映画『少年メリケンサック』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

気合だろ

少年メリケンサック

 

正直、最近よく分らない。何が大衆に求められているのか。わざと作り込まれていない映像に見せかけたノイズや手ブレを入れた手作り感にやたらとアクセスが殺到するYOUTUBE。百万アクセスも多いのか少ないのか微妙。ただ確かなのはコミュニケーションツールの技術的な性能が上がった事でカメラの前で披露されるパフォーマンスのレベルは下がった。歌謡曲の歴史もマイクの性能が低かったビッグバンド時代のジャズやブルースやカントリーに比べてミキシングが可能なプログレシヴロックの時代には出力の調節が下手なプロが増えた。今となっては出力の調整なんてミキサーの仕事。これは進化と呼んで良いのだろうか?

 

映像の仕事も音楽によく似ている。私はよく現場に比べポスプロに入ると優しくなると云われるが、別に手を抜いてる訳じゃない。現場では鬼のように気合を入れなければ力のある映像が撮れないのに対し、ポスプロでは柔軟に考える事が結果的に面白いアイデアを生み、撮った映像の良さをより的確に引き出せるから。パンクの良さは、その現場の気合に似てる。現場ではポスプロでどう繋ぐかなんて考えない方が飛び抜けた映像を作れます。とにかく全てぶっ壊してやると突っ走って完全燃焼。その部分が近年の表現からは抜け落ちているのではないのだろうか。現場でポスプロの事なんて考えてちゃ型にはまった映像しか作れないでしょ。

 

ミュージックビデオ業界に閑古鳥が鳴いている昨今を憂いでかドキュメンタルなタッチでパンクを語る今作を脚色監督したのは今や三谷幸喜と並ぶ日本コメディ映画界のプリンスことクドカン。流石に連発されるお約束ネタに笑わせて貰ったが、今回は笑いよりも意外に真面目に昨今の音楽業界に物申すってな姿勢が感じられました。ほんの20年前にあって今の表現から失われた素敵さって何だろう?私見で云わせて貰うなら、そりゃ気合だろ。技術的に誤魔化しが効かない分、現場の力でカバーしようとした気合。誤魔化しが可能になっても、そこだけは捨てちゃいけない。分ってるつもりになっていても楽したくなっちゃうんだよね。