「宇宙戦隊キュウレンジャー」は、2017年に放映された、スーパー戦隊シリーズ第41作目である。
メインライターは、毛利亘宏氏。
毛利氏が東映特撮作品でメインライターを務めるのは、初めてである。
「キュウレンジャー」の最大の特徴は、初期メンバーが9人(最初期は4人だが)ということである。
追加メンバーが3人で、結局12人となった。
全員が人間型でなく、アンドロイドや獣人、機械生命体など多種多様である。
デザインが、単なる色違いでなく、ガルに毛がついているなど、それぞれ独自のデザインになっている。
また、基本的に、キューレットで選ばれた5人が出動し、後半になるまで、全員で出動しなかった。
もう一つの特徴が、ジャークマターに支配された地球というパラレルワールドの話だということである。
デカレンジャーとギャバン2代目が出てきた話で、そう言われていた。
今まで、戦隊シリーズは、一部の例外(「デンジマン」と「サンバルカン」)を除き、基本的に、作品間のつながりはなかった。
それが、VSシリーズや「ゴーカイジャー」を経て、今では同一の世界観を持つようになった。
そういう過程を経てきたから、過去のスーパー戦隊と違う世界での戦いというのには、正直、戸惑いを感じ、当初はなじめなかった。
そして、第3話までは、他の惑星が舞台で、ちょっと地に足がついていない感があった。
前半は、9人が揃った後は、スティンガーの兄との確執とアルゴ船の捜索で、ストーリーが進む。
ただ、肉親との確執はよくあるストーリーで感情移入できなかったし、何かを捜しゲットするというロールプレイングゲームみたいなのには関心を持てないこともあって、前半はあまりのめり込めなかった。
せっかく宇宙規模の敵組織なのに、なんか残念だった。
後半、ツルギが出てきて、ラッキーとぶつかるようになったあたりから、キャラクターに親しみを持てるようになってきたこともあり、いい印象を感じることが多くなってきた。
ドン・アルマゲが、どうして過去で倒したのにもかかわらず、まだ現在で生きているのかというのには、すごく興味を惹きつけられた。
それでも、ナーガがヘビツカイメタルになるあたりも、ナーガの望み=感情を手に入れるという重要なテーマを描いているのにもかかわらず、今一つ描き切れていない感じがした。
ラッキーの父との確執も、スティンガーで描いていたのの焼き直しっぽい感じがした。
結局、ドン・アルマゲは、他の生命体に憑依することで複数の個体が存在し、また、倒された時にも、別の生命体にすぐに憑依することで、生きながらえていたことがわかる。
現在では、クエルボに憑依していたが、クエルボはそんなに印象的なキャラでなかったし、ツルギに対する思いや伏線も描かれてなかったし、それに関して衝撃度はなかった。
それよりも、倒されても憑依するため、どうやって倒すかという点に興味を惹かれた。
第47話で、ツルギに憑依したドン・アルマゲは、キュウレンジャーを次々にブラネジュームにして、体内に吸収していく。
一人ひとりキュウレンジャーが倒されていく、この描写は切なかった。
しかし、それはラッキーの作戦で、12個のキュータマを体内に取り込んだことで、キュータマの力で、キュウレンジャーはツルギも司令も含め、復活する。
最終回では、等身大のドン・アルマゲを倒すが、巨大化し、キュータマジンで倒す。
ところが、まだ生きている。
ちょっとこれはしつこい感があった。
倒す前に、自ら巨大化し、倒されて、等身大に戻るでよかったと思う。
そして、ラッキーに憑依しようとするが、宇宙一ラッキーな男には憑依できず、遂に滅びた。
最後の最後に、2年後のラッキーたちが描かれる。
こういうのって、たぶん、「ジェットマン」から始まったんじゃないかと思うけれど、「ジェットマン」や「ダイレンジャー」のような衝撃的展開を描くんじゃないと、蛇足っぽい感じがする。
それでなくても、今は、「帰ってきた」シリーズや翌年のVSシリーズもあるのだから。
キュウレンジャーの人間型の中では、ナーガが好きだった。
感情を手に入れたいという真摯な願いが伝わってきた。
ただ、感情を手に入れたいがあまり、悪になびくのはちょっとあり得ない感じがした。
役の山崎大輝氏は、感情を出せないというのをよく表現していたと思う。
途中で、ナーガと同じ星の出身の星人が現れて、その星の住人はみな同じ顔をしているというので、女性タイプの星人も演じていたのだが、なんか微妙な感じがよかった。
ツルギは、俺様キャラなんだけど、過去でドン・アルマゲを倒すなど、実績を踏まえた上でのものだったので、好きだった。
ただ、登場した時のインパクトがだんだんなくなっていってしまったのが残念だった。
あとは、小太郎。
ツルギが登場するまで唯一の地球人のキュウレンジャー。
「ダイレンジャー」の時に、キバレンジャーに変身するのが9歳の子どもで、当時は、それがなんか受け容れられなかったし、変身後だけでも大人サイズになっていてよかったと思っていた。
「ウルトラセブン」も、企画時は諸星弾が少年だったと知って、そうならなくてよかったと感じたのを覚えている。
子どもが地球の防衛をするというのは、自分の中で受け容れられないものであった。
といいつつも、「ジャイアントロボ」の大作少年は、聡明なイメージがあるからか好きだった。
小太郎は、12人もいる中の一人だし、一人だけで背負っていないこともあり、今回は受け容れられた。
田口翔大氏の好演もあり、弟思いのいいキャラクターになっていたし、スティンガーの立ち位置をよりはっきりさせる効果もあった。
非人間系キャラでは、ガルが一番好きだった。
最初の頃は、特に何とも思っていなかった。
しかし、ヤギュウジュウベエを、他のキュウレンジャーがチャンプだと気づいているのに別人だと言っているのを、そのまま信じているのを見て、そこからすごく好きになった。
抜けているんだけど、それがよかった。
ラッキーのことを純粋に信じているのもガルらしかった。
バランスは、「アゲポヨーン」とか口調が面白かった。
声は小野友樹氏だが、とてもベリアルと同じ声優とは思えなかった。
ナーガのことを、本気で思っているのもよかった。
ショウ・ロンポーは、最初は、こんなのが司令で大丈夫なのかと感じていたが、後半は、キャラはそのままだが、やっぱり司令を務めるだけの人物だというのが描かれていた。
声は、神谷浩史氏だが、やはり、ジャンボットやリヴァイ兵長と同じ声優とは思えなかった。
ジャークマターは、敵側の内情を描かないという方針もあり、倒され再生するたびに人格が変わるマーダッコと、小宮有紗氏が声を担当したアキャンバー以外は、あまり印象に残るキャラクターはいなかった。
今回、ウィキペディアで見るまで、他のフクショーグンの声も、戦隊出身者が担当しているというのは知らなかった。
エンディングがダンスになったり、ゲームになったりした影響か、いつの頃からか、スタッフクレジットも、オープニングでやるようになって、クレジットが全然読み取れなくなってしまったと思う。
「宇宙戦隊キュウレンジャー」は、メンバーを過去最多の12人とし、宇宙規模での戦いを描いた意欲作だった。
12人には、それぞれ個性があり、人数は多かったが、一人ひとりをよく描いていたと思う。
ただ、宇宙規模での戦いという点においては、もう少し危機感やスケールを表現して欲しかったと思う。
ザンギャックの方が、宇宙をどんどん征服している感があった。
そこが残念だった。