思い詰めるな
モモ
いかにもハイデカーを生んだ国です。作品全てがひとつのメッセージでしかない。
灰色の時間泥棒は勿論、非人間的なスピード社会の象徴。人間性を取り戻すお話。
まるで全ての人物がその事を云う為だけに動いているエンデの指人形に見えます。
虚無に抗う『ネバーエンディングストーリー』も観念的だけど、脚色やら演出で
ペーターセンらしい魂が入ってる。それに比べるとあまりに思い入れが大きくて
思い詰め過ぎたという印象。メッセージが前に出過ぎてキャラが潰されています。
観念的にメッセージ上モモはあくまで普通の少女でなくてはいけないとは思うが
それでは何が周りを魅了したのか。展開上都合良く動いているとさえ解釈できる。
メッセージ自体には深く共感するが映画としてこの脚色と演出はいかがなものか。
斉藤信幸という監督がいました。日活ロマンポルノ時代は"水丸"として活躍した。
今では引退してバーテンをやっていて、たまに余興で舞台演出をやったりもする。
初めて会った時は、デニーズでウェイトレスの人と何やら押し問答をしてたので
この人は大丈夫かと不安になったが、最後に会った時には実に良い事を云ってた。
「作品に思い入れがあるのは良い事だが、作品を思い詰めると良くないんだよ」
思い入れならそこに様々な要素が浸透するが、思い詰めると頑なになってるから
どんな要素も受け付けなくなってしまう。この人物は×××の象徴だから絶対に
こういう人格でなければいけない。だからこうしか動かないって演出は最悪です。
神経の使い所を間違えている。良い監督は役者がハミ出すギリギリで構えている。