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(2008年撮影)

桃崎剛裁判長は判決理由で、「利用する事業者の数が違う以上、運賃に差が生じるのはごく一般的。乗客は自由な選択で、いずれかの経路を利用できる」と原告の主張を退けた。

2社に是正を求めなかった国の責任も認めなかった。

判決後、原告代表の松永貞一さん(75)は都内で記者会見し、「北千住駅で乗り換えるには九十何段もの階段があり、乗り換える人はいない。裁判官は現状をわかっていない」と険しい表情で語った。

葛飾区のJR東日本常磐緩行線(各停)の金町駅と亀有駅の利用者16人が、相互直通運転する東京地下鉄経由で都心に向かうと、JRを乗り継ぐより運賃が高くなるのは不当として、両社と国に1年分の差額に当たる2万6980円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は15日、「運賃設定は著しく不合理ではなく、差別ではない」として請求を棄却した。原告は控訴する方針。

常磐線は1971年、快速線と緩行線に分かれ、各停になった亀有駅と金町駅から上野駅に直通で行けなくなった。

西日暮里駅で乗り換えると東京メトロを経て、山手線に乗ったと扱われ、初乗り運賃が3回発生する。

北千住駅で乗り換えれば常磐線のみの利用とされて初乗り運賃は1回だが、原告は「階段を使った長時間の移動が伴い、メトロを利用せざるを得ず割高運賃を強いられている」と訴えていた。

(東京新聞より)

 

1971年4月20日火曜日、常磐線綾瀬駅-我孫子駅間で複々線化が完成し、同時に千代田線と相互直通運転が開始された。

常磐線複々線化開業直前、綾瀬など、都内の快速通過駅では、上野駅へ行く際に乗り換えを強いられることや運賃が割高になることを理由に複々線化に不満を抱く利用者が現れ、開業後には、千代田線と常磐線どちらを経由しても運賃を同じとして、綾瀬駅への快速停車か上野行き復活を求める抗議集会が開かれた。

2021年6月13日放送「噂の!東京マガジン」によれば運賃問題は半世紀たっても解消されず、改善は今なお求められ続けており、運賃問題は亀有駅や金町駅の周辺住民でも認知されていないことが多いという。

1971年当時は国鉄の運賃の方が安く、北千住駅-西日暮里駅間を千代田線経由で乗車して山手線や京浜東北線に乗り換える場合や、地下鉄経由で都心へ向かう場合の合算運賃が割高となる場合が多く、地下鉄路線網も整備途上であったため、利用者の多くは松戸駅や北千住駅での乗換を選んだことで快速電車は大混雑した。

このため、新聞などで「迷惑乗り入れ」と糾弾される事態に発展し、国鉄は、千代田線乗り入れ開始とともに常磐線での営業運転を終了するはずだった旧形の72系(御殿場線に転用されたものも存在していた)の臨時快速を設定して輸送力を増強し、その置換用の103系が増備されるまでの約1年間を凌ぎ、1972年10月、快速用の103系が10両編成に戻った。

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また、松戸駅乗り換えによる混雑の一因でもあった、快速通過駅とされた柏駅についても、快速線にホームが新設された。

(Wikipediaから引用しています)

 

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