ねじれた愛 | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 コマの手術が終わった。
 前回の麻酔ではだいじょうぶだったのに、今回は麻酔を強くすると呼吸が止まることが何回かあったので微調整がむずかしかったそうだ。軽い脱水症状もおこしているし、腎機能も弱っている。
 右頬にたまっていた水をぬき、口元の膿をだした。次回からはもう麻酔に耐えられないという。
 コマは18年生きているから、人間の年齢では八十八歳の米寿である。
 傷口を引っ掻かないようにエリザベスカラーをつけられたので、ますます「ゲオルグ・フォン・ホーウェルポポフ男爵 」の威厳をただよわせている。
 こんな痛い思いをしてまでオレを守るために生きてくれてると思うと泣けてくるぜ。
 ペットと飼い主という関係ではオレが保護者役だが、年老いた親を介護してるようなもんでもある。老人なのも忘れてつい「かわいいー」攻撃をしてしまうが、人間の親にスリスリするのはむずかしいな。
 昨日の日記を読んだmichimonさんからこんなメールをもらった。

  今、日記をよませてもらいました。
 須藤さんの感想を読んで、なぜ私が「神の肉」の感想文を書くのにあんなに時間がかかったのか、時間をかけたのに何故あんな心のない文章になったのかわかりました。
 見ないように、見ないようにして、硬く硬く塗り固めて心を閉ざしていた。
 その壁が崩れた。
 もう、父親と20年もギクシャクしています。
 私の家は普通の家庭で、虐待されたこともなく、金銭的に困ったこともなく、何か無理強いをされたこともない。
 確かに具体的に嫌いな性格はある。未熟だとは思う。
 でも、きっと愛されてきた。
 でも、愛されたという実感がない。
 それは愛されるに自分は値しないとおもっているから。
 小学校のある夜、何か物音が部屋できこえ、別の部屋で寝ている親をよびにいった。父親が一緒に寝てあげる。といって私のベッドに横になった。
 私はなんだかいやで、ずっと部屋のすみに膝と罪悪感を抱えて座っていた。
 しばらくして、父親が捨てセリフを残して部屋を出て行った。
 そのときの言葉はなんだったか覚えていない。
 その夜、私は父のいなくなったベットで泣いた。
 翌朝、母親に「お父さんのことが嫌い?」ってきかれて、返事に困った。
 その頃からだったと思う。父親が苦手になったのは。
 些細なこと。とても些細なことがずっと心に残ってごめんなさいと思い続けている。
 私は父親を悲しませていると思っいつづけている。
 父親にあきれられていると思い続けている。
 なぜあの夜、そばで眠れなかったのかは、わからない。
 「心配だから一緒に寝る。」だけじゃない気持ちをなんとなく感じていたのをなんとなく覚えている。勘違いかもしれない。
 今もどう接したらいいのかわからない。
 目をあわすと心がそわそわしてしてしまう。
 体がちょっと触れるとびくっとしてしまう。
 それは、父親に伝わっていると思う。
 悲しませていると思う。

 数年前に心筋梗塞で倒れ、今も毎日の薬をかかさない、年老いてしまった父親。
 もう、70を越えた。いつ死んでもおかしくない
 でもまだ死なないで。と思う。
 死ぬ思いをしてるのに、まだ心が開けない。
 姉が父親とも母親とも仲がいいのが私の救い。
 対決する勇気がない。
 あの時はごめんなさいという勇気がない。
 高圧的で自分の尺度しかなく、物事を受け入れない父親が嫌い。
 そこが気になるという事は、自分の影だ。結局、父親を受け入れていないのは自分。
 嫌いと思う自分が嫌い。受け入れていない自分が嫌い。
 私はゆるされているのかな?
 許されていると信じることかな。父親を信じることかな。
 この心はまだまだつづくのかな。
 須藤さんは53歳。
 私も53歳になっても続くのかな。
 「ふてくされた態度しかとれなくてもいい」という言葉にとても救われました。
 タフになりたい。受け入れる広さを持ちたい。
 Akiraさんのおっしゃっていたとおり謙虚に生きたい。
 人を信じたい。
 父親を信じたい。
 Akiraさんと、須藤さんに、ありがとうございます。です。
 本日の日記を読んで、泣きすぎで、鼻水が出すぎたせいで、でてきた鼻血もやっととまりました(笑)
追伸
 1月初旬。引きこもっていて、誰とも繋がろうとしない大事な友達の誕生日に、「COTTON100%」 「風の子レラ」を送りました。
 「必要なときに、必要なものに出会う」になることを祈りつつ。
 引きこもってようが、私と会ってくれなかろうが、ご家族の心労は別として、彼女が苦しく、辛い思いをしていないことを祈りつつ。(17.jan.2005 michimon

