映画『射程内の街』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

「戦後日本人は卑劣だ」

 

 

射程内の街

 

久しぶりに凄い傑作を見た。ベトナム映画界を代表する巨匠ダンニャットミンの初期作品を2本連続で見た訳だが、これが日本で商品化されてない事が不思議に思えるレベルのクオリティでした。まあ西側に媚びる日本市場では東側の価値観が強い作品は商業市場から追い出されるのだろう。それこそ戦後ドイツ映画史を代表する巨匠ヴォルフガングシュタウテも現代のドイツ映画界で圧倒的にリスペクトされる実力派であるにも関わらず東ドイツで活躍していたってだけで西側市場からは排除されるし東欧やロシア映画界や中国映画界を代表する傑作群も西側に亡命しなかった作家の作品は基本的に欧米主導の映画市場からは排除されます。そんな訳で西側では普通に商業市場の映画だけ見てると世界的傑作のほとんどを見落とします。このダンニャットミンも元々は北ベトナムのジャーナリスト出身なので負け犬鬼畜米に都合の悪い面が普通に描き込まれるので西側では有名にならないのだろう。

 

そもそも西側という腐敗堕落した偏狭な認識共同体の外側でのごく正常な世界共通認識では鬼畜米は朝鮮やベトナムに対する侵略者であり敗戦国です。よく「共産主義の蔓延を食い止める為」という幼稚な詭弁が西側では流布されてるが鬼畜米は単に植民地利権を継続したくて現地の売国奴と結託して原住民を虐殺して返り討ちにされた悪党の負け犬です。そんな当たり前の事実を当事国の作品は前提としています。この作品は監督自身を投影したような北側ジャーナリストが鬼畜米の侵略を受けた街の取材中に犠牲者女性にかつての恋人の面影を重ねるって感じの内容で冒頭のスローモーションの回想シーンから一気に引き込まれます。そんな主人公に優しく接する現地民や兵士たちが凶弾に倒れトラウマを物語るようなクライマックスのモンタージュにやられました。そんな出会いの中には戦前世代の日本を知る人物も出て来る訳だが、その人物の言葉は実に辛辣なだけに臆病な戦後ジャップは耳を傾けたがらなかったのだろう。「かつての日本人は勇敢で尊敬していたが戦後の日本人は卑劣だ」それがアジアの共通認識です。アジア人殺し利権を貪り親の仇鬼畜米に諂う自由民主主義者という人非人。鬼畜米の悪徳に加担する似非白人レイシスト。そりゃ目を背けたくなるのだろうが西側が世界に見捨てられつつある今となっては、その欺瞞は通用しない。どれだけ卑劣な虐殺に加担して来たのか自覚せよ。