映画『オッペンハイマー』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

オッペンハイマー

 

 

恐るべき不可逆的プロメテウス

原爆発明の史劇とえいば『シャドーメイカー』は軍事の面を中心に描いてた訳だがノーランの新作では戦後の赤狩りと学者としての苦悩の部分がフォーカスされています。アーウィンウィンクラーの『評決の瞬間』等、数多くの赤狩り映画に描かれてる通り多くの米国人がナチス党に脅威を感じて独ソ戦においてソビエトを支援したが戦後になると、この当たり前の支援を行った者すら「社会主義者のスパイ」として吊るし上げられた。オッペンハイマーもその類で、そもそも彼が大きな罪を背負ってまで核兵器を開発した動機はナチスの原爆開発が成功するのは時間の問題だと踏んでいたからです。それが実現すれば米国全土にナチスの原爆が降り注ぎ米国ごとユダヤ人は根絶やしにされる。ラプノーの『ボンボヤージュ』でも描かれた通り実際にナチスの研究チームは重水の開発にまで至っていました。それだけに彼は学者仲間から妬みによる告発を受けるほど強硬に開発を推し進めたのです。ただ彼にとって政治的立場なんて問題は些末な事に過ぎない。

 

また北朝鮮による拉致問題への過剰過ぎる反応を見れば分かるジャップの卑しさというか傲慢にもテメーの命だけ特別だと思い込んでいる自意識過剰な雑魚ジャップは『バービー』に続いてみっともなく吹き上がるかもしれないが広島や長崎の犠牲なども些末な問題です。そもそも虐殺を行ったのは米国であり核兵器の有無に関わらず焼夷弾や火炎放射器という国際法違反の非人道的兵器による日本人根絶を厭わない民族浄化は行われた。むしろ核兵器発明者はもっと重い罪を背負う事になる。アイスキュロスの戯曲にあるように悪魔の炎に手を出した者は鎖に繋がれる。それは取り返しのつかない方向に歴史を動かしてしまった自負があるから。21世紀に生きる我々からすれば既に核兵器を使った結果を知っている訳だが純粋な量子力学の理論上からすれば核爆発は大気発火の誘爆を無限に連鎖して地球上の酸素全てを焼き尽くしてしまう可能性すらあった。それを技術的には一定制御できたかもしれないが原爆の成功は世界中に核兵器開発競争という連鎖をもたらした。これはアインシュタインの理論に過ぎなかった時点から予測されていたが彼はあえてその罪を真っ先に被った。

 

ちなみにソビエトによる満州奪還がポツダム宣言を受け入れる決定打になり原爆投下は関係ないというのが日米以外では定説な訳だが原爆投下候補12都市の中でなぜ快晴だった広島や長崎を選んだのかって所には広告的な意図があります。いわゆる原爆の火柱を鮮明な光量で撮影し拡散する事は"天の火"を米国が持ったという世界へのメッセージ。これはキリスト、ユダヤ、イスラム教徒にとって神話的な意味があるのです。どちらにせよ今現在でも鬼畜米は敵国人ジャップごとき猿は根絶やしにしても反省しないが、プロメテウスのように悪魔の炎に手を出した事に関しては不可逆的な人類への犯罪だという自覚はあります。リニア性を重視するノーランは普段、可変速や逆回転のタイムラインを使ったトリックを得意としてるだけに今回は絶対的に不可逆な歴史の過ちをあえて扱う事で、その絶望的な不可逆性がより恐ろしく印象付けられました。