 父親と息子もむずかしいが、娘との関係も微妙だね。異性ということもあるし、女の子の繊細な心理を父親は読みとれない。
 「神の肉」では高校生になった妹が酒乱の父に往復ビンタをくらわすエピソードを書いたけど、父親は当然のごとく娘を支配下におきたがる。とっくに思春期から娘の心は独立してるのに、父親はそれに気づかない。または、無意識の恐れから気づこうとしない。
 こうしてお互いが腫れ物に触るようにコントロールドラマをくりひろげるのだ。須藤さんやmichimonさんの父親も(うちもそうだった)、体力的には子どもに勝ち目はないのに「威厳ある父」という役を放棄できない。
 母親は母親でまたやっかいなのよ。
 わりとものわかりのよかったうちの母でさえ、オレが高校のときから大人になるまでガールフレンドを紹介すると、あとで必ず文句を言った。
 生まれて初めてオレが母親に説教したことがある。
「オレのまわりに友だちがたくさん集まるのは他人を批判しないからだよ。誰かに文句を言うことは、自分に文句を言ってるのと同じことだから。誰にでも悪いところはあるけど、いいところもある。だったらいいところを見てあげようよ」
 妹の往復ビンタが父親に子離れさせたように、このひと言は母親にとってそうとうこたえたらしい。叔母から聞いた話では「もうこの子は子どもじゃない、わたしの手をはなれたんだわ」と落ちこんでいたという。
 嫁と姑の争いってのは太古の昔から現代に至るまで遺伝子に組み込まれているんだからしょうがない気もするが、たしかに母はそれ以来オレの行動を尊重してくれるようになった。
 母と娘も相手の手口がわかっているだけにたいへんだよね。
 母親は必死で娘の冒険をやめさせようとする。たとえば25歳ではじめて海外旅行にいくKさんのメールを紹介しよう。

 この間 朝起きると 枕もとに一通の手紙が置いてありました。
 お母さんから。
 (念のため・・・私は未だ両親と実家に住んでいます)
 私の母は 在日2世として東京に生まれました。彼女の父親つまり私の祖父は 長い間日本人から差別され虐げられて この娘にだけは苦労をさせまい と心に誓い 母を超箱入り娘として育ててきたそうです。
 そんな母は 当然のことながら非常に保守的なのほほんとした人で、私が旅に出ることを決めてからずっと機嫌が悪く 何を話してもまともに取り合ってくれませんでした。
 その母が 何かを覚悟したように手紙をよこしてきました。
「もしも 強盗に遭ったら 迷わず持っているありったけのお金を差し出すこと。
 もしも 強姦に遭ったら 抵抗せずなすがままに犯されること。
 なにがあっても 必ず 生きて帰ること。
 母より」
  久しぶりに 声を挙げて わんわんと泣きました。
 旅立つAkiraさんを見送るお母さんも きっと同じ気持ちだったと思うんだ。
 こうやって 掛け値なしに愛してもらっている この気持ちを私もいつか誰かに返しながら生きていけたらなぁ と思っています。(Kさん)

 この手紙、むっちゃ笑えるけど、泣けるよね。「もう娘を止められぬ」と悟ったお母さんは必死でアドバイスを考えたんだ。ありとあらゆる災難を予想した結果、いきついたのは「必ず 生きて帰ること」だった。
 子どもも親を恐れるが、親だって子どもを恐れているんだ。親子の愛ほど伝えにくいものはない。恋人同士なら直球勝負でいけるけど、親から子への直球はかんたんに打ち返されてしまう。だから親は甘いスローボールや消える魔球を編み出す。そこがおもしろくもあり、いじらしいんだよね。
 愛って、ねじれればねじれるほど長くなめていられるから。

PS
  「ねじれた愛」エピソードを募集します。(親はもちろん恋人や伴侶も可)
 メール(info@akiramania.com)で送ってください。ぜんぶは無理だけど、みんなでシェアしたい内容のものは日記に抜粋します。(匿名希望か、リンク希望と書いてください)