映画『小さな池』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

小さな池

1950年・ノグンリ虐殺事件

 

 

同じ朝鮮人が味方

 

いわゆる朝鮮戦争中の米軍による民間人虐殺事件。思想って奴は目に見えない。鬼畜米から見れば我々アジア人なんて同じ顔した黄色い猿。敵か味方かコミュニストかキャピタリストかなんて簡単に判断できない。もし日本に人民解放軍が攻めて来ても鬼畜米どもは同様に日本人を敵と一緒に虐殺するだろう。それでも共産主義の蔓延を防ぐためには線を引くしかない。前線より向こう側にいるから敵という訳だ。米国に追い詰められた韓国人たちに手を差し伸べ鬼畜米を撃退したのは皮肉にも北朝鮮の奴ら。やはりアジア人の味方はアジア人。白人は我々にとって侵略者でしかない。鬼畜米は悪だと分っているが我々日本人は原爆突きつけられて力で従わされている。鬼畜米は味方じゃない。利益を守るために女子供でも容赦なく虐殺する強欲で臆病なクズ。

 

この作品は村人たちの群像劇って形になっていて悲劇が起こるまでの前半部分で感情移入させようとしているが、あまり上手くはいっていない。むしろ村人たちの中途半端なドラマよりも虐殺シーンのヴァイオレンスとしてのクオリティの高さの方が一見に値する。それと子供たちが歌っている歌謡曲はなかなか良い曲で耳に残る。子供たちが歌いながら学校から帰るシーンとかはなかなか良い。もっとドラマを絞り込んでいれば子供たちのキャラも印象付けられただろうに少々欲張って色々な村人たちを詰め込み過ぎたって感じ。皆殺しな話な訳だから、ここでのキャラが魅力的な程、見ている側の憤りも増すというもの。アジり系の社会派の良し悪しの基準として、どれだけ客を怒らせたかって所が明確だが、その基準からすると、あまり上手く行ったようには思えません。単純な私はまんまと憤った訳ですが。