ガンジスに還る
不衛生な終活
父の最期を看取るべくガンジス河沿いのホスピス的な施設に滞在するインド産の終活映画。日本のホスピスとは色々と大きく違っていて宗教的な色彩が強く召される事を"解脱"と呼び最期の時をこの施設で救う事で魂が救われるという日本の仏教にも似た簡易さがある施設です。とりあえず念仏さえ唱えればOKみたいな。この父は死を予見するような夢を見た事から施設に入る訳だが、それを看取ろうとする家族からすれば介護離職する訳にもいかず一週間入居させて「ほら死ななかったでしょ」と連れ帰るつもりでいた。ただ施設側から入居延長が許可された事で長く付き合えない家族は次第に自宅へ戻る。とりあえず息子だけは最後まで頑張っていた訳だが彼の娘が勝手に結婚するという話を聞いて慌てて自宅へ戻る。そんな折に不幸にもその時がやって来た。そんな訳で息子目線の本作には肝心の最期が描かれていません。ただただ観光ビデオのように美化された情景の中で家族ドラマだけが進行する。まるで遠藤周作が美化したガンジス河を熊井啓が映画化した『深い河』のように。
この手のスピリチャルなテイストに偏った作品を見ると少しばかりツッコミを入れたくなります。「この河では全てが露骨だ。なぜなら金持ちはちゃんと火葬できるから流れて来るのは灰だが、貧乏人の遺体は生焼けのまま流れて来る」というのはイランの巨匠モフセンマフマルバフがインドで撮った『スクリームオブアント』でのモノローグ。この河には遺体でも何でも流される。つまり衛生状態は非常に悪い。それより更に半世紀遡ってベンガル地方の巨匠サタジットレイがオブー三部作の二本目でガンジス河を扱った時は病気の父が聖水と称してガンジスの水を飲む度に病気が悪化する訳だが「聖なるガンジスの水は体を清めてくれる」と死ぬまで飲み続けてしまう。それなりに古い世代よりは学があるオブーは衛生観念があるから「ばっちいからガンジスの水は飲むな」と父を止め続ける訳だが彼の説得虚しく結局は知性により信仰の間違いを正す事はできないという敗北感を残す作品です。この作品でも父親が最期の時にガンジスの聖水を飲みたいと息子に頼む姿を見てスマホの時代でも知性は敗北したままなのかと思えてしまいます。とりあえず人類はそう簡単には賢くなれないし、むしろ頑なに信仰心が残っている事は必ずしも悪い事ではない。むしろ近代の科学至上主義的な視点の方が歴史が浅く人類にとって有害であるかもしれないだけに。
