バリ島にきた猫 | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

バイクでバリ島縦断の旅に出た。
熱帯の樹木が陽光に煌き、瑞々しい棚田が広がる。ところどころ穴の開いた田舎道を緑の風を切って走る。
ストラップの切れたおんぼろヘルメットにはゴーグルもない。小さな虫たちがオレの顔めがけて突進し、ときどき目や口に飛びこむ。
信号のない道を走る爽快感、他人の速度にあわせる必要のない開放感、手を振る子どもたちの笑顔と自然に包まれる一体感、道路の振動に増幅された喜びが骨盤から昇ってくる。
「ひゃっほー!」
けっこう馬力のあるヤマハの100ccはどんどん先行車を追い抜いていく。
ベモと呼ばれる乗り合いタクシーを抜こうとした瞬間、真っ黒いトラックが目の前に立ちはだかった。左車線にもどろうとすると、対向車のトラックがオレの左に車体を寄せたのだ。0.数秒の選択は3つしかなかった。
1、ベモを追い越し左へはさまれる。
2、トラックと正面衝突。
3、右へ道をはずれる。
目の前に迫った黒い車体を引きちぎるようにハンドルを右にひねった。アスファルトからはじきでたバイクは砂利のうえでブレーキを空転させながら斜めにかしいでいく。
立ちこめた埃がゆっくりと沈み、気がつくとオレは右足をバイクに挟まれたまま横たわっていた。
痺れるような激痛に身動きすらできない。
数人の男たちがかけよってきて、バイクを立ててくれる。オレの腕を引っ張って起こしてくれようとするが、あまりの痛さに断った。
ストラップのかからないヘルメットは脱げていない。意識はしっかりしているようだ。どのていどの怪我かわからなかったが、じょじょに痛みが引いていく。
「救急車を呼ぼうか」というのを断って20分ほど道に倒れていた。やっと自力で立ち上がろうとすると男たちが肩を貸してくれた。バイクの鏡に映った顔を見て笑った。小麦粉の中に顔を突っ込んでキャンディーを探したように真っ白だったからである。
男がオレのバイクを点検している。どうやらエンジンがかからないらしい。男は「ノープロブレム」と言って親指でうしろを指した。店の看板にはこうある。
「CENPAKA MOTOR」
なんとオレはバイクの修理屋のまえで事故ったのだ。ほどなくしてエンジンはかかり、レンタバイク屋にばれるほどの破損箇所もないことがわかった。店のスタッフがタバコや健康ドリンクをくれる。
おじいちゃんがいきなりオレのまえにひざまずき、ひざに唾をなすりつける。「汚いからやめて」とは言えず、なすがままにさせておくと、幼いころ母親に同じことをしてもらった記憶がよみがえる。身も知らない外国人の治癒を祈りながら無心で唾を塗るおじいちゃんを見てたら急に泣きそうになり、あわてて目をそらす。
いつかオレもこんなおじいちゃんになりたい。

この日、愛猫コマが死んだ。
あっそうそう、コマおまえ、オレに会いにバリにまできたろう?
今日帰ってきてから不思議な話を聞いたんだ。
同じ敷地内でべつべつの部屋に泊まっていた女の子がおまえが死んだ日に猫の幽霊を目撃したんだって。
ひとりは消えたテレビに猫の影が映った。
ひとりは白い猫の影が部屋を横切るのを見た。
もちろん彼女たちはおまえが死んだなんて知らない。
わざわざオレを探しにきてくれたんだね。
昔から「ペットは飼い主の身代わりになる」という迷信がある。
まあコマはいつ死んでもおかしくない老齢だったし、たんなる偶然と片づけられるだろう。
少なくともオレにとってのコマは、
無知な愛玩動物ではなく、
守り神のような老人だった。
オレがつまづいたときも、
転んだときも、
いつのそばによりそってくれた。
ニューヨークで生まれ、
飛行機で太平洋をわたり、
日光で暮らした。
おまえほどみんなから愛されていた猫もめずらしいぞ。
たくさんの人々のひざにのり、
たくさんの手でなでられた。
おまえは字が読めないから知らないだろうけど、
腫瘍の手術のときも全国から励ましのメールをもらったんだぞ。
エリザベスカラーをつけられたときは、さぞかし不自由だっただろう。
動物病院に連れていくとおびえて隅に固まってしまったよな。
2回目の手術のとき、何度も呼吸が止まりかけたんだ。
オレは何度もつぶやいたよ。
もういいよ、
もういいよ、
そんなにしてまでオレを守ってくれなくても。
それでもおまえは生きのび、
オレの旅立ちを見送ってくれた。
もう会えないことを知っていたくせに。
感傷的な意味じゃなく、
おまえが事故からオレを守ってくれたと信じている。
機械仕掛けの真実よりも、
オレはおまえのぬくもりを信じたいんだ。
ありがとうコマ、
缶詰のえさはあまったままだ。
ありがとうコマ、
「モコモコの愛」を。
ありがとうコマ、
これからは化け猫になってオレを守ってくれ。