信長協奏曲(映画)について | 北条明の世界

北条明の世界

特撮(ウルトラ系中心)・少年ドラマシリーズ・大岡越前&江戸を斬る・ブラック・ジャック・アイドルなどについて語ってます

信長協奏曲(映画)

「信長協奏曲」は、2016年1月に公開された、フジテレビのドラマ「信長協奏曲」の劇場版である。

ドラマも映画もタイトルが同じなので、映画版は、「信長協奏曲(映画)」と表記する。

 

以前書いたように、ドラマ版は、本放送で見ていた(但し、途中まではながら見)。

ドラマ版が終了して、約1年後に映画が公開されたが、結局、見に行かなかった。

映画公開に先がけて、フジテレビで、ドラマ版の再放送をしたが、映画の宣伝を兼ねていて、かなりカットされた放送であった。

そして、サブローがいなくなって何年か後の高校を舞台にしたドラマSPも放送された。

 

そして、今年2017年1月16日に、映画がテレビ放送され、見た。

ただ、テレビ放送用に再編集されたものであった。

今回のブログは、このテレビ放送バージョンを基に書いている。

 

この放送に先がけ、ドラマ版が、再々放送され、全話録画して見た。

前回の再放送ほどではないが、やはりカットされていて、次回予告もなかった。

そして、録画しただけで見ていなかったドラマSPも見た。

今回も、本放送時と同様、上の二人の子どもと一緒に見た。

それもあって、思い入れを感じているのかもしれない。

 

ドラマ版を改めて見て、やっぱり面白い作品だなって感じた。

サブローのキャラクターが、本当に魅力的である。

ドラマ版は、本能寺に、サブローと本物の信長(明智光秀)がいるところで終了した。

自分は、これを見て、本能寺の変の当日のことだと思い込んでいたが、この時は、たまたま二人で本能寺に行っただけのことのようで、本能寺の変よりも、かなり前の時間だったようである。

 

映画は、ドラマ版のその後が描かれる。

ドラマ版の最終回で殺された竹中半兵衛には、何も言及されていない。

あれだけ存在感あった人物だっただけに、そこは、残念だった。

そして、歴史の流れと併せて、サブローと帰蝶との関係、サブローと光秀(本物の信長)との関係が描かれていく。

 

帰蝶は、サブローが信長でないことを知っている。

サブローは、松永から、自分が死ぬことを知らされ、それを帰蝶に告げる。

しかし、運命に抗って生きていく決意をし、本能寺で、帰蝶と結婚式を挙げることにする。

幸せな結婚式の日だったはずが、一転して、本能寺の変当日だったというのは、個人的には、ちょっとあざとく感じられた。

帰蝶との関係が深まっていくのが、この作品のテーマの一つでもあるのだが、自分としては、そこをあまり強調しすぎると、逆効果のような気がした。

 

光秀は、秀吉と結託し、サブローを殺そうと狙っていたが、サブローが、窮地に立った自分を助けに来てくれたことで、殺すことを思いとどまるようになる。

この光秀の心境の変化は、すごくよく描かれていたと思う。

しかし、秀吉に、帰蝶の命を守りたければ、サブローを殺せと脅され、やむなく、本能寺の変を起こす。

しかし、、サブローに生きて天命を果たすのだと言って、逃がしてくれ、信長として、秀吉に殺される。

この二人の会話が、この映画の最大のクライマックスだと思う。

光秀が改心して、サブローと最後にわかり合えたのは、予想外の展開だったが、すごくよかった。

 

しかし、史実通り、サブローは、秀吉に捕まり、処刑されてしまう。

ところが、首を斬り落とされた瞬間、サブローは、現代に戻ってきていた。

そして、なんと、もう一人、戦国時代にタイムスリップしていた男がいた。

それは、ウィリアム=アダムス(三浦按針)であった。

アダムスも現代に戻ってきていて、そして、帰蝶からのビデオレターを持ってきていた。

サブローは、それを見て涙する。

ラストシーン、タイムスリップした場所の木の所から、新たな人生に向けて歩いていくサブロー。

その後ろ姿で終わっている。

 

史実では、本能寺の変で、信長の死体は発見されなかったそうである。

なので、自分は、本能寺の変で、サブローが死ぬと同時に、現代に戻るというラストなのかと思っていた。

サブローが光秀とわかり合えたのはよかったけど、個人的には、光秀として処刑される時よりも、本能寺の変で現代に戻る方が、史実の謎とも合致するし、いいと思う。

 

「信長協奏曲」でのタイムスリップは、どういうシステムなのかは作中で明かされなかったが、戦国時代で死ぬと現代に戻れるようである。

松永も現代に戻ってきている。

ただ、戦国時代で過ごした月日と同じ時間が経過した後の現代に戻るのか、自分自身の肉体は年を取っているけれど、元の時に戻るのかはわからない。

サブローは、戻ってきて、30代っぽくなっている。

ウィリアム=アダムスも、スマホを持っていたから、サブローと同じ時代からタイムスリップし、またサブローと同じ時代に戻ってきたようであるが、戦国時代で生きていた年数から考えると、前者では整合性がない。

よくサブローの家がわかったとも思うし、スマホが電池切れしなかったのは、ソーラーか手回しの充電器を持っていたのかなど、細かく考えると、突っ込みどころ満載である。

また、現代のシーンでも、サブローが戦国時代にタイムスリップした所の木が象徴的に描かれていたが、あそこは出口だけであって、入口は、太秦映画村だったり、秀吉との合戦場であったり、まちまちで、あの木の所の時空だけが歪んでいるわけでもなさそうである。

あと、ドラマSPでは、サブローは戻ってこなかったと言っているが、あれは、まだサブローが戻る前の時間軸だったのか、単に戻ってきたのを知らなかったのかわからない。

ただ、そう言っていたから、サブローは現代に戻れないという思いで映画を見ていた。

 

タイムスリップについては、ちょっと何だかなって感じはするけれど゜、「信長協奏曲」は、

現代ではちょっと困ったちゃんだったサブローが、戦国時代に行ったことで成長していく、

織田信長の奇抜な政策は、実は現代人だったからという設定への納得感、

戦のない世の中=現代の平和の大切さ、

サブローと戦国時代の人との時を超えたつながり

を描いたドラマだったと思う。

とにかく、小栗旬氏演じるサブローが、とても魅力的なキャラクターだった。

高校生が主人公ということで、もし高校生の自分がタイムスリップしてしまったらという思いで、自分を投影しながら見ていた。

 

帰蝶から送られたメッセージを見て、タイムスリップして、一時的とはいえ、同じ時代を一緒に過ごしたことで、実は何百年も前に死んでいる人ともつながることができるということを感じた。

以前、眉村卓氏の「とらえられたスクールバス」を読んだ時に感じた思いが蘇った。

それも、この作品の魅力だったと思う。

 

2年以上にわたって見てきた「信長協奏曲」。

映画を見て、終わった感を感じた。

いろいろ感じるものがあり、そして、本当に面白い作品だったと思う。

ドラマ版も映画版も、いつかDVDで、完全版を見てみたい。

自分にとって、本当に忘れられない作品となった。