沖縄のシャーマニズム | New 天の邪鬼日記

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 最近は沖縄シャーマニズム関係の本を読みあさっている。
 「宮古島シャーマンの世界」(滝口直子著。名著出版)はなんと6000円もした(涙)。100円の食費もケチっているオレには大打撃だが、必要な本だけはどうしても手元に置いておきたい。
 副題が「シャーマニズムと民間心理療法」とあるように、沖縄のシャーマンは心理カウンセラー的な役割が大きい。アマゾンやアフリカのシャーマンは薬草治療をおこなう医者的な側面があるが、現在の沖縄のシャーマンはほとんど薬草治療をしないようだ。
 病気や仕事の失敗や結婚や家族の問題など、相談者の話を聞き、神歌や祈祷をおこなってハンジ(判示=神の意見を聞く)をする。
 古くから受けつがれた理論体系がしっかりできていて、それにのっとって個人の問題がこれこれこういう原因で生じているので、こういうことをしなさいと具体的なアドバイスする。
 たとえば祖先の誰々の供養をきちんとおこなっていないから、こういう手順で供養しなさいとか、どことどこのウタキ(御獄=祈祷所)をまわりなさいとか、結婚は十二支の関係から何月にしなさいなど、具体的な解決策を教える。
 「理論づけ」と「当事者の参加」は世界中のシャーマニズムや現代の心理療法にも共通なところである。
 自分の問題が共同体の理論体系できちっと説明されると安心する。当事者が自ら参加することによって心が自発的で前向きな方向へと修正されるのだ。
 去年はバリ島で不思議な話を集めてきたが、自分の国の沖縄にこんな豊かなシャーマニズムが残されていたとは驚きである。
 ユタ(シャーマン)という言葉自体蔑称になるので気をつけなければならない。沖縄の歴史を見ると、ヨーロッパの魔女狩りのようにユタも弾圧されてきた。琉球王国時代からはじまり、明治政府や戦争中もユタ狩りがおこなわれてきたのだ。
 聞いた話によると沖縄本島では力のあるユタは数少なくなって、金儲けのための「脅し」が横行しているという。「悪い霊がついている」とか、「祖先の因果の報い」などといって相談者を脅し、高額の金をふんだくる。
 沖縄の中でもっとも伝統的なシャーマニズムが残っているのが宮古島である。宮古島ではシャーマンを「カンカカリヤ」(神がかった人)という。
 中でもオレが会った根間ツル子さんは本当に力のあるシャーマンである。
 オレは世界中でたくさんのシャーマンにだまされたり、金を盗られたり、いろんな目に遭ってきて、シャーマンを見分ける目が鍛えられた。無私の気持ちで人々につくすシャーマンは目の中に宿る慈愛がちがう。
 うまく説明できないが、いくつか特徴をあげる。まず「私が、私が」と自分の力を誇らない。深い思いやりがある。人間としての器が大きい。ユーモアを忘れない。
 けっこう「ユーモアを忘れない」というのは重要なポイントで、オレが敬愛するアイヌのアシリ・レラさん、アマゾンのパブロ・アマリンゴさん、インディアンのデニス・バンクスなど、ほとんどの会話がジョーク満載である。
 話を本にもどそう。「宮古島シャーマンの世界」は綿密に研究された学術書だが、第5章に根間ツル子さんの弟でやはりカンカカリヤである根間忠彦さんのライフストーリーものっていて興味深い。
 カミダーリ(神がかり)がはじまった1973,4年ごろ、忠彦さんは沖縄本島の大学に通い、ホテルのウエイターをやっていた。ワインの売り上げでいちばんになるほど優秀なウエイターだったのに、神に憑かれるたびどこかへいなくなってしまう。洞窟へ行って女神と交接したり、竜神から「崖を飛び降りろ」と言われたり、さまざまな幻覚に悩まされる。
