映画『チャッピー』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

ネットで魂を転送

 

 

チャッピー

 

またしても仕事でロボットアニメ系コンテンツに関らざるを得なくなり渡されたレファの中に南アフリカのブロムガンプの未見作品があったので早速拝見。元々シェイク等の合成系ツールが飛躍的に進化した頃に、その性能を試すかのように『クローバーフィールド』等のセミドキュメント風味のSFが流行った流れで作られた『第9地区』で実にシニカルな笑いを提供してくれた私と同世代の監督さんだが、その皮肉さは今作でも健在でした。ギャングに育てられた警察ロボットの話って事でSFアクション系だと思っていたが意外にシビアなテーマ性を持ったブラックコメディでした。かつて今作と同様にロボットが魂を持つ『ショートサーキット』シリーズでは確か雷に打たれて意識が芽生えるという宗教染みた設定だった訳だが、その認識は既に覆されているって現実に即した内容になっています。つまり今作では博士が作ったAIによって魂が生まれる。そして「意識は転送できない」と博士は口にするが、それは正常性バイアスで捻じ曲げられた欺瞞でしかない。

 

かつてフロイトが「自我なんて環境の投影に過ぎない」と切って捨てた通り自我は所詮は情報の集積体に過ぎない。つまり人格なんてプログラム可能でありテキストデータとしてネット転送も可能な程度のものなのだ。ただそんな事実を認めたくないのが人情って奴。自意識過剰故に人間は自分には自我や魂があると思い込んているだけなのだ。それこそ流行り言葉を並べ常套句を繰り返すボット野郎なんて簡単に複製可能です。そんな頭の悪い連中ほど自意識が膨張しまくっているが、そんな精神構造は数メガ程度のメモリースティックに収まる無価値な粗悪品。逆に作った人間の想像を超える尊い人格もデザイン可能。機械の知能が人間を追い越した今となっては逆説的に魂の価値が計り知れるレベルになってしまったのです。チャッピーと名付けられた生まれたばかりのロボットが持った細やかな自我。防衛本能と好奇心。彼を道具や実験材料としてしか見ていなかった人間たちも実はプログラム同様にネットで転送できる程度の魂しか持ち得ない。コンシャスとはその程度のものなのです。