癒し | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 今日は「癒し」について考えてみよう。
 アメリカでは80年代、日本では90年代からこの言葉が盛んに聞かれるようになった。こんなむずかしい漢字はほとんどの人が書けなかったし、高度成長や革命万歳の時代には必要なかった。
 物質文明の頂上に登ったら、人々は天国がなかったことに気づく。
 バベルの塔を築くのは、体も心も傷つく。(ラップ調で)
 気づけば、「日本列島改造論」や「プロジェクトX」で人も地球もボロボロになっている。
 そこで復権してきたのが「癒し」、「ヒーリング」ブームである。30年まえなら「石を投げれば革命家に当たる」だったのが、今や「石を投げればヒーラーに当たる」時代になってしまった。
 英語の「heal」(癒し、治癒)は古代ゲルマン語の「hal」(完全な)が語源である。
 「hal」から「health」(健康)や「holy」(神聖な)や「whole」(全体)もきている。
 悪名高き「ハイル、ヒットラー!」(ヒットラー総統万歳)の「hail」も「完全なるヒットラー」、「ヒットラーに健康あれ」という意味である。
 「hal」の語源をさかのぼると、ギリシャ語の「holos」(全体、バランス、つながり)にいきつく。
 西洋医学の局所治療にいきづまり、やっと日本でも心と体の全体を癒す「ホリスティック(holistic)医療」が一部ではじまりつつある。
 「癒し」はもともと古代日本語で「癒ゆ」という。(シャレじゃないぞ)
 「癒ゆ」は「~によって癒える」という自動詞だったが、「癒し」は「~を癒す」という他動詞だ。
 この微妙なちがいに気づいてほしい。
 オレの独断と偏見による「癒し」論にはいる。
 「癒ゆ」の「~によって癒える」には「自然」によって癒えるという、自然治癒力へのリスペクト(畏敬の念)があった。
 しかし現代の「癒し」は、「わたしがあなたを癒す」とか「医者が患者を癒す」とか「ヒーラーがクライアントを癒す」とかでつかわれることが多い。
 特殊技能をもった医者やヒーラーが「自分の力で癒している」と思いこんでいる。
 わけのわかんないニューエージ理論をふりまき、気持ち悪い微笑みで同情を蔓延させる
 「かんちがいヒーラー」よ、くたばれ!
 はっ、また興奮してしまった。
 オレたちは全員がヒーラーだ。
 生きとし生けるもの、植物も昆虫も動物も鉱物も天体も、
 存在するものすべて、セブンイレブンのビニール袋さえヒーラーなんだ。
 だから「わたしが天の力をつかい、あなたを癒します」なんてエバんなよ。そんなヒーラーは高い金をぼったくる偽物だ。
 オレは世界中でたくさんのシャーマンに会い、たくさんだまされてきた。
 すごいシャーマンほど謙虚だ。自分に力があるなどと思ってない。大いなる自然と傷ついた人をつなぐ翻訳者にすぎない。
 命がけで冥界に降り、悪魔と対面し、自然と合体し、その力を現実界へもちかえってくる。
 7世紀頃のアングロサクソン人の祈りを紹介しよう。

大地よ
人間の母よ
完全なれ
神の懐に抱かれ
大きくなれ
食べ物で満ち溢れよ
人間のために

 「heal」(癒し)の語源であるギリシャ語の「holos」は、全体性の復活、バランスの調停、つながりの回復だ。
 ジェームズ・ラブロックの「ガイア理論」では、地球はひとつの生命体として持続させていくホメオタシス(恒常性)をもっている。
 人間も完璧な自然治癒能力を備えている。
 病気は天の贈り物だ。
 病という閉鎖系から、開放系へ、
 大いなる自然とのつながりとりもどすため、
 自分をとりまく人々の愛情に気づくため、
 失われた絆をふたたび結び直すため、
 神々はたったひとつだけの「癒し」を用意した。

 それは……
 出会い。