『ブラック・クランズマン』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2020年07-01の投稿
ブラック・クランズマン

 

 

先鋭化したイデオロギー


それがお前の仕事なのか知らないがニグロを押さえつけて金玉掴み、もう片方の手に銃を持ってない時は何もできやしないが、黒人が警官になったって連中はお前を地面に叩きつけるだけだ、俺のアイデンティティ自体が暴力なんだbyアイスキューブ(N.W.A)
 

ミネアポリスでのありきたりな黒人絞殺に端を発した暴動は表面的には黒人差別への怒りを標榜しているが、そのフラストレーションの実態は疫病対策での医療格差にあるのでマイケルムーアの『シッコ』でも見た方が、よっぽど問題の本質は掴める。ただトランプ政権になって以来、古くて新しい差別問題で吹き上がる大衆が増えた事も事実。元々黒人版オリバーストーンみたいな立ち位置だったスパイクリーは次第にイデオロギー色が薄れる傾向にあったが、このレイシストの台頭以来、昔にも増して露骨にイデオロギー色が先鋭化した。そんな彼の最近の作品を2本連続でチェック。この作品はブラックパンサー側とクークラックスクラン側の両方に潜入捜査に入った黒人警官を描いたコメディ。この二つの集会のカットバックによって白と黒という対立軸で偏らない視点を提示しています。ただやはりブラック音楽ならぬブラック映画とでも呼ぶべき監督のアイデンティティ故か露骨に近年のシャーロッツヴィルにおけるゴミウヨ突入テロが挿入されたりもします。これに関してトランプは左右両方に過激派がいるという一般論で誤魔化したがテメーの無能さを白人至上主義で埋め合わせようとするカスを彼が利用する事で、この手のゴミ白人どもが調子付いたのは事実。残酷な事実を突き付けるのであればラストベルトで失業しオピオイド中毒になってるような知恵もスキルもない白人ゲロ親父に存在価値なし。ただただ日本のシルバー民主主義と同様に頭数の多さが票田として利用されるだけ。そんな存在価値のないゲロ親父が将来有望で存在価値の高い若者を虐殺する。それはイデオロギー以前に子々孫々の国益を害するテロ行為。白人無用者どもは自業自得なのだから国益を害する前にさっさと自殺しろ。そんな憤怒が差別を肯定してる私にすら湧くほどの理不尽な案件です。これを白人側の横暴としてアピールするような見せ方は、やはり露骨に中立性を欠いてるようにも思えます。


トランプ政権が提示した現代における本当の対立軸は白と黒でもなければ右と左でもなく有能と無能。或いは愛国者と売国奴。"厳しい現実を受け入れた上で努力し社会貢献する普通の人間"VS"現実逃避した上で自分だけは生き残ろうと権力に諂う寄生虫"という構図になっている気がします。トランプが主張した保護主義やウォール街支配からの離脱等の政策は確かに米国民にとっては望ましい方向性であり芯の部分では最も正しい道を示したと云えます。だが選挙資金が尽きた時からユダヤ資本に取り込まれ国を守る為の排外主義も保身の為の表面的なアピールに変わり米国民を騙す側に回った。そんな状況の変化に対して自ら正確な情報を取り把握した上で采配する国民と、そこが分からない程に頭が悪い情弱や事実を認めたくない臆病者というクズが左右両方にいる。ただただ分別のないヒステリーで喚き散らすバカパヨや安倍応援団みたいに売国奴に諂うゴミウヨ。その多くはKKKやBP党みたいな排外的集団で傷を舐め合うだけの無能な無用者。日本に例えるなら在特会とシバキ隊みたいなものか。その一方で日々変化に対応し努力を怠らない事で社会貢献し続けるサイレントマジョリティこそが未来を切り開くが、これらの無用者どもは妬み嫉みでマトモな人間を排除しようとする。それこそ反知性主義と呼ばれる悪貨が良貨を駆逐するような現状。新自由主義者が愚か過ぎる雑魚を切り捨てたくなる気持ちも少しは分かります。それこそ白人至上主義の無能ゲロ親父こそが多様性の保護という観点で国家の慈悲によって辛うじて生かされてる立場なのだから。そんな雑魚がデカいツラしたら捻り潰したくもなります。そんな連中が傷を舐め合う場としてKKKみたいな市民運動はある。それに対峙するかつてのBP党も似たようなもの。こいつらは実力組織なんかではない。ただの弱虫同盟なのだ。マトモな国民なら仕事で社会奉仕する事で近年の優秀な中国人のように国益を潤す。それができない連中が社会運動に逃げ込む。ここで主人公が所属する警察のように真っ当に知恵を絞って成果を出し続ける社会人こそが人種に関係なく本当の米国民であり、そのように真っ当に働いて社会貢献をする人々を豚と罵るような負け犬どもは白だろうと黒だろうと野蛮な土人に過ぎない。