2018-02-12の投稿
その男、凶暴につき
犯罪者が撮った映画
「どいつもこいつもキチガイだ」電グルの迷曲"電気ビリビリ"の音源に当時ショッキングだった映画の台詞を充ててるらしいが、私が幼少時代に初めてこの作品を見た時には北野氏に関してフライデー事件で出版社に殴り込みをかけた犯人という情報しかなかったから、いかにも犯罪者が撮った作品だと納得した。やたらとTVっ子がギャップに驚いたと云っていたが、そもそも私はTVみたいに醜く煩いメディアは幼少時代から生理的に嫌悪感があったので見ないで絵画や映画ばかり見ていた。それが映像クリエイターになってTVの仕事も受けた時にハッキリと実力差であった事に気付いた。CMやPVや映画の現場と比べるとアダルトやTVはめくらつんぼ低能のクズを人海戦術で使うばかりで、こんな連中にマトモな絵が撮れないのは当然。盲人に絵を描かせてる様なものだ。ヘタクソが作った映像を幼心に汚いと感じるのはめくらでなければ当然の拒否反応。私のように元々絵画で神童扱いされた程度のレベルの才能を持つクリエイターであれば誰しもTVの醜さに嫌悪感を持たない大衆をめくらに感じただろう。
それはさておき北野武のデビュー作は食み出し刑事を自ら演じるノワールヴァイオレンス。やはり独特の間が暴力に対する感覚をリアルに再現していて、それが喧嘩っ早い男性の客層には共感されたのだろう。まあ自分もそのクチではあった訳だが、この空気感は著書の中で繰り返し「年を食う前に死にたい」と公言していた北野氏が自殺未遂と思えるようなバイク事故で顔面の半分を失うまでの作品にしか見られない焦燥感。死に対する意識の違いこそが、この投げやりな空気感を可能にしていたように思える。ホームレスを暴行する若者たちや止めようともせずに後から自宅に殴り込んで恐喝し自首を促す刑事。当たり前のように腐った検挙手法を見せているのに、そんな内容よりも空気感のインパクトで引き込んでしまう。もしあの事故で彼が亡くなっていたら現在のように『アウトレイジ』シリーズみたいな駄作で恥を晒し続ける事もなく間違いなくファスビンダーやグルダットのような伝説の鬼才と呼ばれ続けていただろう。
