写真はJR東日本秋葉原駅で撮影。その年月日は2004年4月24日土曜日と思われる。
当日は、神奈川県横浜市に行っており、そのついでだったかと。
右に115系の姿もある。当時は上野東京ラインが未開業。
205系が出たばかりの頃をしっかり覚えている。当時ステンレス車は東急以外ではあまり多くなく、銀色の輝きが美しいのでステンレス車が来ると嬉しかった。
今やステンレス電車がありふれている時代で、ステンレスの輝きが美しいと思えなくなった。
「山手線といえば鶯色の103系」の印象が強かったのが自分の世代。103系発祥地である山手線から103系撤退が昨日のことのようにも思えていたが、既に33年以上。今はE235系が投入されたが、そのような金があれば常磐線や気仙沼線(福島県・宮城県など)などの復旧に集中投入をという声もあった。
山手線のイメージカラーが鶯色、すなわち黄緑6号になったきっかけは鴬谷にあると思っていたが実は適当に決めたため違うらしい。
2010年、「100年前の山手線が恵比寿駅を走る?」なるものがあった。それは1年遅れて山手線・烏森(現新橋)-上野間と池袋-赤羽間で電車運転開始を記念。
205系は1985年に初登場し、山手線を皮切りに何線区かに投入された。
205系も国鉄時代に大阪府地区で製造されれば公式試運転で大阪府地区を走り、自力で上京していた。
だが現在は分割民営化で難しくなった。
詳細はこちらにあるが、JRの中古車が海外転出し、大手私鉄の中古車が他社に移籍している例が多いなら、やる気になれば可能で、既に分割民営化や青函トンネル開業、瀬戸大橋開業から30周年以上となっているから、各地でブルートレイン復活などとともにJR同士の合併を考えても良い。
更に、こちらも見てほしい。
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