『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2008-11-20の投稿

火刑台上のジャンヌ・ダルク

 

 

豚と羊が裁く

 

かつて市場がハリウッド一色に染まった時期には日本における欧州映画市場は収束し一部ではイタリア映画界は衰退したなんて勝手に囁かれた事もあったそうだが、それは日本市場が勝手にそっぽを向いていただけ。その間もイタリア映画史は動いていた訳で注目に値する新人も生み続けていたし、かつての巨匠たちも創作を続けていた。だが日本では多くの欧州映画がかつての中東やアジアやアフリカと同様に市場に無視されているのも事実。世界的にあらゆる地域の映画人に大きな影響を今でも与え続けているロッセリーニ作品ですら戦争三部作の前後程度しか未だ商品化していない。晩年の哲学者シリーズなど方向転換以後の作品は一時期初期のテイストに戻った『ローマで夜だった』位しか紹介されていない。

 

この作品は最近DVD化したロッセリーニ作品。同じネタではドライヤーやブレッソンあたりのアプローチが有名だが、それよりも更に大胆なアレンジを加えた舞台を映像化。これは肉体が滅び神の国に入ったジャンヌが回想する形で火刑に至る経緯を語る。そこではあからさまに判事や貴族や知識人の罪が批判される。彼らは人間の衣を羽織った獣に過ぎない。裁判長は豚。神学者は羊。そして王たちは強欲、淫乱、馬鹿、死神。それらが行った気まぐれなゲームの結果、彼らの耳には神の声が届かず聖人への虐殺へと至った。映画は雲間に覗く星空を霊体の聖歌隊が横切る所に始まり霊体のジャンヌが姿を表す。そして対話と合唱の繰り返し。つまりファンタジーミュージカル。多義的なリアリズムを追い続けたロッセリーニにしては珍しい語り口に見えるかもしれないがバーグマンとの仕事あたりから晩年にかけて彼の作品は精神的な側面から人間を探る手法の物も少なくない。その側面がある作品のひとつがやっと商品化したってだけ。ただ他の商品化していない作品と同様にやはり娯楽度は低い。