映画『SELF AND OTHERS』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

SELF AND OTHERS

 

 

今や代表作

 

現場至上なこれまでのドキュメントに対し編集至上を提案し映画美学校を創設した今は亡き佐藤誠氏。ジャーナリストの卵を独自の方法論で導いたインテリ。その方向性故にこの作品が今では代表作と呼ばれる。彼は私的ドキュメントに対し極めて批判的でした。対象者に甘え過ぎ他者との対峙がない。それは一部の傑作には当てはまらないし他者を扱っても対象者に甘えて視点を閉ざされる駄作は多数あります。だが問題はもっと根本的な所にあります。彼が生まれた全共斗世代と私的ドキュメントが量産される現代との間にある意識の違いです。我々の世代は最も深刻な悩みを家族の中に見出す事が多い。それだけ情熱が利己主義な利害関係でしか動かないって事です。

 

原一男の『さよならCP』や『極私的エロス』はセルフドキュメントの始まりとされていますが、そこで扱われているのは脳性麻痺患者の社会進出だったり沖縄返還や女性の自立であったり、個人の利害関係が常に社会と連動しているのです。企画としては自分をも巻き込んだ社会への問いかけに始まっているのです。表面的には他者を問うジャーナリストは自分も問われるべきではないかって所に始まったはすの私的ドキュメントだが、内実は家族や自分にカメラを向ける事で公の議題を扱ったドキュメント以上に自分を問い返されるリスクが減ったのではないか。赤裸々に自分を告白するよりも、世の中に対し声を大にして「こうあるべきなんじゃないのか」と問いかける事の方が実はジャーナリストとして勇気ある行為なのではないだろうか。そして反論され問われる事によって自ずと私的ドキュメント以上に赤裸々になる。公の議題でも他人と対峙しないで甘えたドキュメントは確かにあるが、それらを助長するのは確かに私的ドキュメントという区切り。

 

この作品は製作当時には既に亡くなっていたマイナーな写真家の不在の肉体を追っています。作品のほとんどは彼の写真と8ミリフィルムと彼が記した手紙や詩の朗読やテープに残された肉声で構成されていて、佐藤真自身の言葉は全く入らない。ただ関係者へのインタビューや彼の自宅や縁の場所で撮影された情景ショットが撮り足されているだけ。彼に関する資料を集めただけで映画にしてしまった。だが、この人物の生き方を提示するだけの事で佐藤誠自身の見解は明快に示される。それは批評眼的な鋭さで迫る。自腹出版の写真集に彼が選んだ写真はどれも写真を撮る彼に対する問いかけの眼差しで彼という人間を表現している。ジャーナリズムにおける表現とはこの問いかけのキャッチボールの中にあるのではないのだろうか。それが云いたくて選ばれた素材なのだろう。

 

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