映画『シリアにて』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

シリアにて

 

 

今ここにある閉塞感

イラクで前年に撮られた『スナイパーストリート』にソックリな始まり方をするレバノン映画。市街戦に巻き込まれて自宅前で隣人が撃たれる所までは同じだが今作では男衆が出払っていて女子供老人しかいないので昼間は下手に救出に向かえず妻に夫が撃たれた事を隠したまま夜を待つ。レバノンは立地上イラクからもパレスチナからもシリアからも大量に内戦難民が流入し続けているので『判決』に登場するような排外主義団体も生じる。そんな難民を生み続けるシリアの現状をマクロな視点で見るとアサド政権と反政府勢力の紛争は云わば米露の代理戦争。親米国賊反社側に資金提供をしてクーデターを起こさせて経済侵略の土台を作ろうとする強欲鬼畜米とユーラシア大陸の仲間を守ろうとするロシアの攻防の一環です。その戦闘の激化に巻き込まれた住人は家に篭ってやり過ごすかレバノンに避難するかの選択に迫られる。そんなヒリヒリした状況で引き篭もった家族の緊迫した一日が描かれています。とにかく政府側だろうが反体制側だろうが住民にとっては危険な暴漢でしかない。じっと身を隠していないと見つかれば強姦されるか殺されるか。

 

インフラは止まり便所も流れない環境で生活は追い込まれ民兵の侵入に女子供が息を殺す。その隣室では隣人が強姦され、その悲鳴が子供の耳にも届く。ただただ外部情報とも隔絶され危険から身を隠す現場のリアルだけが描かれています。もし日本で内戦が起きたとしても戦闘がどこまで激化するかなんて事前には予測できないだけに「とりあえず屋内退避」となるのだろう。そして孤立したまま先の見えない恐怖に怯える。コロナ禍の政府の対応や大衆の吹き上がりを見ても分かる通り緊急事態時の公助は今の日本には期待できないだろう。ただ本作の主人公たちには外にいる家族や隣人の男衆という共助が確実に期待できる。だからこそ「今さえ乗り切れば」と息を潜めていられるのだ。そうでなければこの状況に追い込まれた時点で確実にアウト。これは自助ではどうにもならない。その意味で社会が壊れている今の日本はシリア以上に脆弱で大した危機でなくとも多くの犠牲を出す。アジア人にとって単なる強い風邪に過ぎないコロナごときで女子供を大量に経済虐殺した現状が何より雄弁に立証しています。ここに登場する女子供は共助の先に未来がある訳だが、我が国は紛争すら起きていないのに衆愚化によって未来を閉ざされ絶望しています。その意味で妙にリアルに閉塞感を実感できます。