前の記事の続きです。。。

 

今回のこと、「彼女と出会ったの必然」とか「相手は自分の鏡」とか彼女の存在を意味づけられるようなこと言われるのは嫌だったし、誰かに話して共感して貰いたいとは思っていませんでした。

 

まさよさんも今日のブログにこう書いているしね。

 

でも、彼女のバンドでの豹変ぶりを知っているのが私だけで、それを公平な目で見てくれる人もおらず、悶々とした気持ちを一人で抱えているのはやはり辛かったです。

 

彼女と私の共通の知人は、趣味の習い事で一緒というだけの間柄。

楽しむべく集まったその場所で誰かが揉めているなんて、関わりたくも知りたくもないですよね。

なので誰にも言いませんでした。(で、ブログに吐き出した次第です)

 

しかし、彼女は今回の件を共通の知り合い2人に話したようです。

「maximaさんのLINEが既読にならないので心配」とい言いつつ、これまでバンドを辞めて行った人達と同様「自分から入りたいって言ったくせに…」等、自分は悪くないという長ーいメッセージが送られてきたと聞きました。
(自分から『バンドに入れてください』ってフツー言わないでしょ。X JAPANとかならいざ知らず)

 

そのうちの1人は、とっても穏やかで優しい人。

すごく心配してくれたし、一生懸命言葉を選んでくれたんだと思いますが…

 

「お互いの誤解が解けたらいいね。きっとまた仲良くなれる時が来るよ」

 

は、心がひり付いていた私にとって非常にきつい言葉でした。

 

生徒「先生、私いじめられているんです。もう限界です!」

先生「何か誤解があったのでしょう。ちゃんと話し合って仲良くね」

 

例えるとこんな感じ↑

(私は他の道を選択することもできる大人だし、この例えは大変失礼なのですが)こう先生に言われた生徒さんは、いじめの場ではなく「ここ」で絶望を味わうんだなと思いました。

 

私は片方だけの意見を聞いて同調するのは嫌で、子供にもまず「それ実はあなたも悪かったんじゃないの?」と言ってしまうところがあるのですが、何があっても無条件に味方になってくれる親や友人はとても有難い存在なのだと気付きました。

そして、私にはその‶味方成分”が欠けていたことにも。

 

ラブラブ

 

それからもう一つ。

私は「手伝ってほしい」という言葉に弱いということに気づきました。

『不器用で気が利かない』『何もしないのが一番のお手伝い』と言われて来たので、頼られると嬉しいのでしょう。

今回バンドに入ったのも、彼女に「私の歌の手伝いをして欲しい」という言葉が決め手だったのです。


実際は手伝いというより生贄でした。

 

音譜

 

その後、私は5ヵ月ぶりにミュージカルのボランティア団体に復帰しました。

かなり緊張しましたが、お帰りなさいって迎えて貰えました。

‶バンドの彼女”も出席していましたが、もうどうでもよい存在になっていました。

 

先日は、10年振りにLIVEハウスで、自分の歌いたい歌を自分のために歌いました。

大切な場所、まだ残っていて良かった。

 

どこに行っても居場所がないと思ってしまいがちだけど、

猫みたいにその時その時で居心地いい場所を見つけたらいいんだよね。

 

 

足の上とリモコンの上は困る…。