れたんです。やがて並ぶことのないの三線弾きとなり、音楽で人々を癒しつづけています。比嘉さんは78歳で現存していますが、一度もチビチリガマのことを子供や家族にも話したことがありません。ある日テレビ局がわたし(知花さん)をとおして頼みこみましたが、一言も話しませんでした。じゃあ、その理由だけでも聞かせてくださいと言われると、そのことを思い出すと、今でも悲しすぎて泣きわめいてしまうので、絶対に話したくはないと答えました」
洞窟の入り口には看板がある。「ここはお墓なので、むやみにはいらないでください」「なかにあるわたしたち肉親の骨を踏まないでください」と注意書きがある。洞のなかにはたくさんの千羽鶴がさがっている。
前々回の日記からもう一度「チビチリガマ」について説明しよう。


読谷の海にほど近いところに「チビチリガマ」という洞窟がある。戦時中ここは避難壕としてつかわれていた。何十人もの家族が暗くて狭い洞窟の中で暮らしていたというだけでも胸が痛くなるが、もっと悲しい話がある。当時の皇民化教育によりアメリカ軍が攻めてきたら自分たちは殺されると思い込んだ住民たちは、アメリカ軍に殺されるぐらいならその前に自分たちで死んだほうがいいと、いちばん愛する家族に手をかけたのだ。もうひとつの避難壕「シムクガマ」に逃げこんだ人たちの中にはハワイ帰りの人がいた。「いくらアメリカ軍といっても同じ人間だ」と死を選ばなかった彼らは生き延び、チビチリガマにいた人々は集団で死んだ。泣き叫ぶ赤ん坊、まだ小さな子供や少年少女、老人の首を鎌で切り、最後に自分が死ぬ。チビチリガマの中にいた全員がそうやって無念の死を選ばざるをえなかったのだ。

今日は旧暦の七夕であり、沖縄でも神聖な日だ。マナブはおばあに「チビチリガマへいってくる」と言うと、「七夕は、まじむん(精霊)たちがやってくるから気をつけなさい」と言われたという。
しかもオレの誕生日だ。もちろん知花さんはそんなこと知らないし、たまたまこの日を選んだにすぎない。48歳の誕生日をチビチリガマで迎えるというのはなにか重要な意味があるように思えたんだ。
「あのう、ここでこの歌を捧げたいのですが」
オレは知花さんに「ぬちどぅ宝」の歌詞をわたした。知花さんはじっと歌詞をながめる。
オレは「ぬちどぅ宝」という歌が死者たちにつくらせてもらったと思っている。なかでもチビチリガマの話を聞いたとき、「ああ、この人たちがつくらせてくれたんだ」と思った。そしてこの歌の本当の作者である死者たちに歌ってあげたかった。
しかしウチナー(沖縄人)でもないオレが、そんな悲惨な歴史のある洞窟で歌なんか歌っていいのだろうか?
「いいでしょう」
知花さんは歌詞から顔をあげ、微笑んだ。


洞窟のなかは真っ黒い闇に覆われている。知花さんは入り口の机からろうそくを取り出し、頭をかがめてはいっていく。わずかな明かりをたよりに地面を照らす。
「これが鎖骨、これがあごの骨、心ない人が骨を踏みつぶしたり、時間とともに骨も形を失ってきました」
地面にあいた砂の間から骨のかけらがでてくる。
「この地面は白い砂が灰色の層でおおわれていますね。これも人の脂だと言われています。いくつか櫛もありますね。これはなんだかわかりますか?」
直径5センチほどの白く丸いビニール片を知花さんがつまみあげた。花の形にそって小さな穴があいていた。
「これはおしろいのコンパクトです。ここにこもった女性の宝物だったのでしょう。いつか生きて出られることを信じてもってきたのでしょうね」
茶碗やビンなど生活用品がそのままおいてある。
「このビンにはいった薬品で自決した人もいます」
「ひめゆりと同じ青酸カリですか」オレが聞いた。
「いえ、青酸カリすらも手に入らないので、なにか消毒液のような薬品を静脈注射したのでしょう」
サビついた金属を見たとき、背中に悪寒が走った。
「これが自決に使った包丁や鎌です。3ヶ月の赤ちゃんを殺す親の気持ちを考えてください。動物だって親は子供を守ります。ましてや人間が自分の子供を殺さなくてはいけないなんて、どれほどつらかったことか」
 墓の守りなのか恐るべき数の蚊が襲ってくる。手足はもちろんまぶたまで刺される。こもった湿気に息が詰まりそうになる。こんなせまいところに140人がはいっていたなんて信じられない。
「一度、高校の先生が実験をしました。140人の生徒をここにいれたんです。ぎゅうぎゅうづめで身動きは取れないし、酸素は足りなくなるし、暗闇の閉所に耐え切れず、生徒たちは1時間でパニックになったといいます。当時の140人は20日間ここで暮らし、自らの命を絶っていったのです」
知花さんがろうそくで譜面を照らしてくれる。オレは祭壇の前にひざまずき、ギターを弾きはじめた。
「無念のまま死んでいった者たちよ、どうか今生きている命を見守りください」


「ぬちどぅ宝」

青い海に還りし命
神の贈りし赤子の瞳

灰土の島に芽吹いた命
名もなき花の可憐な姿

ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ほかに従う理(ことわり)はなし
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ああ海が鳴るさ

愛しい里に育む命
風に舞い飛ぶ子供らの声

熱き想いを秘めたる命
恋の喜び 愛の苦しみ

ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ほかに従う理(ことわり)はなし
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ああ花が咲くさ

市に売られし子豚の命
朝夕いただく海山の幸

ウタキに祈る老婆の命
森をふるわす精霊の歌

ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ほかに従う理(ことわり)はなし
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ああ風が吹くさ

がけを飛びこむ乙女の命
耳をつんざく砲弾の音

鎌で首切る農夫の命
波に洗わる戦死者の骨

ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ほかに従う理(ことわり)はなし
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ああ空が泣くさ

ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ぬちどぅ宝 ぬちどぅ宝
ああ子が笑うさ

うしろから拍手が聞こえる。入り口の光に照らし出された知花さんが笑顔で言った。
「鎮魂の歌をありがとう」