 沖縄シャーマンのおもしろい特徴は、自ら好きこのんで神の道に入ったのではないということだ。神から「神に仕えろ」とメッセージがきても、ほとんどの人は普通の幸福を捨てるのは嫌なので、拒む。または「子供が大きくなるまで待ってください」と「延期願い」をする。
 神は嫉妬深い。
 神はシャーマンの素質があると惚れ込んだ者が、個人の幸福を追求するのを許さない。仕事や結婚を破綻させ、シャーマンになるしかない状況まで追い込んでいく。
 こうしていやいやながらもカンカカリヤになった者は、個人の幸福を捨て、より多くの人々の幸福を支える「神事(かみごと)」という仕事に就くのである。
 民俗学の権威である谷川健一さんの書いた「神に追われて」(新潮社)は、根間ツル子さん(本では根間カナ)の衝撃的な宗教体験が小説形態で描かれている。
 3ヶ月間眠らず、食事も摂らず、水さえも神から禁じられ、宮古島を幽霊のようにさまよう壮絶なカミダーリ(神がかり)だ。
 乞食のようにみすぼらしい白ヒゲの老人が幻覚のなかで彼女をいざない、宮古中の聖地をまわらせる。島の人々からは「フリムン(気狂い)」とあざけられ、夫からも夜中までさまよってるものだから「浮気をしている」と罵倒される。宮古病院に行き、「頭に 穴が5つ開いていて、そこから神様が出入りしている」と自ら入院するが、どんな強い睡眠薬をとっても眠ることはできない。
 しかし沖縄にはカミダーリ(神がかり)になった人を精神病と見なさず、「いつかカンカカリヤ(シャーマン)になって人々を癒すための通過儀礼だ」と考える伝統がある。島の歴史でもかつてなかった激しいカミダーリをくぐりぬけた根間さんはもっとも信頼を集めるカンカカリヤになった。
 「続・ぴるます話」(佐渡山安公著。かたりべ出版)はなかなか手にはいらないのだが、石垣島のヨウコがゲットしてくれた。この本には根間さんが自ら語った「神語りの世界」がたくさん収録されている。
  根間さんがカミダーリ(神がかり)になったとき、中学校の裏手にあるウタキ(井戸のある聖地)の前で足が止まった。そこはゴミなどで埋められていて、中学校が体育館を建設するという。
 根間さんは狂ったように訴える。その井戸を掘り返し、きちんと祭ってやらねば災害が起こると。はじめは狂女のたわごとだと地主や学校も相手にしなかったが、予言どおり宮古島を干魃が襲った。あわてて学校は体育館の建設を中止し、地主は井戸を掘り返してウタキを復活させた。
 もともと宮古島はきれいな湧き水の出る井戸を聖地とあがめてきた。島民たちにとっては貴重な飲み水を得る「神の恵み」の場所だった。近年水道が整備され、ライフラインとしての機能は失われ、急激な開発によって信仰もすたれる。
 しかしウタキは島が呼吸する場所だし、そこをゴミなどでふさぐと息が詰まり島自体が死んでしまう。同時に島民の精神性を支えてきた信仰がすたれると、リゾート開発がなし崩しに進み、最終的に人々の心までが荒廃してしまうのだ。
 オレが根間さんに強く惹きつけられるのは、このように大きな視野を持っていることだ。ふつうのシャーマンは個人的な悩みをローカルな視点で解決するだけだが、根間さんの場合は宮古島から沖縄文化圏、日本から地球規模の問題につながる宇宙観を持っている。
 オレがアシリ・レラさんと出会ったとき、アイヌの知恵は過去の遺物ではなく、オレたちの未来に必要だと直感したように、根間さんとの出会いも同じ衝撃を受けた。
 この知恵を失うと、あとで取り返しのつかないことになる。根間さんの豊かな宇宙観を今、若者たちに伝えておきたいという衝動にかられた。
 根間さんが北海道に行ってアイヌの儀式を見たとき、「アイヌと宮古は親戚だ」と言いだしたことがある。実際沖縄文化圏の中でもアイヌにもっとも血液が似ているのは宮古島の人たちだという研究結果もあるそうだ。
 根間さんに弟子入りしたいなあ。
 どういう形になるかわからないが、いつか沖縄シャーマニズムの本を自分なりに書いてみたいと思う。
 未来の子どもたちのために。