死刑執行人もまた死す
冤罪捏造計画
フィリッツラング渡米後の代表作を久しぶりに拝見。第二次大戦中のチェコでナチスに抵抗するプラハ市民のレジスタンス活動を描いた名作。最近じゃウクライナ問題を巡って「NATOいい加減にしろ」とプラハ市民の声が上がり欧州全土に拡大しつつあります。アジア、アラブ、アフリカ、南米に留まらず欧州までもが鬼畜米の露助に対する人殺しビジネスを批判し始めたのです。これぞ庶民の声。鬼畜米や親米クズジャップは当時のナチ同様に今や世界の敵です。これを未だ日本のマスメディアは伝えません。それこそ大東亜戦争の時の朝日新聞と同じです。いわゆる有色人種の報道には耳も貸さない反知性主義レイシストたる日本国民の劣情に媚びて商業メディアがヘイトポルノを垂れ流しロシアへの経済制裁で自らの首を絞め続ける。ロシアによる軍事制圧が成功していればポロシェンコ政権から続く庶民への虐殺に歯止めがかかったのに、それでは儲からない鬼畜米と親米クズジャップの圧力がウクライナ人を虐殺し続けている。それこそ今の鬼畜米は大日本帝国やソビエトやナチスなんて比にならない程に悪質です。そんな米国に亡命した映画人たちはリアルタイムでナチスを批判し、この映画の年にはチャップリンも『独裁者』という思想性のある傑作を撮った訳だが、それに比べると今作は単純なサスペンス娯楽作に収まっています。ラングは亡命前後には過度な資本主義に腐ってコミュニティが分断されルサンチマンに満ちたワイマールの惨状を受けそこから生まれる集団主義を批判する傑作群を撮っていたが、この頃は既に亡命から10年が経ち、あの頃の鋭さは残っていないという印象でした。ただ娯楽的な上手さは当然ながら健在で、スリリングな駆け引きに最後まで目が離せなくなるだけの面白さはあります。
ヒロインはインテリ大学教授の娘でナチスに協力していた軍に婚約者もいるが、ある日、高級ナチス将校を暗殺した実行犯のひとりを偶然かくまう事になってしまいナチス側とレジスタンス側の板挟みになってしまう。この殺された将校は処刑担当って事で既にタイトルにある通り死刑執行人もまた死んだ事で話が始まる訳です。もし犯人を引き渡さなければプラハ庶民を片っ端から処刑するとナチスの警告を受けて実行犯は苦悩。自分を匿ってくれたヒロインの父親も人質にされた。このままでは恩を仇で返す事になる。だが名乗り出ればナチスの思う壺。同時期に地下組織ではメンバーの一人がナチスのスパイである事に仲間たちが気付き始める。そこで皆で一芝居打ち冤罪をでっち上げてこのナチスのスパイを将校殺しの犯人としてナチスに突き出す事で人質を解放して貰おうという大胆な作戦を展開。緊迫の駆け引きの末に作戦は成功したに見えたが…。ハリウッド映画のテーゼではルネクレールがクリスティの代表作を映像化した『そして誰もいなくなった』ですらも誰もいなくならないハッピーエンドにしてしまう訳だが、この作品に関しては無理矢理にNOTENDというメッセージ性を押し出した事で逆に無理が出ています。これならめでたしめでたしの方が整合性が取れます。ただ反ナチのプロパガンダ的意図って奴が強かったのでしょう。ユダヤ資本下でユダヤ人が撮った作品ですから。まあ企画に関わった『カリガリ博士』から『激怒』までの彼の作品だけで本質的な全体主義批判は完結していますから。カラッポのネオコン的価値観に狂って共同体を蔑ろにし続けた当時のワイマールや今の日本のような愚民社会では大衆は皆"眠り男"と化してメディアのデマに踊らされ"M"をリンチにしてファシストの先導で暴力装置と化す。コロナ騒動で無意味に自粛警察化したり虐殺魔ゼレンスキーを支持したり正に今の親米クズジャップは反知性主義に狂ったゲシュタポそのものです。