『騙し絵の牙』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2021-11-01の投稿

騙し絵の牙

 

 

権威主義VS炎上商法

 

映像コンテンツを作って飯を食っている私の立場から云うのはなんだが日本の大手ゾンビ企業の中で最もタチが悪いのがメディア関係であり中でも出版業界は特に強固です。なぜなら企業側にも昔ならではの終身雇用を保持しようとする矜持が残っているし社員側にしても文系エリートリーマンって奴は世間知らずが少ないので仮に企業側が非正規化へ誘導しようとしても正社員契約の法的な頑強さを知っているので簡単には騙されてくれないのです。そんな訳で起業や作家デビューするような才能を持ち合わせない無能社員に大量に無駄飯を食わせねばならないのです。その出版システムにしても刷り過ぎのリスクを避ける為に無駄に中継ぎが多く利益率が異常に低い。そんなシステムを壊して作家側に価値相当の収益を与えるべくYOUTUBEを使って本の新たな販売方式を試すような業者も最近じゃ少なくありません。だがその手の動きには多少の危うさを感じます。なぜならWEBを利用してダイレクトに作家と消費者を繋げる事は確かに中間マージンを大幅に省いて大きく利益率が上げる訳だが、そこに入っていたはずの多くの人の目が入らない事でファクトチェック等が不充分になり情報の質は下がるのだ。こうして私が個人的に映画感想日記をつける分にはソースチェックところか誤字脱字修正すらマトモにしないが仕事で作ったCGが市場に出るまではDやPは勿論クライアントやスポンサー関係で数十人の目が入り念入りな修正依頼に応えて事故を避けています。それをコストとして切り落とすようなマーケティングは必ずしも作家や作品の為になるとは云えません。だから我々も独立してWEBメディアで稼ごうとはせずに、あえて昔ながらのプロダクションで仲間に守られる事で仕事の品質を確保しています。だがビジネスとして既に日本の出版社のほとんどは破綻状態にあります。どうにもならず潰れる中小も多いが辛うじて金融で回してた大手もそろそろ限界。最近あの角川も我々と同様に中国企業の資本提携を受けてアジア勢に加わりました。もはや日本国内の古いやり方は終わっているのです。この作品はそんなオワコン出版業界を強烈に皮肉ったシビアでドラスティックなセンスが売りの吉田大八ならではのぶっ飛んだコメディ。

 

この物語は某大手出版社で昔ならではの文壇の権威に守られた文芸部から新たなマーケティングを模索する部署に新人作家ごと引き抜かれた女性編集者を狂言回しに話が進みます。この新しい部署は云わばビジネスライクに奇抜な事をやって読者の注目を集める事で売り上げを伸ばしている。それに対し文芸部は、あくまでも老舗のブランドで売っている。この二つの部署が騙し合いを展開する訳だが、クリエイター側の立場から云わせてもらうと、どっちもろくでもない。ただただ炎上商法も厭わず注目を集める事に特化した売り方は作品の内容で勝負できないし、かと云って老舗の権威主義は教条的で作家が育たない。どちらに転ぼうとも内容で勝負できない。あくまでも必要なのは内容に注目を集める戦略と品質とアカデミックな価値を担保する伝統の後ろ盾なのだ。だからこそ、この女性編集者は某YOUTUBER張りの思い切った戦略で勝負をかける。このやり方自体が日本に余裕のある世代が残っている事を前提としたビジネスモデルな訳だが。もしこの手法が主流になれば今後は前世紀以上に情報格差が物凄い事になるだろう。この物語の主人公は大泉洋演じるマーケッターで悪役は佐藤浩市演じる臨時社長って構図になってる訳だが、そいつらの抜け目ない駆け引きに、うっひょーとジェットコースター状態で楽しませて頂けました。とんでもないやり方が多々散見される訳だが、こんな炎上商法でもやらない限り出版業界自体が見向きもされなくなっているのは事実。必ずしも文壇の権威が影響力を持ち続ける状態は望ましくはないが、あらゆる表現市場において反知性主義が蔓延りアカデミズムが無視され市場原理だけに毒されてしまえば、いかなる媒体でも作品の品質は保持できなくなるでしょう。だからWEB媒体は広告市場が利益化を求め始めるに従って掃き溜め化を加速しています。それこそYOUTUBEを使えば作品を簡単に発表できるが、そこに高品質は求められていないから未だにプロダクションに所属する働き方が最もスキルになるのです。この商業と真価の対立は表現をビジネスにするクリエイターにとって普遍的な命題です。