映画『LookBack』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

画力は暴力

 

 

LookBack

 

藤子A先生の"まんが道"の現代版って所だろうか。かつて小学生の頃に出会って一緒にマンガを描き投稿していた相棒。彼女は引き籠りだが絵だけは上手くて幼い頃の主人公を嫉妬させた。この画力に追い付こうと主人公は必死に描きまくるが、デッサン力の実力差は埋まらない。だが逆に引き籠りの子からすれば毎回面白いネタをぶっ込んで来る主人公の才能に憧れていた。そんな二人が出会い一緒にマンガを描き始める。この引き籠りの子は物語は書けないのでマンガというより単なるデッサンだから背景アシとして重宝された。だが物語なき絵の情報量って奴は時に人を打ちのめす。この主人公が彼女の画力に嫉妬心を抱いたように世の中には彼女の絵に打ちのめされて激しい嫉妬心に歯止めが掛からなくなる輩もいる。その結果として京アニ事件のような惨劇が起こる。これは時代の空気感の変化によって起きている心理現象でもあります。

 

かく云う私もプロになるだけあって幼少時代から神童扱いされる画力を持っていたクチだが私の絵や映像に衝撃を受けた人はベテランでも後輩でも憧れて触発され中には私より良い仕事をするようになった後輩もいます。だが次第に時代が荒むと「奴ばかりに仕事が集中してるから俺が仕事を貰えない」という嫉妬の念で潰しに来る輩が増えました。それが更に進むと「奴の作品は俺のパクリだ」という統合失調症の被害妄想へと変貌します。そもそもネット上に自分で乗せる位しか公開方法がないレベルの雑魚の作品をマトモなクリエイターがチェックしてる訳もないのに。インプットは世界中の傑作をチェックするだけで手一杯なのです。いわゆる絵画って奴は他人より存在の真理を理解しなければ人の心に刺さる絵は描けない。それは教条的な記号の中を生きている現代の凡人にとって激しい感動であり同時に信じたくない暴力なのだ。だから正しく生きようとする者にとっては有難い導きであるが欺瞞の中を生きる西側現代人のようなクズにとっては暴力なのだ。そう彼らにとって"現実"や"正しさ"こそが暴力なのだ。だからかつての日本人に重宝されたクリエイターは今では中国人に重宝され日本人に疎まれる。この国が価値を産めず嫉妬深くヘイトポルノしか受け入れない負け犬国家になっている事実を京アニ事件は如実に表しています。だからこそ京アニ事件は多くのクリエイターの心に傷を付け、このような作品によって過ちとして再現されるのでしょう。