ヴェスパー
ストルガツキー兄弟を連想
アポカリプス系(文明崩壊後の未来を舞台にしたSF)のリトアニア映画。今作の世界観はバイオテクノロジー系の技術が発展し肉体改造による明確なヒエラルキーが生まれた世界を舞台にしています。その意味でデジタル系テクノの臭いはほとんどなく日本人に分かり易い所で云えば『風の谷のナウシカ』みたいな世界観です。ただこの手の世界観はパヤオの方がオリジナルではなくロシア文学のSF作品では昔からあったものです。むしろ私の中ではロプシャンスキーの『死者への手紙』であったりボンダルチュクの『囚われた惑星』であったりタルコフスキーの『ストーカー』であったりソクーロフの『日陽はしづかに発酵し』であったりゲルマンの『神々のたそがれ』等の原作者として広く知られるストルガツキー兄弟を連想を連想させられました。
ここに描かれる打ち捨てられた下層民集落は沼地のような風土感で、そこには改造を施された奇妙な生物たちが生息しています。タイトルは主人公であるヒロインの名前で彼女は重い傷害を負った退役軍人の父と暮らしている。この父は自らの体を動かす事も出来ない深手を負っているのでリモートで動く小型ロボットとしてヒロインに寄り添う。このロボットがブラウン管TVみたいな形をしているのだが、そこに落書きみたいな顔が描いてあってなかなかユーモラス。ただ地元を仕切る強欲な叔父に搾取される彼女たちの生活は決して楽ではない。そんな集落に上層民の小型機が墜落。食料生成の新たな技術を持った脱走者。父の反対を押し切り上層民を救出したヒロインだったが、それによって集落内では疑念の目を向けられ上層民からは刺客を放たれる。
そんな訳で無力な少女が理不尽に虐げられる暗い内容な訳だが、ストルガツキー兄弟をはじめとするロシアSF文学同様に世界観の独特さで引き込んでくれます。ぬかるんだ風土と汚れた欲望と泥のような疲労感に覆われた世界。希望を見出しかけても誰もが利己的に裏切るので生産的な方向へは進まない。まあ経済が成り立たない世界の典型です。そもそも信用し合える関係は国家という暴力装置があって初めて成り立つのだから、そこから打ち捨てられた社会の外側を生きる下層民はビジネスを成し得ないのです。この物語の背景は正にストルガツキー兄弟のデストピア系と同様に社会が崩壊した後の人間関係が的確に描かれているのです。この手の生の世界像は厳しい大陸のど真ん中を生きる人々でなければ想像が至らないのかもしれません。
