『嘆きのピエタ』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2013-06-30の投稿

嘆きのピエタ

 

 

嘘と分かっていても

 

冷酷非道な借金取りの前に彼の母と名乗る女性が現れるって話。この借金取りのやり方は自滅的。債務者に障害を負わせて、障害保険で返済させるという手口。生命保険だと手続きが面倒だという理由なのだが、これって怨みをかう上に、自分を最も怨むであろう人間を生かしておくって事だから復讐の危険は非常に高い。それでも主人公がこの方法をとるのは、彼には失うものが何もないから。こんな自分なら殺されても構わないって訳だ。だが母が現れ愛情を注ぐ事で彼は人間らしい心を取り戻し、同時に後悔や不安に苛まれ苦悩する。殺すよりも愛情を注ぐ事こそが、彼に対しては最も有効な復讐方法。母と名乗る女性が実は×××である事は早い段階で観客に明かされる訳だが、そこには騙す者と騙される者の滑稽さは感じない。悲し過ぎる愛憎があるだけ。なぜなら偽りであっても愛情は同情を生む。どこかで主人公も彼女の嘘に気付いていただろうが、それでも信じたいのだ。彼に限らずそれはそうだろう。誰もが自分は独りじゃないと信じたいはずだ。

 

男女の性愛というテーマに関しては韓国映画の第一人者キムギドクが今回はノワール要素が強い作品を撮ったという事で期待していたが、公開前に予想通りベネチアで北野を破って賞をとった。やはり凡庸になってしまった最近の北野が鋭くなり続けるギドクに敵うはずがない。事故以降ゆるくなり続けた北野映画は『アウトレイジ』シリーズというゴミのような任侠に辿り着いた。それに対しギドクは女性に対する鋭い観察眼で、より深い人間ドラマを追求し続けています。今作も疑似息子の性に対する反応が興味深い。冒頭で主人公は寝ぼけながら抱き枕にチンポをこすりつけてオナニーする。これを母親の前でもやってしまうのだから、ほどんど無意識に自慰をしているのだろう。この時の彼は胎児の姿勢で寝ています。そして彼が母を名乗る女性をレイプしようとした直後にも胎児の姿勢で眠りに落ちる。母のベットに潜り込んだ時も。まるで生まれ直し(親として甘えられる相手に出合った時の孤児がとる行動)の本能とリビドーが歪に絡み合った感じの欲望。これが少しばかりの滑稽さとあまりに大きい孤独と悲しみを匂わせています。

 

それにしてもギドク作品は昔から実に簡素。特に『弓』なんてガスヴァンサントの『ジェリー』みたいに登場する要素が非常に少なくて、予告を見る限りじゃ退屈な印象を受けます。ただ、簡素である事で明瞭で分かり易い分、鋭くできる。作品中での人間関係の面白さだけで正面勝負をしている感じ。この作品も下手に飾らず、かといって思わせぶる事もなく、ただシンプルに語られる。その語り口は昔に比べるとメタファーやシンボリズムを含む抽象的なメッセージの要素が少なくなった分、逆に洗練された。まるで極限まで削ぎ落とされたジャコメッティの彫刻のように観客の心を捕えています。